【第三章 消された記録】 『第13話 虐待報告書の空白』
その夜。
神谷家のリビングには静かな緊張が漂っていた。
陽菜はすでに眠っている。
時計の針は午後十一時を回っていた。
美咲はテーブルの前に座っていた。
目の前には茶色い封筒。
佐伯から渡されたものだ。
何度も深呼吸する。
夫が残した最後の手掛かり。
震える指で封を切った。
中には大量の書類が入っていた。
コピーされた報告書。
面談記録。
家庭訪問記録。
児童相談所への連絡票。
そして一冊の黒いノート。
神谷の筆跡だった。
『青葉高校案件整理』
表紙にそう書かれている。
美咲はページをめくった。
最初のページには十二人の名前が並んでいた。
年度。
案件内容。
対応履歴。
処理状況。
まるで捜査資料だった。
案件番号一。
家庭内暴力。
処理状況。
『解決済み』
だが備考欄には赤字でこうある。
『卒業後行方不明』
案件番号二。
虐待。
処理状況。
『解決済み』
備考。
『十八歳で自殺』
案件番号三。
ネグレクト。
処理状況。
『解決済み』
備考。
『所在不明』
美咲は息を呑んだ。
どこが解決なのだろう。
誰一人救われていない。
ページをめくる。
また一人。
また一人。
全員が同じだった。
学校の公式記録では問題解決。
しかし現実では人生が壊れている。
「何なの……これ」
思わず声が漏れる。
その時だった。
最後のページから一枚の付箋が落ちた。
神谷の字だった。
『ここから先は誰も信じるな』
美咲の背筋が冷える。
『特に学校管理職』
管理職。
つまり。
教頭。
校長。
神谷はそう疑っていたのだ。
一方その頃。
神谷と結衣も資料を覗き込んでいた。
もちろん触れない。
だが読むことはできる。
「先生」
結衣が小さく言う。
「これ……」
神谷は黙ったまま名簿を見つめる。
気付いた。
ある共通点に。
「年度だ」
「え?」
「全部同じだ」
神谷は指差す。
案件発生年は違う。
だが。
最終処理日は一致していた。
全員。
教頭が着任した後だった。
結衣も息を呑む。
「そんな……」
「偶然じゃない」
神谷の顔が険しくなる。
「誰かが整理している」
「不都合な案件を」
沈黙。
その時。
ノートの最後のページが風で開いた。
窓は閉まっている。
なのに勝手に。
そこには十三番目の名前があった。
案件番号十三。
神谷悠真
案件内容。
『内部調査』
美咲の顔から血の気が引く。
そして。
処理状況。
『死亡』
部屋が静まり返った。
神谷も動けなかった。
これは自分の字だ。
間違いない。
死ぬ前の自分が書いた。
つまり。
神谷は気付いていた。
自分が狙われていることを。
美咲の目に涙が浮かぶ。
だが泣かなかった。
代わりにノートを握りしめる。
「あなたは……」
震える声。
「ここまで分かっていたのね」
その瞬間。
玄関のチャイムが鳴った。
深夜十一時四十分。
誰か来る時間ではない。
もう一度。
ピンポーン。
美咲の身体が強張る。
三度目。
ピンポーン。
執拗だった。
恐る恐るインターホンを見る。
画面には。
誰も映っていない。
だが。
マイクから微かな呼吸音だけが聞こえる。
そして。
男の声がした。
『神谷先生の奥さんですよね』
美咲の心臓が跳ね上がる。
『話があります』
知らない声だった。
だが次の言葉で。
全身が凍り付く。
『私は十三人目の生徒です』
神谷と結衣が同時に顔を上げた。
インターホンの向こうにいる男は。
震える声で続けた。
『神谷先生は……』
『殺されました』
夜の闇が。
静かに口を開いた。




