8.前を向いて
廊下を歩いていると、不安そうな顔で周りをキョロキョロしている人を見かけた。
いつものミドリなら話しかけられないように息を潜めてこそこそと引き返してしまうところだが、今日は調子が良く何か行動したい気分だった。
「あの……!」
話しかけると、青年はバッとこちらを向き安堵の表情を浮かべた。
なんとなく学生っぽい雰囲気。十代後半から二十代くらいだろうか。童顔で背が低めなのが余計にそう感じさせるのかもしれない。
初めて見る顔だ。他のチームの人だろうか。
「あ、あの……俺、自分の部屋が分かんなくなっちゃって……」
どうやら最近この世界に来たばかりのようだ。
建物内を色々見て回っていたところ、自分の部屋が分からなくなったらしい。
どこも似たような構造で、どの部屋も同じ形の扉が並んでいるのだ。迷うのも無理もない。
「えっと……部屋の番号分かります?」
「F の402」
「なるほど、F棟の四階の二号室……」
ここはD棟なので隣の隣の棟。建物一つ一つが広いので歩いて15分くらいか。
口で言ってもまた迷ってしまうかもしれない。ミドリは近くまで一緒に行く事にした。
彼と共に階段を降りていく。足取りは軽い。
いつもなら場所を口で伝えてそそくさと立ち去ってしまうが、今日は違う。前向きで少し強気な気分。
キミコさんのおかげか、アオイさんのおかげか、カナちゃんか、リーダーか。いや、全員かもしれない。
いつもとは違う、変わり始めた自分をミドリは感じていた。
しかし。
D棟、E棟、と脇を通り抜けてもうすぐF棟。そろそろ着いてしまうが、何の会話もなく。
無言で前を向いて歩き、サクサクと砂を踏む音だけが響く。
(う〜ん気まずい……なんか世間話みたいなのした方がいいよねこれ……でも思い付かない……)
仕事の話でもするべきか……ここは無難に天気の話か……
いっそ思い切ってお笑いの話とか……いや、いきなりだと引かれるか。
話をするとしても、どうやって切り出そう。
こうやって悶々と心の中で考えている間も無言は続く。
(え〜い、ぶっつけ本番だ!何でもいいから……なんか話しかけるぞ!)
勇気を振り絞り、後ろを歩く彼の方を勢いよくバッとと振り返る。
その彼はというと歩きながら横を向いて外の風景を楽しんでいるようで、こちらの事はそもそも気にしていないようだった。
(が〜ん。そもそも見てなかった……まぁいっか、そんな無理して繋ぐことも無いよね。かえって不自然だしね)
こういう間の取り方も私は知らない。人を避け続けていたから……でも、これから経験して勉強しないとな。
そうこうしてるうちに一階の入り口の目の前に来た。ここでお別れだ。
「じゃあ、この辺で……」
「あ、ちょっと待って!」
会釈をして去ろうとすると、呼び止められた。
なにやら深刻そうな顔をしている。
私、なにかやらかした……?まさか。
建物やっぱり違うところだったとか?実は元のD棟でした、とか?
それとも私なんか変な事言った?行動がおかしかった?なんか顔に付いてる?
なんだろう。分からない。緊張に体を硬くするミドリ。
「その、名前、聞いてもいいっすか?」
えっそっち……?!
斜め上の反応にミドリはその場につんのめりそうになった。
(確かに、そういえば名乗っていなかったけど……)
姿勢を直して向き直す。
「えっと……私、ミドリって言います」
「ミドリさんか……俺はハル。今日はありがとうございました!」
言いながらこちらに体を向け軽く一礼。雰囲気からもっと軽そうに見えたのだが、なかなか礼儀正しい人だった。
帰ろうとして彼に背中を向けると、後ろからまた声がした。
「それじゃ、また!」
ニコニコと嬉しそうな顔で、姿が見えなくなるまでこちらに手を振って見送ってくれた。そこまで話できなかったし、仲良くなれた訳じゃ無いはず……
ちょっと変わった人のような気もするが、まぁあいいか。そんな些細な事など気にならないほど今日は気分が良かった。
ミドリは鼻歌を歌いながら部屋に戻り、ベッドにダイブした。
(こんな私でも役に立てたかな……?もしそうだったら、嬉しいなぁ……!)
ベッドの上で右に行ったり左に行ったり、コロコロ転がる。
今までそういう事は全部アイがやってたから。
私は後ろで見てるだけだったから。
変われる。変われるぞ、私。
私だってこの社会でうまくやっていきたい。まだ会話は苦手だけど、私も人と一緒にいたい。
しばらくしてふと冷静になると、恥ずかしさが込み上げてきた。何こんな事ではしゃいでるんだろ、私。子供じゃないんだから。
動揺して肘をぶつけて携帯を落とす。布団の上なのでセーフ。
でも危なかった。ほんとそそっかしいな私。
明るくなった画面を見ると、また留守電が入っているのに気づく。歩いている時だったからバイブ音に気づけなかったようだ。
『何度もすまんな。どうしても調子が気になって。どうだ?少しでいいから、訓練で体をほぐしてみないか?』
そういえば、昨日返信せず結局ばっくれてしまったんだった。本当に申し訳ない。後で謝っとこう。
『例の新人なんだが、ちょっと早いがそろそろ実戦寄りの訓練をしようと思うんだ。だけど、チーム内はすでにペアができてるしな……そのためだけにさらに新しく人を入れるのもなんだし、明日早速付き合ってやってくれないか?後で返事をくれ。久々に会えるのが楽しみだ、待ってるぞ!』
相変わらずまた直前の誘いだ。まぁ、リーダーらしいが。
(待ってるぞ、か……どうしようかな)
リーダーはまだミドリが戻ってくるのを待っているようだった。そわそわと待ち遠しくしている彼の様子が目に浮かぶ。
私は変わるんだ。
みんなと一緒に生きていく。だからもう逃げない。
怖いけど、できない話じゃない気がする。見守ってくれてる人だって少ないけどいる。今日の人だって悪い感じでは無かった。
だから、もう少し……もう少しだけ頑張ってみようかな。
完全に傷が癒えた訳じゃない。あの光景は瞼に焼き付いたまま。
でも……そろそろ前を向いてみよう。キミコさんが言う通り、外に出てみよう。人と人の暖かい世界が本当にあると言うのなら、見てみたい。
感じてみたい。
幸せになってみたい。
「アイ……私、頑張ってみるよ。一人でほんとはちょっと不安だけど……」
「でも、今ならやっていける気がするんだ」
窓から温かな日差しが差し込み、優しい風が吹いた。
どこか遠くの空から彼女が応援してくれているような気がした。
ミドリは『訓練に参加させて下さい』とメールで返信すると、明日に備えて再び眠りについた。




