怪物と呼ばれた日
その日、弟は始終おかしかった。
その日は金持ちの子息達の馴れ合いのために用意された食事会が行われていた。
諸事情あって遅れてしまったが、あとなんでか知らんが途中で一回弟が行方不明になったがすぐに帰ってきたし、それ以外は特に何もなかったはずだった。
……いや、そういえば一人顔色を真っ青にした女の子がきょうだいに連れられて途中で帰ったのだったか。
だが、トラブルやめぼしいことはそれだけだった。
だけど弟はおかしかった。
それに気付いたのは件の令嬢とそのきょうだいが帰った後のことだった。
つまり、弟がどこかから戻ってきた直後。
弟はやたらと上機嫌だった。
いつもなら愛想笑いを適当に浮かべているだけなのに、妙に楽しそうに、嬉しそうに。
美しすぎると評判な弟がそんな調子だからだろう、食事会の参加者は皆浮き足立っていて、全体的に妙な雰囲気になっていた。
それでもその後は特になんのトラブルもなかったからほっとした。
帰りの車で隣に座った弟が、妙に嬉しそうな顔で自分に話しかけてきた。
「ねえねえ兄様」
「なんだよどうした?」
やはり何かがおかしかった。
いつもならただ少しだけ嬉しそうな形で固定された笑みしか見せないのに、今日に限っては何故か本当に嬉しそうな艶のある笑みを浮かべている。
年相応に子供っぽくもあり、そのくせどこか妙な色気と妖しさのある笑顔に妙なものでも口にしたのではないかと心配になった。
「あのですね。ええと、確か魔法薬の会社の令嬢さん……」
「……ええと、途中で具合悪そうに帰っていった子か? それともその子の妹の方?」
確かあの娘達は魔法薬の製造会社の大手である花山院家のご令嬢だったはずだ。
どちらかはわからないが、どうかしたのだろうか?
「姉の方ですね。妹が心配だっていってたので。それでその子がですね、僕のことを怪物っていったんです」
「……はぁ?」
怪物という言葉も意味が不明、いやわからなくもないが、何故そんなことを言われたと話す弟がこんなにも嬉しそうな顔をしているのだろうか?
昔から何を考えているのかよくわからない子供だったが、今日に関しては輪をかけてわからない。
「人並外れたおそろしい怪物だっていってました。すごくすごくすごぉく、怖そうな顔で! こわくてこわくて仕方なさそうに!!」
あはははははは、と弟は口を大きく開けて大笑いした。
すごく楽しそうに、すごく嬉しそうに。
「……で? なんでそんな嬉しそうなんだ? というかあのご令嬢、面と向かってお前にそんなこと言ったのか?」
ひょっとしてあの時あのご令嬢が気分を悪くしていたのは、この弟が何かをしたからなんじゃないだろうか?
そうだったら問いたださなければ、と思ったが弟は首をふるふると振る。
「面と向かって、っていうのはちょっと違いますね。僕はあの時地味な女の子の姿に変身してたので」
そうして何かを思い出したのか、くすくすと笑いだす。
「弟よ、全体的に意味がわからないから順を追って説明してくれ。理解力のない兄はお前がなんでそんな嬉しそうなのか皆目見当もつかん」
「はい。わかりました」
と言って弟は状況を説明し始めた。
楽しそうに嬉しそうに。
ここまで楽しそうにしているのを見たのは初めてかもしれない。
話を聞いてみると、あのご令嬢は弟の顔を見て、何かおそろしいものを見るような顔をしたらしい。
気になって笑いかけてみれば更に顔色を悪くしてバルコニーに逃げていったから、地味な女の子の格好に変身してあのご令嬢に接触したらしい。
ご令嬢を心配しているていで女の子に化けた弟が話を聞いてみると、ご令嬢は弟のことを怪物だといったらしい。
美貌であれ、頭脳であれ、なんらかの才能であれ、人並みを外れすぎている何かを持っているものは怪物に見える、と。
確かにわからなくもない話だった、むしろしっくりくる話だった。
天使だ神の子だと持て囃されるこの弟の容姿は、そう呼ぶよりも怪物だとか悪魔と呼んでしまったほうが相応しいのかもしれない。
自分は弟の美貌に魅せられ破滅した人間を何人も知っているから、余計にそう思った。
弟はご令嬢の事をやたらと嬉しそうに話し続けた。
ご令嬢は弟が見ていたのが彼女自身ではなく彼女の妹であると勘違いしていたらしく、弟に魅入られたかもしれない妹の事を随分と心配していたらしい。
目をつけられたのが自分であることに気付かずに、妹を見捨ててしまったと後悔していたそうだ。
そしてかわいそうなことに、ご令嬢は最後に自分を心配してくれた少女の正体に気付いてしまったらしい。
そうして脱兎のごとく逃げたそうだ。
そりゃあ逃げるだろう。自分だったとしても同じ事をする。
「追いかけようかなって思ったんですけど、とっ捕まえたら面白そうだとも思ったんですけど……今日はもういいかなって、あれ以上やるのはかわいそうかなって」
にこにこと天使のように弟は笑う。
その笑顔を見てあの時のご令嬢の顔を思い出す。
かわいそうなほど顔を真っ青にしていたあの時の彼女の顔を。
「ねえ兄さま。」
「なんだ?」
「あの子だったら、僕が殺しても笑わないでいてくれますよね?」
「……っ!!?」
心の底から歓喜しているような弟の顔を見て、2年前のことを思い出す。
月が綺麗な夜だった。
2年前、弟の美貌に嫉妬したとある男が弟を殺そうと幾人かの暗殺者を送り込んできたのだ。
だが、幼いながらも異常に強い魔力を持っていた弟は、その全てを返り討ちにした。
事態を知った自分達が弟の元に駆けつけた時には弟は血まみれで、周囲には恍惚とした笑みを貼り付けて絶命した暗殺者達の死体が転がっていた。
血まみれの弟に声をかけると、弟はうわごとのようにこう言っていた。
みんなみんなころしてしまった。
みんなみんなこういった、こんなにうつくしいものがおわらせてくれるのなら、とてもしあわせだって。
その後どうなったのかは実はよく覚えていない、自分は何かを弟に言ったような気がするが、思い出せなかった。
ああでも『どうしよう』と思っていたことだけは思い出せる、このままだと弟が捕まってしまう、と。
結局父親があの事件そのものを揉み消したから、弟が捕まることも弟が人殺しであることが知れ渡る事もなかったのだが。
――思えば、あの頃が境だったような気がする。弟の美貌が人間離れし始めたのは。
「あの子だったら、僕が殴っても嫌がってくれますよね? 僕がひどいことを言ってもきっと泣いてくれるし、あの子の大事なものを壊せば怒ってくれますよね?」
「……だとしたら、どうしたいんだ?」
わかりきった答えを聞いてみる。
ああ、かわいそうに。
あのご令嬢はきっと逃げられない。
怪物に魅入られた人間の末路なんて、わかりきっている。
弟は案の定、あのご令嬢が欲しいと言った。
父親にお願いして"こんやくしゃ"にしてもらうのだと、楽しそうに嬉しそうに。
そうやって笑う弟の顔は恋する無垢な少年に見えなくもないが、自分には違う何かにしか見えなかった。
怪物、化物、悪魔、天使、神の子。
血の繋がった弟であるはずなのに、人とは違う別の生き物であるように思ってしまった。




