第十五章:冷たい涙
-1-
「あら…明人…、食欲ないの?」
僕が朝食に手を付けずにぼんやりとしていると
母が心配そうに僕の額に手を当てた。
「熱はなさそうだけど…少しでもいいから食べていきなさい?
元気でないわよ?」
「……うん」
「折角お兄ちゃんも帰ってきたんだし。ね?」
「………」
母に言われて隣に座る兄の顔を確認した。
お兄ちゃんは無表情のまま食パンにかじりついている。
「あれ?何もつけないの?」
いつも食パンにはマーガリンを塗っていた事を思い出し
聞いてみるがおにいちゃんはちらりと僕を見ただけでまた
無言のまま食パンを食べ続けた。
「竹人、何飲む?」
母がお兄ちゃんのマグカップを持ちながら兄に聞いた。
するとお兄ちゃんはゆっくりと顔を上げたがその様子が
まるで機械でできたロボットのような不自然な動きに見えた。
なんだろう…この違和感…。
「何があるんですか?」
「なんでもあるわよ。コーヒー、紅茶、緑茶、オレンジジュース」
するとお兄ちゃんは少し考えるそぶりを見せた後
再びあの不自然な動きをしながら一言、コーヒーと答えたので
僕は驚いて声を上げた。
「めずらしいね!!お兄ちゃんがコーヒー飲むなんて!!」
しかしお兄ちゃんは僕の言葉にはなんの反応も示さない。
………。
なんでこんなに無表情で無反応なんだろう…。
それに口調も敬語だ。
今確かに目の前にいるのは僕のお兄ちゃん、のはずなのだが
なんだか…少々気味が悪い…。
これも記憶を無くしているせいだからなのだろうか?
ゆっくり考える。
もし逆の立場だったら?
ああ…確かに…
家族とは認識しつつも記憶があいまいな人たちと過ごすのは
辛いかもしれない。
自分の事も良く分っていないのかもしれないし…。
こうなったら僕がもっとリードしてお兄ちゃんの記憶を引っ張り出してあげれば
いいんだ!!
「お兄ちゃんは前は良く紅茶とかオレンジジュース飲んでたよね。
覚えてる?」
しかし相変らずお兄ちゃんの反応は薄い。
「いや。」
と無表情のまま一言発しただけだった。
母からコーヒーの入ったカップを受取ると、
なぜか不思議そうにカップの中を眺めた。
そして香りを嗅ぐ。
「変わった香りだね」
そういいながら一口ブラックのままコーヒーを啜ってみせる。
やっとの事でようやく短い文章の言葉を発した。
それが嬉しくて少しだけ頬が緩んだが次の瞬間には
頭の中では処理しきれない違和感で一杯になっていた。
“変わった香り”
?
まるでコーヒーの香りをはじめて嗅いだみたいな口ぶりだ。
なんだろう…?
どういう意味?
お兄ちゃんはコーヒーを何度か啜って目をぱちくりさせた。
「?どうしたの?」
「いや…なんでも…」
「苦かったら砂糖とミルク入れたら?」
そう言ってテーブルの上に置いてあるシュガーポットとコーヒーミルクの入ったカップを
差し出す。
「いや…このままで大丈夫」
そう言ってお兄ちゃんはもう一口コーヒーを啜って見せた。
「明人、そろそろ行かないと遅刻するわよ?
ヨーグルトだけでもいいから食べちゃいなさい。
今日は終業式で終わりでしょ?
残りは帰ってきてから食べればいいから。」
母に促され仕方がなくフルーツヨーグルトを
スプーンで何口か口にして席を立った。
-2-
夏の始まり。
玄関のドアを開けると
シャワシャワと鳴く蝉の鳴き声に包まれる。
今日も暑いなぁ…。
この蝉の鳴き声は僕にあの記憶を思い出させる。
そう…蝉時雨に包まれて桜の木の枝で…。
日高君…。
今も意識が戻らないまま病院のベットに眠っている。
たまにお見舞いに行くこともあるし、
僕の掛かり付けの病院でもあるので
入院したときは体調さえ許せば毎日
日高君のベッドの横に座っていたこともある。
それが昨日見ていた夢とリンクした。
そう…久しぶりにあの夢の続きを見た。
僕は死んだはずなのに蠍座守護神の復活のためにと
蘇らせられそして囚われの身となった…。
なんとなく気分が優れないのはその夢のせいでもあった。
それに…
夢に出てくる人物と僕の現実世界の中で接する人間がリンクしていたが
日高君も例外ではなかった。
そう…
ヒユ。
日高君とヒユは瓜二つだったのだ。
夢の中ではなんとかヒユは一度命を落とすも助かることに
成功している。
しかし日高君は…依然…。
そういえば最近入間先輩と会っていない。
以前指輪の話しをして、見えてると言ってくれてそれは嬉しかったのだが
その後の話しが上手く理解できなかった。
それに暫く夢の続きも見ていなかったし…。
ああ…そうだ、
入間先輩にもお兄ちゃんが戻ってきた事を教えた方がいいかも!
絶対に喜んでくれるに違いない。
お兄ちゃんを入間先輩に会わせればいい刺激にもなるし
もしかしたら記憶の一部でも思い出せるかもしれない。
そうこうしているうちに小学校へとたどり着く。
他の多くの児童にまぎれて校門をくぐった。
教室に入って自分の席についてからも僕はずっと入間先輩に
一刻も早く連絡をとりたくてそわそわしていた。
驚くだろうか…。
朝の会が終わったらトイレの個室で隠れて携帯メールを打ってしまおうか…
ああ…でも入間先輩も今頃学校だし…。
迷惑かな…。
そわそわしている間にも朝の会は無事終わり
全員が校庭へと集まった。
そこで校長先生の話しなどを少し聞いて終業式は終わるわけなのだが…。
早く終わらないかな…。
朝礼台で挨拶をする校長先生の口元をじっと見つめた。
蝉の鳴き声が耳の奥にじわじわと響いてくる。
息がなんとなく詰まる。
蝉の鳴き声…。
ふと脳裏に浮かぶ桜の木の枝…
日高君…。
そういえば…久しく日高君のお見舞いに行っていない。
まだ意識は戻らないのだろうか…。
意識…。
もし…
もしこんな時、
僕にリィーンみたいな力があったら
日高君の意識を取り戻すことができるだろうか?
できるだろうか?
ゆっくりと瞳を閉じた。
そして頭の中で集中する。
思い浮かべるのは
1年前に会った、まだ元気な頃の
日高君の姿。
ビールケースに座りながら
何処となく切なげな表情を見せていた日高君…。
背景にはあの桜の木が青い葉を生い茂られせながら
風にさらさらと揺れていて葉の隙間から
夏の白い光がきらきらとこぼれていた。
ねぇ…
こっちを向いて。
ねぇ、日高君。
こっちを見てくれない?
僕だよ、明人だよ。
すると、ずっと横を向いていた日高君が僕に気付き
こちらを振り向いた。
あ、良かった…気が付いてくれた?
僕だよ。
ねぇ、日高君、僕の声、聞こえる?
ねぇ。
日高君。
ねぇ…。
ねぇ…
……。
-3-
「…明人」
優しくそう名前を呼ばれ僕ははっと気が付く。
目の前に心配そうに僕の顔を覗きこむ兄の姿があった。
「……お兄ちゃん…?」
「気が付いたみたいだね」
すると隣でカーテンレールがすべる音が聞こえ
もう一人大人の女性が顔を出した。
「良かった、気が付いたみたいね。
体調はどう?」
保健の先生がにこりと微笑んだ。
ゆっくりと体を起こす。
「式のときに倒れたのよ。覚えてる?」
「え…そうなんですか…。」
そういわれながらもなんとなく頭が朦朧とする。
「迎えに来たよ。帰れそう?」
「え?お兄ちゃんが?
学校の場所分った?」
するとお兄ちゃんは無表情のまま言葉を続ける。
「いや、
お母さんに聞いたんだ。
僕も通った小学校のはずなのにね。
でもここへ来る事はきっといい刺激になるからって」
「…そう」
ゆっくりとベッドから起き上がり差し出されたお兄ちゃんの手をとる。
お兄ちゃんの指先は、
なぜか氷のように冷たかった。
蝉時雨。
朝、一人で来た通学路を今度はお兄ちゃんと一緒にたどった。
しかしお兄ちゃんはずっと無言のままだ。
なんとなく息苦しい。
「そうだ…ねぇ、お兄ちゃん神社行かない?」
「え?…神社?」
「お礼参り。
僕ね、お兄ちゃんがいない間ずっと神社にお参りして
お兄ちゃんが早く帰ってきますようにってお願いしてたんだ。
お兄ちゃんが帰ってきたこと神様に報告しなくちゃ。
ね、付き合ってくれる?」
「いいよ。」
お兄ちゃんは無表情のまま即答した。
なんだろう…。
思わず小さく唇をかんだ。
やがて神社にたどり着くと長い階段を上った。
息を切らせながら上る僕の後ろを
無言のままお兄ちゃんが付いてくる。
社の前にたどり着くと僕は
お財布から5円玉を取り出し賽銭箱に投げ入れた。
鐘を鳴らし手を合わせて僕は目を閉じる。
その横でお兄ちゃんは何もせずただただじっと
僕のその様子を見守っていた。
「よし!これで大丈夫。」
顔をあげた次の瞬間真横で鈴の鳴る。
お兄ちゃんだ。
僕のマネをして手を合わせる。
お兄ちゃんが顔を上げたので
僕は何をお願いしたの?と聞いてみた。
「挨拶」
「え?」
しかしまたお兄ちゃんは黙り込み
神社をぐるりと見渡した。
お兄ちゃん…。
なんだろう…。
なんか…。
なんか…。
神社から家に帰る間僕らは一言も言葉を交わすことはなかった。
ただただ無言のまま家にたどり着く。
家に帰るとまずお母さんが心配そうに台所から顔を覗かせて見せた。
「明人、大丈夫?」
「あ、うん…ちょっと眩暈がしただけだから大したことないよ。
お兄ちゃんも迎えに来てくれたし。」
ね?とお兄ちゃんの顔を見たが
やはりお兄ちゃんは無表情のままだった。
「お昼食べたら買い物に行きましょう。
お兄ちゃんの洋服買いにいかなくっちゃ」
「え?」
「昔の服じゃサイズが合わなくて全部着れないの。
かと言ってお父さんの服じゃ大きすぎるし。
明人も行く?」
「行く!」
即答した。
「じゃあお昼作るからそれまでゆっくりしてなさい」
そう言われたので僕はお兄ちゃんの腕を引っ張った。
「ねぇお兄ちゃん。ピアノ聞かせてよ!
久しぶりにお兄ちゃんのピアノ聞きたい!!」
「…ピアノ…?」
「そうだよ、ね!行こ!行こ!!」
そういってお兄ちゃんの腕を軽く引っ張りながら家の中にある
音楽室へとやって来た。
この部屋は普段お母さんがレッスンで使っている部屋だ。
20畳近い大きな部屋にグランドピアノと応接セット、
本棚が置かれている。
「さ!座って座って!」
そう言ってお兄ちゃんをピアノ椅子に座るように促す。
黙ってそれに従うお兄ちゃん。
ピアノのカバーを開けフェルトカバーを取ると
キラキラと輝く白と黒の鍵盤が姿を現した。
「綺麗だ」
お兄ちゃんがぽつりとそう呟いた。
久しぶりだから感動しているのだろうか?
「ね!なんでもいいから弾いて!
弾けば昔の事思い出せるかもしれないよ?」
しかしお兄ちゃんは手をひざの上に置いたままただただ
黙って鍵盤を見つめるばかりで弾こうとしない。
弾き方を思い出せないのだろうか?
しばしの静寂。
背後にある大きな窓から差し込む
光が逆光となってお兄ちゃんが白く光り輝いてみえた。
僕が変わりに弾こうとかと言おうとしたとき、
お兄ちゃんは一呼吸深呼吸をし、
ゆっくりと鍵盤の上に手をふわりと乗せてみせた。
そして…ゆっくりと奏でられた曲。
これは…
ヴィターリのシャコンヌ…。
もともとはバイオリン曲なのを
お兄ちゃんがピアノでアレンジして弾いている。
しかし…何かがおかしい…。
そう…伴奏だ。
たしかにメロディに合わせて華やかさは保っているが
なんだ、このアレンジは…。
それに…この弾き方…。
なんだろう…。
なんだろう…。
なんか、
なんか、気持ち悪い…
気持ち悪い!!
やがて10分弱の曲が終わったとほぼ同時に
音楽室のドアが開いてお母さんが顔を出した。
「今の誰が弾いたの?」
僕が無言のままお兄ちゃんとお母さんの顔を交互に見た。
「竹人なの?」
お母さんが部屋に入ってくる。
「変わったアレンジをするわね。」
そういいながらもお母さんはにこにこと微笑みながら
両手で拍手してみせた。
「嘘だっ!!」
僕の叫び声が部屋に響いた。
「嘘だ!!お前はお兄ちゃんなんかじゃない!!
お前は偽者だっ!!」
応接セットのソファにあったクッションを手に取ると
そいつめがけて思いきり投げつける。
「ちょ!明人どうしたの、急に!!」
「こいつお兄ちゃんじゃない!!
お兄ちゃんはこんな弾き方しない!!」
そう言い放つと僕は音楽室を飛び出し
二階の自室へと飛び込んだ。
ベッドの上に倒れ込むと
声を上げて泣いた。
お兄ちゃんじゃない!!
違う!!
違う!!
あんなのお兄ちゃんじゃない!!
お兄ちゃんじゃ!!
お兄ちゃんはあんな弾き方しない!!
あんな弾き方!!
-4-
「どうしたの…その顔…何かあった?」
泣きはらして腫れた僕の目を見て入間先輩は驚いて見せる。
いつものコーヒーショップで僕は入間先輩と待ち合わせた。
注文したアイスティーには全く手をつけず
ただただ無言のまま入間先輩を待ち続けていた。
「射川…お兄さんが戻ってきたって本当?」
そういいながら入間先輩は向かいに席に腰を下ろす。
真っ白な満天星学園の夏服だ。
「…はい…」
あの後僕はすぐ入間先輩の携帯に連絡をいれ
一刻も早く会いたいと連絡を入れたのだ。
そして兄が戻ってきた事を告げると
入間先輩は今日にでも会ってくれると言ってくれ
いつものコーヒーショップで待ち合わせることになった。
一呼吸置くと僕はお兄ちゃんが帰ってきてからの
あらましを説明して見せた。
「…もしかして喧嘩でもしたの?」
「…………」
「そうなんだ…」
そういいながら注文した自分のアイスティーに一口口をつけて見せた。
「で、お兄さんは元気なのかな?」
「…違うんです?」
「え?」
「お兄ちゃんじゃないです」
「?」
「お兄ちゃんにそっくりの偽者なんです…
偽者がいるんです!!
あんなの僕のお兄ちゃんじゃない!!
お兄ちゃんじゃない!!」
思わず大粒の涙をこぼした。
「どうしたの?
偽者ってどういう事?」
「さっきお兄ちゃんにピアノ弾いてもらったんだ。
そしたらお兄ちゃん…
凄くめちゃくちゃな演奏をしたんです…。」
そう話している間にも涙はぼろぼろと零れ落ちていく。
「…一体何を演奏したの?」
そういいながら入間先輩は綺麗にアイロンが掛かった
チェック柄のハンカチを僕に差し出してくれた。
それを受取り涙を拭う。
「ヴィターリのシャコンヌをピアノで演奏したんです。
でもアレンジがめちゃくちゃだし、
それに…お兄ちゃんはあんな表現の仕方はしない…。
絶対にあれはお兄ちゃんの弾き方じゃない!!
絶対に!!」
またポロリポロポロと涙が次から次へとこぼれてくる。
「うーん…僕は実際に射川の演奏を聴いたわけじゃないから
分らないけど…
でも、2年間の間に色々あって表現方法が変わったとかない?」
「違う違う!!」
即座に首を左右にぶるぶると振った。
「違う!!
違う!!あんなのお兄ちゃんじゃない…!!
お兄ちゃんじゃ…」
「明人君…少し落ち着いて…ね?」
興奮して訳が分らなくなっている僕を入間先輩は優しくなだめた。
「あまり興奮すると体に障るよ。
アイスティー一口飲んで。
ね?
クールダウン、クールダウン!」
促され仕方がなくストローを吸って
冷たいアイスティーを体内に流し込む。
だがまたじわりとぶり返してくる悔しさと悲しみが
抑えきれなくなってそれが涙となって零れ落ちる。
「明人君…少し散歩でもしない?
外の空気を吸った方がいいんじゃないかな?」
涙でじんわりと湿った入間先輩のハンカチで再度涙を拭うと
僕は静かに頷いて見せた。
二人して席を立つと
冷房の効いた室内から夏の蒸し暑い空気の中に出る。
相変らず暑い…。
一瞬くらりと眩暈を覚えたがなんとか状態を立て直し
歩き出す。
「今日は少し風があるから涼しいね」
風…?
入間先輩の言うとおり、気温は高いが
さわやかな心地よい風が吹いていて体感温度が下げられる。
「そういえばこの前来た時気になってたんだけど
あのでっかい建物なに?」
そう言ってその建物を指差した。
アーチ上の巨大なオブジェのようなものが
本体の建物に寄りかかるようにくっついている。
「ああ…アースプラザだよ。
地球をテーマにした講演会とか映画上映とか…あとたまに
コンサートもやったりしてるんだ。行ってみる?
常設展とかもたしかあったと思うし。」
そういいながらプラザのほうへ足を進めだす。
「明人君…大丈夫?歩くのしんどくない?」
「え?大丈夫だよ…」
そういいながらも軽く息切れを起こしていることに気が付く。
お兄ちゃんのことで興奮気味だったからだろうか…。
プラザに向かって作られた階段を上っている最中に
しんどくなって思わずひざに両手を置いた。
「明人君…ここで座ろうか、ちょうど日陰だし…。」
そう言って入間先輩は階段に腰を下ろして見せたので
僕もその隣に座る。
今日は特にイベントがないのだろうか?
プラザの周りは人がまばらだった。
「そういえば…またあの夢の続きを見たんです」
「え?」
「夢です…指輪の世界の…」
「ああ…」
そういいながら入間先輩は学生かばんからペットボトルを取ると
キャップを空け僕に差し出した。
「お茶。まだ口つけてないから綺麗だよ」
「あ…すみません…」
そういってペットボトルを受取ると一口口をつけた。
微妙に生ぬるい。
だがそのぬるさが胃を刺激せず今の僕にとって丁度良い温度となっていた。
「それで、どんな夢をみたの?」
再度僕が差し出したペットボトルを受けと言って
入間先輩は小首をかしげながら聞いてきた。
「それが…
僕は死んだはずなのに…
お兄ちゃんにそっくりな神様…イネ=ノって言うんですけど
その人の力で蘇るんです。
それで、蠍座の神様をよみがえらせて欲しいって頼まれて…。
僕はそれにしたがって蠍座の神様を蘇らせるんですけど
僕の力が足らなかったのかどうなのかは良く分らないけれど
なんとか蘇った蠍座の神様は重い病気に掛かっているらしくて…
あの…こんな感じの夢なんですけど…大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫!ちゃんと付いていってるよ。
で?その後どうなったの?」
「はい…
僕は蠍座に囚われてしまうんです。
深い井戸の底に閉じ込められてしまうっていうか…。
指輪の世界の僕は人の心が読める超能力みたいな力があって、
その力を蠍座のために使って欲しいって言われるんです。
…僕が今回見た夢はそんな感じで終わりました…。」
「なるほど…スズ=タケかな?」
「え?!なんで知ってるんですか?!」
すると入間先輩はクスリと笑って見せた。
「この前も言ったでしょ?
僕も明人君が言う指輪の世界の住人の記憶を共有してるって。
その夢の中でアキレスとも会ったでしょ?覚えてる?」
「…はい…。
あの…入間先輩は…アキレスなんですか?」
「そうだよ。」
入間先輩は優しく目を細めながら即答した。
「僕はアキレスの化身。
そして明人君はリィーンの化身。
不思議だね。僕ら同じ世界の記憶を共有している。
何のためなのかは僕にも分らないけれど、
でもなんだか面白そうだと思わない?」
「…どう…なんでしょう…。正直僕には分らない事だらけなんです。
それに今はお兄ちゃんのことで一杯一杯だし…。」
「まぁ、確かにそれはそうだけどね。」
そういうと入間先輩はペットボトルのお茶に一口口をつけて見せた。
「そうだ…明人君は蠍座守護神に会ってみたいと思う?」
「え?どういうことですか?」
「だって明人君は不思議に思わない?
僕らの現実世界に出てくる人物と同じ顔をした夢の世界の住民。
アキレスが僕、リィーンが明人君、イネ=ノ様が君のお兄さん…
だとしたら蠍座守護神もこの世界に存在していたってなんらおかしくないと思わない?」
「…それは…まぁ…確かにそうかもしれませんが…。
でも…僕には良く分らないんです。
蠍座守護神の意識の中に二回もぐったことがありますが…。
心が上手く読めないんです。
相手が神様だからなのかもしれないけれど
それにしても…なんていうか…
一人の相手の意識を見ているはずなのにまるで二人いるみたいな感覚っていうか…
上手くいえないんですけど…」
「そうだよ、それが蠍座守護神の特徴なんだよ。
蠍座守護神は一種の人格障害みたいな病気を患ってる。
だから二つの人格を明人君は意識の中でみたのかもしれないね。」
「…二つの人格?」
「そうだよ。
蠍座守護神の中には二人の人格が宿っている。
一人は蠍座本来の姿を持つスコーピオン。
もう一人はスコーピオンとは対照的で花の好きな優しい男の子、キク=カ。」
「…キク=カ…。
あ…そういえば…イネ=ノ先生が言ってました。
キク=カをよみがえらせて欲しいって…。
でも…そうだ…そう考えると辻褄が合うかもしれない…。
僕が蘇らせてしまったのはもしかするとキク=カじゃなくて
スコーピオンのほうだったのかもしれない」
「そういう事。
だからこの世界にいる蠍座守護神の化身がスコーピオンなのか、
キク=カなのか、興味深いよね。」
「…確かに…。それとも…二重人格だったり?」
「あは…そうだったらちょっと怖いね。
明人君は蠍座守護神のこと、どう思ってる?」
「どう…。そうですね…
確かに…スコーピオンは怖いけどキク=カの方は会ってみたい気がします。
直接ちゃんと会ったわけじゃないから実は蠍座守護神のことよく知らないし
余計に…。
そうだ…蠍座守護神の意識の中で泣いていた男の子はキク=カだったのかもしれない。」
「泣いていた?」
「はい…泣いていました。助けてって…」
「……助けて…か。」
あれはなんだったんだろう。
今になって考えてみる。
小さな男の子は僕に助けを求めていた。
それは…スコーピオンから逃れたいという意味だったのだろうか?
それに…僕は…今のこの姿も蠍座守護神そっくりだ…。
姿を奪われたまま僕は射川明人としてここにいる。
それは一体何を示すのだろう…。
「きっといつか…会えるかもしれないね。」
「はい…ちょっと怖いですけど…。
でも…入間先輩がいるから…大丈夫ですよね?」
ちらりと入間先輩の方を上目遣いで見る。
「え?
あはは、僕を頼ってくれるの?
勿論!
僕が明人君を守るよ…。
明人君…君はリィーンの最後の記憶を近々見るかもしれない。
そしたら分ると思うよ。
僕を信じて。
僕が明人君を守る。」
リィーンの最後の記憶?
リィーンの記憶にはまだ続きがあるのか?
…そうか…。蘇って井戸に囚われた後どうなったのか
僕はまだ知らない。
きっと幸せな夢でない事は…なんとなく想像が付く…。
でもこの夢が一体何を意味しているのかは依然分らないままだ。
それにこの指輪も…。
「あ…そういえば入間先輩は指輪してないんですね。僕の指輪は見えるのに。」
「え?…ああ…アキレスの指輪は君のお兄さんが持ってるよ。」
「お兄ちゃん?」
「今君の家にいるお兄さんではないよ。指輪の世界にいる、ね」
「?」
「そうだ…お兄ちゃん…
家にいるのは別人なんです…。
ああ…どうしよう。
帰りたくない…。
顔はそっくりなのに…
ああ…そうだ…お兄ちゃんというか…イネ=ノ先生になんとなく
雰囲気が似てるかもしれないです。」
「ふふ…案外その通りかもね?」
「え…?…今僕の家にいるのがイネ=ノ先生本人って事ですか?」
「もしかしたらってね。
でも…お兄さんは記憶喪失に掛かってるんでしょ?
もう少し時間が必要なのかもしれないよ。
お兄さんにも、
明人君にも。ね。」
「……時間…でも…あまりにも無表情で…人形みたいで
一緒にいるだけでなんだか気持ち悪いです」
「だからさ、時間だよ、時間。
お兄さんだって辛いと思うよ?
自分の記憶が取り戻せなくて。
少し時間が掛かるかもしれないけど明人君も
見放さないでもう少しお兄さんの力になってあげてよ。
ね?
いつか君のお兄さんの記憶が戻ってくるって信じてさ。」
「…お兄ちゃんの記憶…」
またじわりと涙が湧き出してきた。
「僕も…辛いです。
お兄ちゃんは目の前にいるのに…
なのに…
まるで別人みたいで凄くよそよそしくて…。
それに僕にも敬語を使うんです…。
これこそ…本当に悪夢です…。
折角…
折角帰ってきてくれったっていうのに…」
「明人君…
また辛くなったらいつでも言って?
すぐ駆けつけるから。
そしたらたくさん話しを聞いてあげるよ?」
そういいながら入間先輩はお得意のウィンクをして見せた。
「有難うございます…」
そう礼を言いつつも
僕の心は不安で不安で、今にも押しつぶされそうだった。
苦しい…。
歯がゆい…。
お兄ちゃん…。
お兄ちゃん…!!
僕の知っているお兄ちゃんは何処にいるの?!
お兄ちゃん!!
お兄ちゃんっ!!!
もう…どうしたらいいのか分らない…。
分らないよ!!
お兄ちゃん…
お兄ちゃん!!
-5-
勢いよくパシッ!!と音がして
僕の右手をすばやくつかまれ驚く。
「明人…だめだよ」
つかまれた手に力が入り、
僕が持っていたカッターナイフを奪い取られる。
「そんな事をして何になるんだい?」
「……さい…」
「え?」
「うるさいっ!!
お前なんかお兄ちゃんじゃない!!
僕にさわるなっ!!!」
空いていた左手でそいつを思いきり突き飛ばし
僕のベットにぶつかるようにして倒れ込んだ。
「僕の部屋に勝手に入ってくるな!!
出てけ!!
出ていけよぉっ!!
出てけーっっっっ!!!」
騒ぎを聞きつけてお母さんが部屋に飛び込んできた。
「一体何の騒ぎ?」
「お母さん…、明人がこれを」
そう言って出ていたカッターナイフの刃をしまい、それを差し出す。
「まぁっ!!明人!!
またそんな事を!!」
ふわりと、僕はお母さんに抱きしめられた。
温かい…。
でも冷たい液体が零れ落ちる。
僕の瞳から、ポロポロと…。




