【最終章 約束の墓標】 『第26話 白石千尋の帰還』
三日後。
雨が降っていた。
六月の終わり。
空は重く曇っている。
神谷は駅前の喫茶店にいた。
もちろん誰にも見えない。
窓際の席。
美咲。
三浦。
教頭。
相沢。
全員が黙っている。
待っているのだ。
二十五年前の少女を。
やがて。
店のベルが鳴った。
カラン。
全員が振り向く。
一人の女性が立っていた。
五十代。
短く切り揃えた髪。
落ち着いた服装。
どこにでもいる中年女性。
しかし。
三浦の顔が崩れた。
「千尋……」
その声は、
二十五年前のままだった。
女性は小さく微笑む。
「お久しぶりです」
静かな声。
けれど。
その一言だけで、
二十五年という時間が消えた。
白石千尋。
生きていた。
神谷は思う。
人は生きているだけで奇跡なのかもしれない。
あの日。
死んだことにされた少女。
誰にも救われなかった少女。
それでも。
ここまで生きてきた。
「写真を送りました」
千尋が席に着く。
「届くと思ったので」
三浦は頷いた。
「来てくれてありがとう」
千尋は苦く笑う。
「本当は来たくありませんでした」
「二十五年間」
「二度と戻らないと決めていたから」
誰も責められない。
その決意の重さが分かるからだ。
「でも」
千尋は美咲を見る。
「神谷先生のことを知りました」
美咲の目に涙が浮かぶ。
「主人を知っているんですか」
「直接は」
「会っていません」
「でも知っています」
「私を探していた先生です」
神谷は息を呑む。
探していた。
自分は。
結衣だけではなく。
白石千尋にも辿り着こうとしていた。
「なぜ姿を消したんですか」
美咲が尋ねる。
千尋はしばらく黙った。
そして。
「怖かったからです」
あまりにも簡単な答え。
だが。
それが全てだった。
「助けを求めました」
「誰かに」
「何度も」
「でも」
「誰も助けてくれなかった」
その声に怒りはない。
あるのは疲労だけだった。
「だから思ったんです」
「もう私はいないことにしようって」
神谷の胸が痛む。
それは死を選んだのではない。
世界から降りただけだ。
誰にも見つからない場所へ。
「それで幸せでしたか」
美咲が聞く。
千尋は少し考えた。
そして。
「分かりません」
そう答えた。
「でも生きました」
「結婚もしました」
「子どももいます」
「孫もいます」
静かな言葉。
しかし。
その一言一言が重かった。
死んだことにされた少女が。
人生を生きたのだ。
その時だった。
千尋の表情が変わる。
「でも」
「終わっていません」
店内の空気が張り詰める。
「私は知っています」
「神谷先生が何を見つけたのか」
三浦が顔を上げる。
理事長も固まる。
「神谷先生は」
「二十五年前の記録だけを見たんじゃない」
「もっと大きなものを見た」
神谷の胸が激しく脈打つ。
もっと大きなもの。
「何ですか」
美咲が尋ねる。
千尋はゆっくり答えた。
「名簿です」
「被害者名簿じゃない」
「加害者名簿です」
全員が凍り付く。
「二十五年間」
「子どもたちを見捨て続けた人たち」
「その全員の名前」
神谷は思い出す。
だから殺された。
だから狙われた。
USBの本当の価値は、
被害者の記録ではなかった。
加害者の証拠だった。
その瞬間。
千尋が理事長を見た。
「あなたも載っています」
理事長の顔色が変わる。
そして。
千尋は静かに続けた。
「でも」
「本当に怖いのはあなたじゃない」
全員が息を呑む。
「一番上がいます」
「二十五年前からずっと」
「学校の外に」
「誰にも知られずに」
神谷は戦慄する。
理事長ですら駒。
まだ黒幕がいる。
そしてその人物こそが――
神谷を死へ追いやった存在だった。




