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怪物に遭った日  作者: 朝霧


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怪物に遭った日

 ああ、あれは怪物だ。

 遅れてやってきたそれを見て真っ先に思ったことがそれだった。

 それは金持ちの子息達の馴れ合いのために用意された食事会でのことだった。

 一応はそこそこ有名な魔法薬の製作会社の社長令嬢である私と、私の三つ上の兄と一つ下の妹がそこに呼ばれてしまったのは仕方のないことではあったのだろう。

 それの噂は聞いたことがあった、この国一の魔法道具の製造会社の社長の三男坊がとんでもなく美しい少年であるということは。

 天使みたいだとか、神の子みたいだとか。

 噂だからどうせ誇張表現だと思っていたのだけど、どうやら実際はそれでも足りないくらいであったようである。

 あれは怪物だ。

 あれだけ美しいくせに、美しいというだけで人の領域を軽く超えてしまっているのに人の形を保っていることそのものが異常だった。

 あれはとてもおそろしいものだ。

 関わったら破滅する、そうでなくともおそろしい目にあうことになる。

 本能的にそれを悟った。

 それにお祖母様も言っていた、見た目であれ頭脳であれ才能であれ、人の領分を超えた何かを持つものはおそろしい怪物であるのだと。

 実際そういう人を知っていた。

 神様みたいに頭がいい天才を知っているから、それはよくわかる。

 それに御伽噺でも時折目にしたことがある、美しく力あるおそろしい怪物のお話を。

 そして、人を魅了する怪物は人を恐れさせる醜い怪物よりも怖ろしく厄介なものである。

 あれには関わってはならない、そう思いながら周囲を見渡して絶句した。

 誰も彼もが、その場にいたほとんどの人間が、それに魅了されていた。

 天使にでも出会ってしまった愚かな人間のように、神を崇拝するしかない哀れな人間でかのように。

 兄と、それから妹も。

 誰もあれをおそろしいものであると認識していないらしい。

 そのことに愕然とする。

 自分がおかしいのではないのかと一瞬思ったけど、これだけの人間をその存在だけで圧倒しているそれはやはり異形であるのだと再認識する。

 少しの間時間が止まってしまったかのように誰もが動かなかったけど、少しして気まずそうにぎこちなく動き出す。

 それでも誰も彼もがそれを意識して、視界の隅から追いやらないように注意しているのがわかった。

「噂には聞いていたが、とんでもないな……」

「…………すてき」

 兄は呆然と、妹はぽやーっとした顔でそれから目をそらせないようであった。

 ああ、これはよくない傾向だ。

「二人とも。あまり見すぎてはいけませんよ。失礼ですから」

 さとすようにそう言うと、兄は「それもそうだな」と言って慌てた様子でこちらに目を向ける。

 妹は聞こえていなかったようなので肩を叩いて正気にかえらせる。

「姉さん、姉さん。あの方とっても素敵ですね」

「……ええ、そうですね」

 頰を真っ赤に上気させて言う妹に思ってもいない無難な返答を返しておく。

 素敵と言うよりもひたすらにおそろしいと思うのだけど、すっかり魅了された妹にそれを言っても無駄だろう。

 ならそういうことを言って目立つよりも目立たず無難な行動をとったほうがいい。

 と、思っていたら視線を感じた。

 あれがこちらを見ていた。

 目立った行動はしていなかったはずだから、多分気のせいか特に意味のない行為だったのだろうけど。

 それでも、それだけで私達きょうだいは大打撃を与えられた。

「……こ、こっちみて」

「ね、ねえさん……」

 兄と妹、大興奮。

 私は精神的ダメージを受けつつ状況を整理。

 何故あれはこちらに注意を向けたのか?

 割とあっさりと予測がついた。

 兄と私は平凡顔だけど、妹は美少女だ。

 多分原因はそれだった。

 あれほどではないけどうちの末っ子は大変キュートな美少女である、もちろん人間の範囲内で。

 と、状況確認をしていたらかすかに聞こえた小さく高い悲鳴。

 何事だと隣を見ると、妹がちょっと見たことないくらいぽやーっとした顔であれの方を見ていた。

 あれに視線を向ける、なんでか知らないけどこっちに笑いかけていた。

 あ、これ多分ヤバめな状況だ。

 妹がロックオンされたのなら、姉として守るのが正しい行動だろう。

 ……けど、無理に引き剥がしたらどうなるだろうか? それをやった人間の末路は?

 破滅、の二文字が脳裏にでかでかと浮かび上がる。

 妹の顔を見る、多分きっともう手遅れな妹の顔を。

 駄目だ、ほぼ確実にひどいことになる。

 そうなる前になんとかしなければ……

 …………なんとかなったとしても、その時に私は無事なのだろうか?

 脳裏に赤と、それから黒がちらついた。

「……すみません兄さん。ちょっと風にあたってきます」

「お、おう……」

 妹よ、それから兄よ。不甲斐ない()があなた達を見捨てることをどうか許してほしい。

 そう思いながら体調不良っぽい感じを装いつつふらふらとバルコニーに避難する。

 バルコニーのドアを閉めて、どっと疲れと悪寒が。

「……なにあれ、こわ」

 思わず呟く、軽く目眩がした。

 しばらくは深呼吸して精神と肉体を落ち着かせようと努めた。

 少しして落ち着いたので、初冬の冷たい風にあたりつつぼんやりと景色を眺める。

 戻りたくないな、体調不良装って帰っちゃおうかな。

 というか装うも何も普通に気分が悪かった、素直に帰らせてもらうのが無難かもしれない。

 できれば兄と妹も連れて帰りたいけど、多分無理だろう。

 溜息をつく、どうかあの二人が無事であることを、今後何事もないことを祈ることしかできない自分が情けない。

 この後どうしようか。

 今すぐ中に戻ってもいいけど、もう少しだけここにいてそれから戻ろう。

 そう思って目を閉じる、初冬の風は冷たいけれど心地よい。

「あの、大丈夫ですか?」

 突然の声に振り返る。

 そこにいたのは見覚えのない少女だった。

 多分年齢は自分と同じくらい、随分と地味で、目立たない感じの少女だった。

 ――こんな子供、いたっけ?

 思い出してみたけどよくわからなかった、私もそう注意して会場を見ていたわけではないし。

 普段通りの兄さんだったらすぐにわかったのだろうけど。

 うちの兄は私と違って人の顔を覚えるのが得意なのだ。

 でも多分ここにいると言うことはこの食事会の参加者なのだろう。

「……ええと、大丈夫……あんまり大丈夫ではないですけど」

 とりあえず過剰すぎる警戒心は引っ込めて、なんとか愛想笑いを浮かべておく。

「ああ……やっぱり……顔色がとても悪かったので心配になってしまって……」

「……ご心配をかけてしまったようで申し訳ございません……こういった場は慣れていなくて……」

 半分以上嘘だったけど、こういった場に慣れていないのは本当のことだった。

「お休みになられたほうがいいのではないでしょうか?」

「ええ……もう少し落ち着いたら帰らせてもらおうかと思っているので」

「そうですか……」

 案外普通に心配されてしまっているので、警戒心をさらに引っ込めて無難な返答をしておいた。

 それでも何かが引っかかるような、警戒心が完全に抜け切らないというか……

 まあ、あんな怪物に行き合ってしまった直後だから仕方のないことなのかもしれないけど。

 それからはしばらくの間、互いに無言だった。

 何かを言うべきだったのかもしれないけど、特になんの言葉も思い浮かばなかったから。

「ところで……少しよろしいですか?」

「……なんでしょうか?」

 そろそろ帰ろうかと思ったちょうどその時に少女から声をかけられる。

「三条院様について、どう思われますか?」

「っ!!? ……何故、そんな質問を?」

 三条院とはあれの名前のはずだ。

 何故そんなことを私に聞く?

 世間話か? だとしてもなんで選りによってそんな話題を出されたんだ?

「……勘違いだったら申し訳ないないのですけど……その……三条院様がお見えになった時に顔色を悪くされたように見えたので……」

「…………そう、見えてしまっていましたか……そんなに露骨でしたかね……」

 気を付けてはいたつもりではあったけど、それでもわかる人にはわかってしまうような類のものであったらしい。

 そういえば思い返してみると、ここに逃げ込んだ時の状況もわかりやすいものだった。

「ええ……。理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 少し考えてから口を開く。

 悪手であることはわかっていた。

 それでも私は話したくなってしまったのだ。

 誰かに、あのとんでもない怪物の事を。

 あの怪物の存在は、私一人で抱え込むには重すぎる。

「……あのお方、とても美しいでしょう?」

「ええ」

「だから怖いんですよ。とても、とても」

「それって、どういう?」

 不思議そうな顔の少女に、私は思わず言葉を続けてしまった。

 変な話をして吹聴でもされてしまったら大変なことになるだろうということはわかっていた。

 それでも、止まらなかった。

 だって怖かったから、それなのに私以外誰もその怖さに気付いていなかったから。

「あの方は美しすぎる。人並みを外れすぎている……人間じゃないみたいなのにそれが人間として存在してるのが怖いんですよ……あれはもう人の領域を超えている……あれじゃあ、まるで」

 怪物です、そこまで言いかけて咄嗟に口を噤む。

 そこまで言ってしまうのは流石に駄目だと思った。

 私があれのことを怪物呼ばわりしていたなんて吹聴されたら、色々と面倒なことになる。

「まるで……何ですか?」

 だけど問いかけられてしまった。

 少女はいつの間にか私のすぐ近くに。

 ほとんど同じ高さの目線で、まっすぐに見つめられる。

 ああ、駄目だそれは聞かないで欲しかった。

 駄目だ、言ってはいけない。ああでも駄目だ、そんな目で見られたら言いたくなってしまう。

 この恐怖を誰かに共有してほしいという願望が、抑えきれない。

「美貌であれ、頭脳であれ、なんらかの才能であれ、人並みを外れすぎている何かを持っているものを…………私は、おそろしい怪物のようだと思うのです。あの人はそういう意味で……とびきりの、とてもとてもおそろしい怪物だとおもうのです」

 ああ、言ってしまった、口にしてしまった。

 一番言ってはいけない言葉を口にしてしまったそのあとは、堰を切ったように矢継ぎ早に言葉が溢れて止まらなくなる。

「それで、逃げてきちゃったんですよね。だってあの方、こっち見て笑ってたんですもの。こわくてこわくて、こわくてこわくて……身内を見捨てて一人で……あの方は多分私の妹を見ていたのでしょうね、うちの妹、身内びいきではありますがとても可愛い女の子なので……自慢の可愛い妹なので……。ああ……なんで見捨てちゃったんでしょうか、私。……怪物に捧げられる生贄も、おそろしい怪物に騙されて喰い殺されるのも、いつだって無垢で可愛い女の子なのに……」

 思わず目元を覆っていた、妹とそれから兄がどうかまだ無事でありますように。

 まだ間に合うだろうか? 間に合うのであればやはり……

 そこまで考えて、違和感。

 そういえば、あらためてこの少女は誰なのだろうか?

 どうして私があれを見て顔色を悪くしたことに気付いたのだろうか。

 あの兄ですらあれの存在に夢中になっていて、私の異常に気付かなかったのに。

 どうしてこんな平凡そうな少女が、あの怪物に目を奪われずに私なんかに意識を向けることができたのだろうか?

 そして、あの時私を、正確にいうと私がいる方向を見ていた人間が一人存在していたはずだ。

 黙って私の話を聞いていた少女の顔を見ようとして、咄嗟に目をそらした。

 それを見てはいけないような気がした。

 気付いてはいけないことに、気付いてしまうような。

「……あなた、だれ?」

 だけど言葉は止まらなかった、一つのおそろしい可能性に行き着いてしまった。

 駄目だ、それを聞いてはいけない、それを言葉にしてはいけない。

 取り返しのつかないことになる、引き返せなくなる。

「い、いやその……だって、なんであなた私なんかを見て……それに、それに……怪物が無害な人間装って馬鹿な人間に近づくとか……御伽噺のセオリー……だし……」

 一歩、二歩と後ずさる。

 いや違う否定しろ疑問を呈するな今ならまだ間に合う。

 怪物の正体に気付いた人間の末路なんて目に見えている。

「い、いやなんでもない……ごめんなさい血迷いました本当になんでもないんですどうかしてたんです……ごめんなさい……妹とついでに兄が心配なので戻ります……っ!」

 ガバリと頭を下げて、少女の顔を見ずに駆け出した。

 そうして会場の中へ、扉は静かに手早く閉じてから、周囲を探る。

「…………ぁ」

 やはりあの怪物の姿は会場内のどこにもなかった。

 見落としなどあり得ない、あれだけの存在感のある姿を簡単に見落とせるはずがない。

 つまり、そういう事だった。

 疑問が確信へ、恐怖がより明確な絶望に形を変える。

 ああ、どうしよう。

 妹と兄の姿を探す、すぐに見つかった。

 二人してのんきにローストビーフを美味しそうに食べていた。

 二人に近寄ろうとして、兄がこちらに気付いた。

 ぱっと顔色を変えた兄がこちらに駆け寄ってくる。

 妹もその後をついてこちらに。

「おいどうした、なんだその生っ白い顔……!」

「ねえさん、ねえさん大丈夫ですかしっかりしてください」

 死にかけの人間を相手にするような感じで心配される、多分今の私はとんでもない顔をしているのだろう。

「……ごめんな、さい。ちょうし、わるいから……かえりたい……いっしょに、かえって……」

「っ!!? わかった、辛いならもう喋るな……!」

 兄が私の身体を支える、妹も反対側から支えてくれた。

 そのまま出入り口まできょうだい揃ってゆっくり歩く、途中ですれ違った主催側らしき大人に兄が申し訳なさそうな顔で何かを言っていたけど、よく聞こえなかった。

 会場を出てうちの車まで歩く、途中で何度か転びそうになったけど兄と妹が踏ん張ってくれたから怪我はせずに済んだ。

 兄に車に乗せられ、その後になって車に乗っても大丈夫かと聞かれた、吐くかもしれないけどさっさとこの場から去りたかったから大丈夫だと返した。

 のろのろとシートベルトをつける、隣に座った妹が泣きそうな顔でこちらを見ていた。

 車がいつもよりもゆっくりと丁寧に動きだす、多分運転手さんが私のことを慮ってくれたのだと思う。

 これからどうしよう。

 どうかこのまま何事もなければいいと、あの怪物が私の言葉を気にも留めないことを祈って、目を閉じた。


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