第十七章:最後の夢
-1-
「38度6分…今日は学校お休みね。」
体温計を僕の脇から抜き出すと
母は小さくため息をついた。
「今お粥を作ってきてあげるからちょっと待っててね。」
「何も食べたくない…」
「ダメよ。」
そう言って部屋のドアを閉め
母が階段を降りる音が聞こえた。
口元まで掛け布団を引き寄せると
天井を見つめた。
白い天井に窓からもれる光の筋が描かれている。
お兄ちゃんの偽者はとっくに学校に出かけた。
朝練にも出てるらしい。
しかし…偽者の正体が誰なのか…、
僕は気が付いてしまったのだ。
そう…その答えは今朝見た夢の中。
あの指輪の夢とお兄ちゃんの失踪がリンクしていたのだ。
最初はなんの関連性もないと思われていた
二つの事柄。
それが一つの線でつながったとき
僕は息を飲んだ。
ああ…
一体どうなっているんだ…
どうにかなってしまいそうだ…。
いや…
もう、どうにかなってるか…。
布団から左腕を引っ張り上げて天上にかざした。
左手手首には痛々しい無数の切り傷の痕…。
どっちが夢なのか分らない…。
皮肉っぽく笑ってみせる。
今日は月曜日。
土日も夢の中、井戸で仕事をしているリィーンの話しが続いた。
スズ=タケに指示された人物の心の中を覗き
その情報を取り出してスズ=タケに報告する。
そんな事務的なやり取りが続く。
最初はこれが具体的に何の役に立つのか分らなかったが
スズ=タケの心を覗いて全てを理解した。
スコーピオンは預言者という事になっているらしい。
無論そんな能力、彼にはない。
僕が引き出した情報を予言の結果として報告しているに過ぎなかった。
しかし今日の夢ではそこに動きが生じた。
射手座に異世界からやって来た少年がいる。
その少年の心を透視してほしいと依頼を受けたのだが…。
その少年こそが…
僕の真の兄、射川竹人その人だったのだ。
お兄ちゃんは射手座の世界に迷い込んだ。
そして帰れなくて困っている。
これはつまりどういう事かというと…。
僕が住むこちらの世界でお兄ちゃんは失踪した。
そして
たどり着いた先がなんとイネ=ノやリィーンのいる世界だったのだ。
どうやってあちらの世界に行ってしまったのか具体的な事は分らない。
だがしかし兄があちらの世界に行ってしまった事は
夢の中では紛れもない事実として扱われた。
僕自身は夢の中で客観的に兄を認識できているが
夢の中で動いているのはリィーン。
僕が引き出したい情報を自由に引き出せるわけじゃない。
ただただリィーンが行った事を淡々と見せられているに過ぎない。
それがなんとも歯がゆかった。
そしてやっとの事でお兄ちゃんが元の世界に帰ることが出来る
道が見つかる。
その方法を教えたのは僕、つまりリィーンではない。
おそらくスズ=タケに力を貸したのは…。
そして銀河系の中心宮でお兄ちゃんの代わりにイネ=ノ先生が
こちらに飛ばされてきてしまった、というのが
今朝までみた夢の内容だった。
その様子をリィーンはアキレスの意識の中に潜り込み
ずっと見つめていた。
リィーン自身もお兄ちゃんが無事帰れるかどうか
心配していたようだ。
そして…。
僕の家にやって来たのは、
お兄ちゃんではなく異世界から飛ばされてきたイネ=ノ先生だった。
そこで夢と現実が綺麗な一直線でつながる。
そう…。
それはそれは寸分の狂いもゆがみもない
美しい真っ直ぐな一直線…。
イネ=ノ先生にはこの世界の情報がほとんどない。
あるとしたらお兄ちゃんとの会話で知りえたごく微量なものだ。
だからかなり戸惑ったのだと思う。
それを悟られないように
イネ=ノ先生は記憶喪失という手を使って
情報空白の正当化を図った。
食事の好みや演奏のアレンジ方法、
小さな仕草や振る舞いがお兄ちゃんと似ても似つかなかったのにも
頷ける。
顔は同じだが中身は全くの別人なのだから…。
しかし…。
本当にそんな事がありえるのだろうか…と
疑いたくなっている自分が存在するのも確かだ。
僕のこの世界と、
もう一つの異世界がつながる?
そんなおとぎ話のような出来事が実際にあっていいものなんだろうか?
それを確認する方法が一つだけある。
かざした左手の小指に光る小さな石の付いた指輪を
右手人差し指で優しくなでた。
そう…。
もし彼がイネ=ノ先生本人だというのなら
あるはずだ、
射手座守護神である証の指輪が…。
僕は彼がこの世界にやって来て兄として振舞っている間
最初は何度も接触を試みたものの
ピアノの件があってからなるべく彼を見ないようにしていた。
だから指輪をしていたかどうかも分らない。
今思うともっと良く見ておけばと小さく後悔しているが…。
だから…今日。
今日彼が帰ってきたら左手の小指を見て確認しようと思う。
確認して…、
もし、
もし、指輪があったら…
そう…
どうしよう…
そうだ、入間先輩に連絡した方がいいかもしれない。
この世界で指輪が見える唯一の仲間。
きっと力になってくれるに違いない。
しかし…。
もし、
もしも指輪がなかったら?
いままでの推理が全て闇の中にちりとなって消えてしまうことになる。
ああ…自分はどうしたいんだ…。
軽く下唇をかんだ。
イネ=ノ先生であってほしいと思う自分と、
そうであってほしくないと思う自分とが存在してる。
夢の世界が現実化するなんて…
認めたくても認められない…
そんな非現実的なことが目の前で起ってたまるか…。
しかし…指輪といい入間先輩の話といい…
現実と非現実が重なり始めていたのも事実…。
わざとらしく一つ、
大きなため息をついた。
ベッドからゆっくり起き上がると一瞬、くらりと目が回った。
熱のせいだろう。
そろそろお粥が出来た頃だろうか。
スリッパを履くと
台所へと降りて行った。
-2-
大きな鎌が振り落とされた。
次の瞬間に飛び散る血しぶき。
ああ…なんという事をっ!!
思わず一瞬目を逸らしたが
なんとか意識を繋げたままでなくてはいけない…。
何が起きているのか全てをこの目で見届けなくては。
意識は以前つながったままだ。
つまり、まだアキレスには意識があるという事だ。
僕はアキレスの意識の中に潜り込んでいた。
アキレスの瞳に映るものがダイレクトに僕の
意識の中にリアルに流れ込んでくる…。
僕はただただ静かにアキレスの意識の目を借りて
その景色を見つめていた。
しかし…アキレスの視界が濁り始める。
そのわずかな視界の中に横たわる射川竹人を見つけた。
射川竹人を抱きかかえるとアキレスをは自分の指輪の力を使った。
”リィーンの元へ!!“
意識の中でその言葉が響いた。
僕の所へ来るらしい…。
僕はゆっくりと瞳を開けると
井戸の壁にあいている入り口の穴を見た。
入り口の向こうは闇に覆われ
静寂に包まれている。
久しぶりに体を動かす時が来たようだ。
ゆっくりとベッドから体を起こすと
ベッドに腰を下ろした状態で静かに入り口のほうに体を向けた。
そして再び瞳を閉じると
意識を集中させる。
今度は射川竹人の意識の中に潜り込んだ。
……。
泣いている…。
アキレスは消え去り
一人取り残されたようだ…。
かわいそうに…。
さらに竹人の意識の中に入り込み
声をかけてあげる。
『タケト…』
“だれ?!”
竹人の意識が答える。
しかし再び意識の光が弱まる。
空耳だと思ったらしい。
『タケト…』
何度か名前を呼び続け
やっとのことで気が付いてもらえる。
『タケト、こちらへ』
この井戸に誘導する。
“一体誰なんだ?!”
“もうたくさんだ”
“帰りたい”
“帰りたい”
“疲れた…”
さまざまな心の言葉があふれ出す。
かなり不安に思っているようだ。
なんとかして少しずつだがこちらへとタケトを移動させる。
大分近づいてきた所でタケトがこちらに向かって走り出したので
意識のコンタクトを止めそっと瞳を開けると
入り口のほうを静かにじっと見つめた。
するとバタバタと走ってくる音と共に少年が入り口から飛び出してきたかと思うと
こちらの部屋に入った瞬間にかるくこける。
ああ…やはり…イネ=ノ先生と瓜二つだ…。
彼が異世界から来たというイカワタケト…。
なぜだろう…イネ=ノ先生と瓜二つだからだろうか…
いや違う…
違う感覚の、だけどどこか
懐かしい…心地よさを感じていた。
と、
別の意識が飛び込んでくる。
これは…
スズ=タケ。
水路から井戸の道に向かって大量の水を流し込もうとしているところだった。
“もうこいつはお払い箱だ”
“異世界人共々死ぬがいいっ!!”
タケトとアキレスがこの井戸に飛んできた事がばれたらしい。
指輪の気配で気付いたか?
それに…、
どうやら僕とタケトを殺すつもりらしい。
タイムリミットが迫っている。
僕にはここから逃げ出す力はない。
あるとしたら…。
この、目の前にいる少年を無事元いた世界に送り届けることくらい。
そう…。
それが僕に与えられた最後の使命……。
-3-
リィーンは井戸の水にのまれ、
そして死んだ。
これでこの夢は終わりだろうか。
最後の最後で、その夢は悪夢として終わる。
涙が零れ落ちてはとまらない。
息が詰まる…。
軽く浅い呼吸困難を起こしていた。
ベッドからゆっくり上半身を起こすと
顔を両手で覆った。
なんで…
なんでこんな事になってしまったんだ…。
なんで?!
『明人…』
突然隣で名前を呼ばれ驚いて
振り返る。
今は夕方。
照明は付いておらず
カーテンが閉められ薄暗い僕の部屋に
いつの間にか兄が立っていた…。
いや…違う…。
その違和感にすぐさま気付き
思わずベッドから起きるとゆっくりと立ち上がった。
僕の向かいに立った兄の姿は半透明透けていた。
兄の体の向こうに僕の部屋が透けて見える。
一体どういう事なんだ…。
それともまだ僕は夢の続きの中にいるのだろうか?
『明人君』
今度は“君”付けで名前を呼ばれる。
胸が詰まる。
だが僕はゆっくりとその人物に言葉を投げかける。
「あなたは…誰?」
『私は…』
そういいながら自分の胸の前に左手を置いてみせる。
そこには…
美しい紫色の石が光る指輪があった。
『私の本当の名は、イネ=ノ…。』
「……イネ=ノ…先生?」
するとイネ=ノ先生はニコリと優しく微笑んで見せた。
頭が鈍く痛む。
『明人君…ずっと黙っていてごめんね。
君をだますつもりはなかったんだ…。
でも…それも今日で終わる。』
「え?…どう…いう事…ですか?」
『私は元いた世界に戻れることになった。
そして入れ替わりに君のお兄さんが戻ってくる…』
「お兄ちゃんが?!」
しかし…なぜだろう…こんなに切ないのは…。
『イネ=ノ先生』
そっと肩に触れようとすると
その手はすっと肩の向こうに吸い込まれた。
『私はもうこの世界には存在していない…
まもなくこの姿も消えるだろう…
だけど最後に明人君に謝りたくて…』
「そ…そんな!!謝るだなんて!!」
頭が少し混乱する。
今、目の前にいるのはイネ=ノ先生。
そして僕は…リィーン…ではなく射川明人…?
射川明人…?
いや…
今だけ…
今だけでいい…。
「すみません…
僕がタブーを冒したばかりに
ずっとイネ=ノ先生のお傍にいられなくて。
本当に…すみません…」
涙が零れ落ちた。
『君は本当によく泣くね。
確かに…君と会えなくなってしまった事はとても悲しかったけれど
今、こうして再び奇跡的に会えた事を心から嬉しく思うよ。
ありがとう、明人君。
それから、』
「?」
『僕はこれでこの世界から消えるけれど
君の周りではまだまだ夢は続いている。』
「え?…どういう事ですか?」
『他の星座守護神たちも君と同じように覚醒している。』
「星座守護神…って…まさか十二星座守護神ですか?」
『そう。』
「そんな…」
『そろそろ君のお兄さんがかなり混乱した状態で帰ってくる。
サポートしてあげてほしい。』
「え?…あ…はい…」
イネ=ノ先生の手がふわりと僕の頭の上にくる。
なでてくれているのだ…。
触れていなくてもなぜか温かいその空気は伝わってくる。
「また…またお会いできますか?」
顔をあげ視界が涙でにじみながらもなんとか
一瞬でもその姿を目に焼き付けたくて懸命に
まっすぐと見つめる。
『僕も君に会いたい…。
また奇跡が起きる事を祈っているよ。』
イネ=ノ先生の体がふわりと浮かび上がった。
ああっ!!行っちゃう!!
「イネ=ノ先生っ!!」
左手を伸ばす。
するとイネ=ノ先生は僕の左手手首を
そっとなでた。
手首が一瞬、ふわりと温かくなる。
『もう自分の事は傷つけちゃだめだよ。
守ってくれる人は周りにたくさんいるんだから。
そろそろそれに気付いてもいい頃だよ?』
「………」
涙が流れてとまらない。
ああ…なにか喋らなくちゃ…
でも…なんて言ったらいい?!
なんて話せばいい?!
イネ=ノ先生っ!!
『ありがとう、明人君。さようなら』
その最後の言葉が羽がふわりと落ちるように聞こえたと同時に
イネ=ノ先生の姿は掌に落ちて溶けていく雪のように
静かに消えて行った。
…イネ=ノ先生…。
ひざを折るとカーペットに涙をぽたぽたと
零して泣いた。
夢だったんだろうか…?
夢?
いや…違う…。
手首をみると
あれだけカッターナイフで切り刻んだ
無数の傷跡が綺麗さっぱり消えていた。
やっぱり…夢なんかじゃない…
夢なんかじゃ…
きゅっと両手にこぶしを作ってみせる。
と…なんとなく外が騒がしいことに気が付く。
かすかに人の話し声。
車のドアが閉まる音。
誰か来たらしい。
誰だろう…。
ゆっくりと立ち上がると
そっとカーテンをめくり窓の外を見る。
ちょうど家の前の道路を白い車が走り去るところだった。
そして誰かがポーチの門を空けゆっくりと家に向かってくる。
次の瞬間僕は部屋を飛び出していた。
階段を駆け下り、玄関に出ると掛かっていた鍵を開けると
そっとドアを押し開ける。
すると丁度ドアに手を掛けようとしていた人物が僕に気付き
こちらを見つめた。
そこに立っていた人物。
「お兄ちゃん?」
そっと声をかける。
彼の左手小指に注目すると
紫色に光る石の付いた指輪…。
そしてもう一つ、シルバーのリング…。
これはアキレスのだ。
ああ…
あの井戸から無事脱出してきたんだね。
「また会えたね、“竹人君”。」
嬉しくなって思わずリィーンになりきって
言葉をかけた。
すると兄は驚いた表情を作って僕を見つめた。
「僕だよ、リィーンだよ」




