【第四章 五年前の少年】 『第17話 父親という怪物』
停電は数秒で復旧した。
地下保管庫の蛍光灯が白く瞬く。
美咲。
相沢。
教頭。
全員が緊張した顔で立っていた。
しかし神谷だけは違った。
意識が五年前へ引き戻されていた。
高坂遼。
あの少年の震える声。
「帰りたくないです」
あの一言が耳から離れない。
すると。
再び景色が変わった。
病院だった。
白い廊下。
消毒液の匂い。
窓を叩く雨音。
神谷は思い出す。
高坂の父親が亡くなった後。
自分は一度だけ遼に会っている。
保護施設で。
「先生」
当時十五歳だった遼は言った。
「父は悪い人だったと思いますか」
神谷は答えられなかった。
殴られた。
蹴られた。
恐怖に支配されていた。
それは事実だ。
だが。
それだけではないことも知っていた。
「分からない」
神谷は正直に答えた。
遼は少し笑った。
「そうですよね」
「僕も分からないんです」
窓の外を見つめながら続ける。
「父は怖かった」
「でも」
「優しい時もあった」
神谷は黙って聞いていた。
「小さい頃は」
「毎年誕生日にケーキを買ってくれたんです」
「野球も教えてくれた」
「休みの日には公園へ行った」
遼の声が震える。
「なのに」
「いつからか変わった」
「仕事がなくなって」
「酒を飲むようになって」
「家にお金がなくなって」
「気付いたら別人みたいになっていた」
神谷は胸が痛んだ。
怪物だったのだろうか。
それとも。
怪物になってしまったのだろうか。
その時だった。
「先生」
遼が言う。
「僕は感謝してます」
「助けてくれて」
「本当に」
神谷は少し安心した。
だが。
次の言葉で凍り付く。
「でも」
「父は先生を恨んでいました」
沈黙。
「最後まで」
「ずっと」
病室の空気が重くなる。
「死ぬ前の日も」
「先生の名前を言っていました」
神谷の背中を冷たいものが流れた。
「何て?」
遼は答える。
「全部あいつのせいだ」
「家族を壊された」
「人生を奪われた」
「許さない」
神谷は言葉を失う。
正しいことをした。
そのはずだった。
しかし。
誰かにとっては。
人生を壊した加害者だった。
そこで記憶は終わる。
神谷は地下保管庫へ戻っていた。
教頭が何か話している。
だが耳に入らない。
胸の奥が苦しい。
その時。
結衣が静かに言った。
「先生」
「苦しいですか」
神谷は苦笑する。
「少しな」
「俺は正しいことをしたと思っていた」
「今でもそう思いたい」
「でも」
「誰かを救うって」
「簡単じゃないんだな」
結衣はしばらく黙っていた。
そして。
「それでも」
「私は先生に会えてよかったです」
神谷は振り返る。
結衣は微笑んでいた。
どこか寂しそうに。
「先生は」
「私を救えなかったって思ってますよね」
神谷は何も言えない。
結衣は死んだ。
それが事実だからだ。
だが。
「違います」
結衣は首を振った。
「先生は私を見てくれた」
「助けようとしてくれた」
「それだけで」
「嬉しかったんです」
神谷の胸が締め付けられる。
その瞬間だった。
地下保管庫の奥から。
ガタン。
何かが落ちる音。
全員が振り返る。
誰もいないはずの棚の向こう。
影が動いた。
そして。
一枚の写真が床へ落ちる。
美咲が拾い上げた。
次の瞬間。
顔色が変わる。
「そんな……」
写真には。
若い頃の三浦修司。
高坂の父親。
そして。
青葉高校の校長が写っていた。
三人は肩を組み。
笑っていた。
撮影日は。
二十五年前。
神谷が教師になる遥か前。
全ては。
もっと昔から始まっていた。




