【第五章 名前のない被害者たち】 『第24話 最後の鍵』
地下保管庫に沈黙が落ちた。
三浦の掌の上。
古びたコインロッカーの鍵。
その小さな金属片が、
あまりにも重く見えた。
「主人が……預けた?」
美咲の声は震えていた。
三浦は静かに頷く。
「亡くなる二時間前です」
「神谷先生は私に会いに来た」
「そしてこの鍵を渡した」
神谷は目を閉じる。
微かに思い出す。
駅前。
雨の降り始めた夕方。
自分は確かに三浦へ会っている。
『もし俺に何かあったら』
『これを開けてください』
記憶の断片。
自分の声。
そして。
強い覚悟。
あの時の自分は、
危険を予感していた。
「なぜ今まで黙っていたんですか」
美咲が問いかける。
三浦は苦しそうに答えた。
「怖かったんです」
「私も」
その言葉は意外だった。
三浦修司。
何十年も学校の闇を見てきた男。
その男が初めて弱さを見せた。
「神谷先生が亡くなった」
「その時点で分かったんです」
「相手は本気だと」
地下室の空気が重くなる。
理事長は黙っていた。
しかし。
その沈黙こそが答えだった。
一時間後。
駅前。
雨は止んでいた。
古いコインロッカーが並ぶ一角。
三浦が鍵を差し込む。
カチリ。
小さな音。
扉が開く。
中には封筒が一つ。
USBメモリが一つ。
そして。
『美咲へ』
封筒にはそう書かれていた。
美咲の涙が溢れる。
震える手で封を切る。
中には数枚の便箋。
見慣れた文字。
神谷悠真の字だった。
『美咲へ』
『この手紙を読んでいるということは』
『私は失敗したのでしょう』
美咲が唇を噛む。
神谷は隣で黙っていた。
自分の手紙なのに、
初めて読む気がした。
『ごめん』
『約束を守れなかった』
『君と娘を残して死ぬつもりなんてなかった』
美咲の肩が震える。
『でも』
『どうしても見過ごせなかった』
『あの子たちを』
『見なかったことにはできなかった』
神谷は目を閉じる。
そうだ。
自分は英雄になりたかったわけじゃない。
正義を振りかざしたかったわけでもない。
ただ。
助けたかった。
それだけだった。
『もし私がいなくなったら』
『真実を暴こうとしなくていい』
『復讐もしなくていい』
『ただ』
『娘を幸せにしてほしい』
美咲は声を殺して泣いた。
神谷は何も言えない。
死んで初めて分かる。
残された人の痛みを。
その時だった。
USBを確認していた相沢が顔を上げる。
「おかしい」
全員が振り向く。
「どうした」
三浦が尋ねる。
相沢は青ざめていた。
「動画が入っています」
「動画?」
「神谷先生が撮影したものです」
神谷の心臓が跳ねた。
知らない。
そんな記憶はない。
相沢が再生する。
画面が映る。
夜。
雨。
橋だった。
死の直前。
そして。
動画の最後。
一瞬だけ。
レンズが捉えていた。
黒いレインコートの人物。
その顔を。
全員が見た瞬間。
教頭が絶叫した。
「嘘だ!!」
理事長の顔から血の気が消える。
三浦も凍り付いていた。
神谷は動けない。
なぜなら。
そこに映っていた人物は。
この場にいる誰でもなかったからだ。
既に死んだはずの人間だった。




