第十六章:交差地点の曲がり角
-1-
病院をでると僕は母の車に乗り込んだ。
夏の季節は当に傾きかけオレンジ色の光が
空一杯に広がりキラキラと輝いていた。
そんな四季の移ろいに心が揺れ動くことはなく
僕はぼんやりと車のドアにもたれかかったまま
前方を流れていく景色を何も考えずにただただ眺めていた。
薬のせいで思考回路の動きが鈍く、
何も考えられない状態に陥っている。
何か考えようとしても強制的に圧力が加えられるような
そんな状態。
「睡眠薬出してもらってよかったわね。
これで今夜からぐっすり眠れるんじゃない?」
ハンドルを切りながら母が言う。
「うん…」
一言、そう発すると僕は母に聞こえないくらいの
小さなため息をついて見せた。
「ねぇ…アイツいつまでうちにいるの?」
「え?」
左折のため左後方を確認しながら母が返事をした。
「だから…アイツだよ。アイツ。」
車が左道に曲がる。
「明人…アイツなんて言わないの。
あなたのお兄さんでしょ?
今はとりあえず自分の体を治すことだけを
考えればいいから…。
お昼ごはん何食べたい?」
「食べたくない。」
「ほらぁ…そういうのがいけないのよ?
お医者様も三食きっちり食べて適度な運動をした方がいいって
仰っていたでしょ?
明人の好きなもの用意してあげるわよ?」
「じゃあ…かじ坂のあんぱんが食べたい」
かじ坂とは近所にあるパン屋さんの名前だ。
「あらいいわね、じゃあパン屋さんに寄って行きましょう」
やがて車は街中を通り抜け住宅街へと入った。
その住宅街の中にこじんまりとしたパン屋さんがある。
駐車場に車を駐車すると
母はシートベルトをはずして車のドアを開けた。
「明人?どうしたの?」
「僕…なんだかしんどいから車の中で待ってる」
「あらそう?
じゃあ何のぱんがいい?
あんぱんだけじゃおなかすいちゃうでしょ」
「お母さんに任せるよ」
そういうと座席のシートを少し倒して
ため息をついた。
薬のせいだ。
頭がぼんやりとして
意欲がわかない。
なんか…
全部どうでもいい…。
どうでも…。
ああ…でも…
…今頃アイツは
学校へ行っている。
新調した新しい真っ白な制服を着て…。
アイツは一体何者なんだ…。
お兄ちゃんの顔をした偽者…。
僕はそう思っている。
顔はそっくりでいくら記憶を無くしているからと言っても
食事の好みががらりと変わるのは不自然だし
ピアノの演奏はまるで別人が弾くような演奏。
いつまで経っても僕ら家族の中に溶け込まず
いまだに敬語を使っている。
もしお兄ちゃんだったら…
本物のお兄ちゃんだったら…
もっと打ち解けようと努力するはずだ。
そう…努力する。
その努力がアイツには一切見られない。
ただたんたんと無表情のまま一日一日を
人形のように過ごしている。
一緒にいてなんとも不気味だし居心地が悪い。
一体アイツは何者なんだ…。
「明人―、たくさん買ってきたわよ?」
そう言って大きなビニール袋を抱えた母が車の中に
戻ってきた。
その瞬間にパンのふんわりとした甘い香りが立ちこめる。
「え?!そんなにたくさん誰が食べるの?」
「一緒に頂きましょう。
あまったら明日の朝食に回せばいいし。」
そういいながら車のエンジンをかけた。
「あ…そうだ…
お母さん…我侭一つ言ってもいい?」
「なに?」
「ちょっと寄って欲しいところがあるんだけど」
「何処?」
「神社。いつもお参りしてたんだ。
最近してないから行きたいんだけど…。」
「そう…。いいわよ。それで明人の気が済むのなら
いくらでも付き合ってあげる」
-2-
母には神社の階段の下で車の中で待っていてもらい
僕は一人お参りに向かった。
10月の神社は静寂に包まれていた。
紅葉するにはまだ少し早く、
木々の葉は深い緑色をしている。
参拝客は僕のほかにはいない。
相変らず急できつい階段を何とかして
息を切らせながら上り切った所で
神社の鐘の音がした。
誰かがお参りしているんだ…
そう思いながら
歩を数歩進めた所ではっとして
足が止まる。
肩まで届きそうなさらさらの髪が風にゆれ
ポロシャツにジーパン姿の少年の背中がそこにあった。
まさか…。
僕が踏んだ砂利の音に気付き少年がこちらを振り向いた。
「………う…そ……」
思わず目が潤む。
「あ…やぁ…」
その少年は僕に挨拶をしながらこちらに近づいてきた。
その間にも僕の瞳は更に潤いを増して行き
視界がにじみ始める。
そして僕の1メートルくらい前まで来ると
足を止め、ニコリと微笑んで見せた。
「明人君、久しぶりだね。」
「………日高君…?
日高君なの?!」
ポロリと涙が零れ落ちた。
「色々心配かけちゃってごめんね。
何度もお見舞いに来てくれたって聞いたよ。
有難う」
その有難うの言葉が終わるか終わらないかのうちに
僕は日高君に思い切り抱きついていた。
「うそ!!いつ?!いつ目が覚めたの?!」
すでに声は涙声だ。
「8月の終わり」
「そんな…」
夏の間僕はずっと日高君とは別の病院に
入院していた。
退院した後も薬の副作用が強く
夏中ずっと家の中に閉じこもっていた。
9月になっても
通院が続き色々とばたばたしていたこともあって
日高君のお見舞いには夏以降一度もいけてないことに
今更ながら気が付く。
「僕、引っ越すんだ」
「え?」
「お母さんが再婚して…秋田に」
「秋田?!秋田って秋田県のことだよね?!
遠いじゃない…」
少し興奮気味で自分でも何を言っているのかよく分らない。
「でも今度は大丈夫な気がするんだ。
新しいお父さんはちゃんと仕事もしてるし
僕に凄く優しくしてくれるしお母さんもお父さんと再婚してからは
凄く幸せそうでいつもにこにこ笑ってるんだ」
「………」
「来週引っ越す。
だから退院してから毎日ここに通ってたんだ。
いつか明人君に会えたらって思って。
でもあえて本当に良かった…。」
「そんな…」
「有難う明人君。
僕ね、夢を見たんだ。
明人君が神社で僕の名前を呼んでる夢。
僕、明人君と出会えた事に何かしらの
運命を感じてるんだ…。」
「…運命…」
「とりあえず最後に明人君に会えてよかったよ。
明人君も元気でね」
そういいながらそっと抱きついていた僕を引き離した。
「じゃ…」
「あ…うん」
「あ、そうそう。一番大事な事を言うの忘れてたよ。」
「なに?」
日高君は僕の耳元にそっと口を近づけた。
「生き返らせてくれて有難う、リィーン先生」
-3-
夕方…すでに日は落ち外は真っ暗だ。
僕はリビングでソファに寄りかかり壁に掛かった時計を
ずっと見つめていた。
別に時間を気にしているわけではない。
ただ、なんとなく視点がそこで定まったからだ。
そして昼間神社での出来事を思い返す。
日高君が残した最後の一言。
あの後僕はひざを崩して一人号泣していた。
我に返った頃には日高君の姿はすでになかった。
泣きすぎて頭が朦朧とし
日高君の姿は僕の理想が見せた夢だったのではとさえ
思えてくる。
あれは…夢だったのだろうか?
だがしかし…確かに
日高君に抱きついたときに
日高君の体温を僕は感じていた。
温かい温度。
柔らかな素材の服の感覚。
日高君の吐息。
どれも生々しく体の感覚に刻み込まれている。
と、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。
ああ…アイツが帰ってきたのか…。
帰ってこなくていいのに…。
まもなくして
台所のドアが開きアイツが顔を出して
ただいまと挨拶した。
「お帰りなさい、お弁当洗うから出しちゃって?」
かばんをあさる音。
「ご馳走様。今日もおいしかったです」
「ふふ…どういたしまして」
弁当袋が開けられ
シンクに弁当が置かれる音…。箸がカチャリと音を立てる。
そして再び台所のドアが閉まり
アイツが階段を上っていく音を聞き届けたところで
やっとため息を一つついた。
この瞳にアイツの姿を映したくない。
意地でもアイツの存在を認めたくないと思う
自分がいた。
「明人、お兄ちゃんにお帰りなさい言ったの?」
「だって!!アイツだって僕にただいまって言わなかったじゃないか!!」
「言ったわよ。明人のほう見てたでしょ?」
「知らないよ!!」
プイッ!とそっぽ向くとソファにおいてあったクッションを
ぎゅっと抱きしめてみせる。
テレビのリモコンが目に入ったので
手に取りチャンネルをあちこち回してみせる。
どれも夕方のニュースの時間で
今日の情勢を淡々と伝えているものばかりだ。
つまらない。
電源を切るとまた一つため息をついた。
そこへアイツが二階から降りてくる。
「これは何ですか?」
ガサリとビニール素材の音がする。
「ああ、これ?
今日かじ坂でパン買ってきたのよ。
竹人も好きでしょ?
今日はもう夕飯前だから
明日の朝にでも食べなさい」
「はい。」
台所から母と兄の会話が聞こえるが
兄は相変らず敬語のままだ。
ふん、よそよそしいんだよ!
もう一度テレビの電源を入れ
一番騒がしそうな番組でチャンネルを固定する。
少ししてあいつがこちらへやってくる気配がして
思わず息を飲む。
内容の入らないテレビに視線を集中させた。
斜めにあるソファに腰を下ろす気配。
ティーカップの飲み物を一口啜る音。
コツンとテーブルにカップが置かれる音。
そして
ふわりと漂う
苦いコーヒーの香り…。
またこいつ!!
「いい加減にしろよっ!!」
思わず立ち上がると自分のティーカップを手で払う。
ティーカップが音を立てて割れた。
「明人!」
母親の怒鳴る声がダイニングに響く。
「違う!!
みんなだまされてるんだよ!!
こんなのお兄ちゃんじゃない!!」
そういい終えるか終わらないかのうちに家族を置き去りにし
部屋を飛び出すと
階段を駆け上がった。
自室に飛び込むとわざと大きな音を立ててドアを
バシン!と閉める。
ベッドに身を投げ込むと
枕を抱え込み、泣いた。
お兄ちゃんは…
お兄ちゃんはコーヒーなんか飲まなかったじゃないか!!
コーヒーなんて!!
アイツはやっぱりお兄ちゃんじゃない!!
お兄ちゃんじゃない!!




