団長として、女として
sideアデルハイト・フォン・グラーツ。
おかしい。
私は騎士団に入団してから、女性であることを常に揶揄されてきた。
そして、団長になってからは、他の騎士たちからの風当たりが強くなり、常に書類仕事に追われて、第二騎士団も副団長のバインドに任せきりだった。
だが最近、第二騎士団の様子がおかしい。
いや、正しく言うなら。
あいつが来てから、第二騎士団が騎士団になった。
団長室の扉を開けるたびに、私は身構えていた。
また紙の山。
また地獄。
また誰かが私を馬鹿にしている。
そういう日々を、当たり前だと思う癖がついていた。
「……少ない」
日に日に書類が少なくなっていく。
ある日を境に、机の端に積まれた束は、私の手で処理できる量だけになった。
第二騎士団長が決裁するべきもの。
第二騎士団が動くべきもの。
第二騎士団の訓練計画。
……それ以外が、ない。
無駄な申請。
他の騎士団の尻拭い。
王城のどうでもいい欠員補充。
ない。ない。ない。
私は最初、夢を疑った。
「ホート」
「はい」
「……書類が、少ない」
「団長が頑張った結果ですね」
驚くことなく平然と告げてくる。
私が頑張ったのは事実なのだろうか? だが、それだけで世界が変わるわけがない。私はこれまで、何度も頑張ってきたのだ。
それでも書類は増えた。増え続けた。終わる前に、次が積まれた。
書類は地獄として増殖するものだと思っていた。私は本気でそう思っていたんだ。
なのに今は午前で終わる。
「午前で終わる量ですね」
耳がおかしくなったかと思った。
ホートは涼しい顔で、書類を並べる。
期限と重要度の順。
担当部署の確認。
私が判断すべき箇所だけ、赤で小さく印。
……私の仕事だけが、目の前にある。
それが、どれほど凄いことなのか、こいつは分かっているのか? 私は今まで、地獄に埋まっていることが当たり前になっていた。
訓練を見られない言い訳。
団員と向き合えない言い訳。
人を信用しない言い訳。
地獄が消えると、私の逃げ道まで消える。
「……お前」
「はい」
「何かしたな」
「いえ、何も」
涼しい顔で、そう言い切った。
腹が立つ。そして、同じくらい胸が熱くなる。
♢
訓練場。
ここも、おかしい。以前なら、私が立てば空気が凍った。
凍らせなければ、舐められるから。
凍らせなければ、押し潰されるから。
だから私は殺気で黙らせ、威圧で従わせた。
……それが、騎士団長だと思っていた。
「団長! この踏み込み、確認していただけますか!」
「団長、槍列の距離!」
「団長、交代の合図!」
私に向けて、自然に声が飛ぶ。
距離を詰めてくる。
頼ってくる。
私を女と蔑まない。
団長という道具じゃない。
指揮官として扱ってくれる眼差し……何が起きている? 私は思わず、周囲を見渡した。
第二騎士団の顔が変わっている。
以前は、どこか疲れた顔。
どこか斜に構えた顔。
私を遠巻きに見て、同時に諦めている顔。
今は違う。
誇らしげに見つめ。
快活に笑い。
声を張って汗を流して、顔を上げる。
そして、私に当たり前に話しかける。
私は、こういう光景を知らない。
私はずっと、ひとりだったから。
ひとりで背負えばいい。
ひとりでやればいい。
誰も信用するな。
その方が楽だと、自分に言い聞かせてきた。
それなのに今はひとりじゃない。
♢
決定的だったのは、第三騎士団が来た日のことだ。
あの嫌な空気。
あの嘲り。
あの視線。
私は、また嫌味を言われ笑われるのだ。
反論すれば、女のくせにと言われる。周りからも馬鹿にされて、暴力を振るえば問題になる。
だから、我慢してきた。第二騎士団の者たちに迷惑をかけないために。
なるべく、威圧で黙らせて。
正面から叩き潰して。
何事もなかったように戻る。
……いつも通りに。
なのに、ホートが口を挟んだ。
見習いの分際で。私の横に並んで。第三騎士団に向かって。
あいつは、私が嫌いなはずの言葉を、あえて使った。
コネ。
女。
当たり前。
私の心に刺さり続けた刃を、あいつはわざわざ抜き取って、相手に突き刺した。
代わりに、怒ってくれていた。あいつは私が得意なことができる環境を整えてくれた。
「アデルハイト団長。お願いします。信じています」
私を信じてくれた。
皆の前で証明できる形を整え、そして私は、三人を叩き伏せた。
その後の光景を私は一生忘れることはないだろう。
第二騎士団が、団結して私の前に壁を作った。
私を守る盾になってくれたのだ。
……あの瞬間、私は息ができなかった。
ずっと守る側だった。ひとりで全てを背負って、第二騎士団を守っているつもりになっていた。
女だから……その言葉に縛られていたのは、周りだけじゃない。私自身もそうだったのかもしれない。女は守られるべき弱者じゃない。私が欲しかったのは、そういう甘い保護じゃない。
私が欲しかったのは、同じ戦場に立つ仲間の姿だ。
「アデルハイト団長、かっこよかったですよ」
そっと、ホートが私の耳に告げた言葉。
一気に体が熱くなるのを覚えた。ホートは私を頼って、信用して、団長としての責任と功績を見せる場をくれた。
どれだけそれが私にとって嬉しかったか……お前に分かるだろうか?
♢
それからの日々は、第二騎士団として新たな門出に立ったような気分だった。
書類を午前中に終わらせて、食事や訓練を皆と行う。
「最近書類が少ないな?」
「よかったじゃないですか」
誰かが止めた。
誰かが弾いた。
誰かが、私の肩から荷を下ろした。
多分、全てはこの男がやったことだ。
自分の成果を誇らない。
私に恩を売らない。
「俺のおかげだ」と言わない。
……ズルい男だ。
恩を売られたのに、何も教えてくれないから、返せない。
たくさんのものを与えてくれた。
たくさんの時間を共に過ごした。
食事も、訓練も誰よりもホートといる。
その全部をして、ただ隣にいただけだという顔をしている。
「これは団長が判断してください」
「ううう……!」
私に仕事をさせる。
私に決めさせる。
私に責任を返してくる。
……優しいのに、甘やかさない。
腹が立つほど、ちょうどいい。心地よい。
必要とされていて、私はこいつを必要としている。
私は、団長だ。
第二騎士団長として、見習いに特別扱いをしてはいけない。
私情を挟んではいけない。
距離を間違えたら、団が崩れる。
そんなことは分かっている。
分かっているのに。
気づけば、私はホートを探している。
訓練場の端。
食堂の席。
団長室の扉の前。
あいつの足音が聞こえると、胸が落ち着く。
あいつが現れてから全てが変わって、地獄が終わった。
……自分の胸に生まれた感情に、私は答えを出せないでいる。
こんな気持ちになるのが初めてで分からない。
私には誰かに相談できる相手もいない。
人を信用しないと決めたはずだ。
期待しないと決めたはずだ。
なのに期待してしまう。
明日も来るだろうか?
今日も紅茶を淹れてくれるだろうか?
また、私の予想を超えてくるのではないか?
期待を捨てたはずなのに、ホートは無断で私の心に踏み込んで、どんどん私の心を踏み荒らす。
頼んでいないのに、私の地獄を解決して。
やりたくないと思う仕事をやりやすいように選別してくれて。
いつの間にか第二騎士団全体の空気を変えてしまった。
……ズルい。
私は団長としては平然とした態度を取り続けるしかない。
「ホート。次の訓練に出ろ」
「はい」
「目線の鍛錬も怠るな」
「……努力します」
叱る。
命じる。
距離を保つ。
でも、心が、勝手に言う。
そばにいてほしいと思う。
もうすぐ第二騎士団での騎士見習い研修が終わる。
行くなと言いたい。それは騎士見習いの決まりなのに、馬鹿みたいな命令を、自分の胸にしてしまう。
団長が、そんな命令をしていいはずがないのに。
♢
夕暮れ。
訓練が終わって、私は剣を収めた。
見習いの規定。
三ヶ月が終わる。
ホートは次の騎士団に行く。
分かっている。
分かっているのに。
「……次の騎士団に行くのか?」
口から出た。情けない。
「はい」
あっさり。いつも通り。
私は、胸の奥が締め付けられる感覚を覚えた。
ほら、期待するからだ。
ほら、だから痛いのだ。
それなのにあいつは、最後までズルい。
「二択です」
二択。いつもこいつは私に逃げ道を塞いで、選ばせる。
「また会いたいですか? それとも俺とは会いたくないですか?」
……そんなの、決まっているだろ。
「ううう……貴様は本当に鬼だな。会うに決まっているだろう!」
しまった。
団長としては言ってはいけない。
でも、私の心が言いたかった。
ホートは笑いそうになって、咳払いで誤魔化した。
その仕草が、腹立たしいほど自然で。
私は確信する。
こいつは、ズルいやつだ。
優しいのに、甘やかさず。
自分の行いを何も誇らず。
ただ、隣に立って心地よくしてくれる……ズルい男だ。
絶対に、そばにいてほしい。
それを口にしたら、私はきっと負ける。
もうこいつに逆らえなくなってしまう。
全てを許してしまう。
だから私は、団長の仮面を被る。
「次は私の専属になりたいと言わせてやる」
「そうであったらいいですね」
軽い返事。くそ。この男は、本当にズルい。
こんなにも私の心に居座った男は初めてだ。
私は背を向け、夕陽の中を歩き出す。
鎧が重い。でも、それは今までの重さと違う。
守るための重さだ。そして、守られてしまった重さだ。
私は、知らないうちにホートという男に、負担をかけてしまっていた。
時間。
労力。
心。
全てを救われた。だから、執着する……自分で、自分の心の仕組みに納得してしまって、余計に腹が立つ。
私の真っ赤な髪が、夕陽に照らされて揺れている。
心の中で小さく呟いた。
(逃がすものか)
団長として。そして、女として。お前に選ばれる女になってやる。




