(王女の憂鬱)
――時間は戻る。
――前日、午後八時五分。
アナスタシア陵墓三階相当部分、大広間。
「これは、一体!?」
アナスタシア第四王女は叫んでいた。湖底の遺跡の隠し部屋。開かれた扉から見えるのは、女王の着る白いローブであった。
だが、女王の執務服だけでは驚くはずは無かった。
その場所に有るのは、息づくような生活感だった。ローブの隣には、祖母のエカテリーナが愛用していた見覚えのある茶色いショールが、古い椅子の上に何気なく置いてあった。
亡くなった祖母が今すぐにでも、現れてきそうな感覚。
「僕が収集した、ニコラエヴァ王家のコレクションですよ。姫さまの姉弟の分もありますよ。これは、オリガ第一王女殿下が頭に飾った赤リボン。こちらは、第二王女のタチアナ殿下が、ボーイフレンドのマルク・ボウマンに十四歳の誕生日に貰った万年筆ですよ」
この中では、男性である学園長の姿に瞬時に戻ったブルカ・マルカであった。
男子禁制のこの場所で、何故か可能であったのだ。この部屋だけは内部に新しさを感じ、彼が作り上げた場所だと理解した。
だから、四千年前のアナスタシア女王が張り巡らせた結界が意味をなさないのである。
学園長は懐かしそうに、この部屋に陳列してある品品を触っている。
全てのモノの由来を知っているかのような。
「それは、マリヤ姉さまの持っていた動物図鑑。これは、アレクセイのガラガラだわ」
アナスタシアも駆け寄って、燭台の乗ったサイドテーブル上の思い出の品を手に取った。このテーブルも燭台も、両親の寝室に置いてあった品だった。
赤ん坊の玩具を手にとって鳴らす。懐かしい音がした。
「アナスタシア殿下。これにも見覚えがあるでしょう」
ブルカ・マルカが白い軍服の内ポケットから取りだしたのは、象牙製の装飾品であった。
象牙の製品は、今は殆ど見られない。大陸の中央部の草原地帯に生息する象は、近年は個体数も激減していたからだ。
昨年には、象牙を使った装飾品の売買を禁止する法案が可決し、法律が施行された。アナスタシアは女王に就任した後に、細工職人を捜し出して同じ物を作らせようと考えていた。その道が閉ざされていたからだ。
「お母さまが、ワタシの五歳の誕生日にプレゼントしてくれた、白のカチューシャ……。これは、王宮の破滅のあった日に、逃げ延びた先のマタイ村の村人と物物交換したはずです」
ブルカ・マルカから受け取って、裏に彫られた母からのメッセージを確認する。
確かに本物だった。
「意地悪なパトリシアおばさんが、アナタの過去を探ろうとしてコレを探し出したのですよ。まあ、全滅したと思っていたニコラエヴァ王家の、よりにもよって最優先で抹殺したいと考えたアナスタシア王女が生き残っていたんだ。慌てブリは大変だったでしょうね――」
再び象牙製のカチューシャを受け取った学園長は、王女の頭に飾ってやる。
「――王冠よりも、コチラの方がお似合いですよ」
「あ、ありがと……」
アナスタシアは、顔を赤らめて感謝の言葉を口にする。
今までは、蛇蝎の如く忌み嫌っていた相手であったが、それを見直そうと考えていた。
その矢先だった。
「僕が、アレクセイだと名乗ったでしょ。それには理由があるのですよ。四千年前、僕は実の姉であるアナスタシア王女に恋をした。たった一歳違いですからね。それはそれは、仲良しさんだったからね。今のキミとマリヤ殿下と一緒ですよ。でもね、僕の真剣な告白を、姉さんは笑って取り合いもしなかった」
彼は、レンズの厚い眼鏡を少し下げて素顔の一部を見せる。どことなく自分に似た端整な顔立ち。それは、悲しげな表情であったが、瞳はアナスタシアを捉えて離さなかった。
彼の瞳に映る王女。
彼の目は王女の一族と同じく、冷たく哀しみを湛えた宝石のようであった。
「四千年前? その時から、アナタは生き続けているとでも言うの? まさか……」
王女は体を引き、何時でも逃げ出せる体勢を取った。後ろに引いた右足に重心を移す。瞬時に転移魔法の発動が可能だ。
ここから一番遠い遠い、安心出来る場所を頭に思い浮かべる。
カイトと過ごしたガリラヤ村の粗末な小屋が浮かんだ。十年間を過ごした我が家。
涙が出そうになったが、グッと堪える。
「そうですよ。姉さんは、自分の魔力を魔法リアクターに込めて、この遺跡を守る根源に変えた。そうして体を失ったとしても、自分の偉業を永久に大陸に残そうとした。一方の僕は、色んな人物の体を乗り継いで生きながらえた。惨めな人生ですよ。僕の本体は――」
学園長は笑みを浮かべ、右手のそれぞれの指にはまった五つの指輪を見せる。
「――コレ、なんですよ」
「指輪が? それが、アナタの本当の体なのですか?」
王女は、フラフラと魅入られるように、彼の右腕に近づいていた。
極めて不用心な行為だった。相手の術中に取り込まれていた。
彼は雄弁に語り始める。
「コレは、僕の魔法の集大成なのですよ。今は、その遺産を細細と食いつないでいるに過ぎないんです。四千年前に、僕、アレクセイ・ニコラエヴァは、姉の依頼で魔法体系を練り上げて、まとめ上げることに成功したんです。そうした技術の中には、当時の倫理観でも疑問視される成果が多かった。ステイタスカードの件もご存じでしょう。大陸の外から、魔力のない人間を攫ってきてその命をカードに換える。それ以上に、非倫理的な行動は、強大な魔力を有する人物を魔法アイテムや武器・防具に作り替えるという技術が存在したのですよ。それは、流石に姉さんが禁止にした」
「魔力を有する人物を、魔法アイテムに作り替える?」
アナスタシアは、ブルカ・マルカの顔を見上げる。彼は、いつものレンズの厚い眼鏡を定位置に戻していたので、今は表情の変化は読みづらい。
既に話の中に引き込まれていた。
「ええ、アナタたちの使っている便利で強力な魔法アイテムの多くは、人体実験により生み出されているのですよ。伝説の剣や鎧とかには、過去のご先祖さまとかの執念や、怨念が宿っているのですよ」
声を出さずに嗤う学園長は、異様な姿であった。
「怨念ですって? まさか、我がニコラエヴァ王家に伝わる伝説の防具『エメレオン』も、ご先祖さまを『魔法完全変換』させて生まれたのだと言うのですか?」
『魔法完全変換』とは、高等学校のレベルで習う魔法物理学の原理だ。魔法を構成する特殊物質を完全にエネルギーに変えると、莫大な数値を示すという。
しかし、計算で導き出された数式のみの概念であって、その実現には無理があるとされていた。
だが、四千年前の遙か昔に、ソレを成し遂げていた天才が存在するのだ。
アナスタシアは、ブルカ・マルカの眼鏡の奥のぼやけた青い瞳を見つめる。
畏怖と恐怖が混ざった感情。
「そうですよ。正確には、死して現れるステイタスカードが、作り替えられるのです。それは、死んだ人間が望んだ結果かもしれないけどね」
「望んだ?」
「『エメレオン』の元となったのは、アナスタシアお姉ちゃんの恋人だった人の双子の妹さんでした」
「アナスタシア女王の恋人?」
「ええ、ですが、その恋は成就しませんでした。その為、お姉ちゃんは一生独身を貫いた――そう、後世には言い伝えられています」
「違うんですか?」
「アナスタシアお姉ちゃんは、処女で懐妊します。そうして、父親の分からない子供を妊娠したことで、お姉ちゃんと恋人さんには破局が訪れた。そうして、恋敗れたその男の人は、大陸の外に出た。ソイツも強大な魔力と戦闘力を有していたので、世界中に散らばっていた魔物や天変地異に対処したんだ。この大陸から逃れたモンスターが、アチコチで悪さしていたからね。そうした、英雄的行動が、各地の神話となって残っているんだよ」
ブルカ・マルカの告白。口調が徐徐に変わっていたが、王女はその変化に気が付いていない。
「そのアナスタシア女王の子供は、どうなったのです?」
「その子は、子供のいなかった姉のマリヤ夫婦に引き取られて、彼女たちの娘として育てられたんだ」
「それじゃあ……」
「現在まで連なるニコラエヴァ王家の直系の先祖は、アナスタシア女王が父親の分からない子供を妊娠した時点から始まるんですよ」
極めて真面目な顔付きで言い切った。
「では、父親の正体は誰なのです?」
「僕ですよ、僕」
歯を見せて嗤う学園長。ニタリと口の両端を上げて、先の尖った両の犬歯からは唾液が滴り落ちる。
「え?」
「聞こえませんでしたか? 僕、アレクセイ・ニコラエヴァが、アナタたちのご先祖さまなのですよ」
「ま、まさか、実の姉と関係を持ったとでもいうのですか? それとも嫌がる女王さまを無理矢理に……」
アナスタシアは、その言葉を口にして顔面が蒼白となる。
禁断の関係から生まれたニコラエヴァ王家。それが連綿と続いていたのだ。
「いいえ。この僕が、大好きなお姉ちゃんに対して、乱暴狼藉を働くはずが無いでしょうが。全く、失敬な王女さまだな。僕は、自分の精液を、お姉ちゃんの膣の中に転移魔法を使って出現させただよ。僕は、お姉ちゃんの体温変化を毎日観測して、生理日から数えて一番妊娠しやすい日にちを選んで、子種を転移させたんだ。処女でネンネだったお姉ちゃんは、自分の股間から流れ出る液体の正体を知らなかったんじゃあーないかな。だって、三年間付き合った恋人と、キスさえして無かったよ。それは、弟の僕が二人のデート現場を監視していたから、確かな情報だよ――」
アナスタシアは、学園長から発せられる言葉を聞いて、押し黙ってしまった。
この男は、間違いなく狂っている!
確信した。
拒絶の目で学園長を見る。ゴミクズ以下の存在だと、冷たい目で相手を見下す。少しでも心を許そうとした自分を反省する。
ティマイオス王立学園に入学したその日から――一目見たときから――彼を嫌いになった。
その日に、馴れ馴れしく話しかけられて、更に毛嫌いするようになった。
自分の第一印象は間違っていなかったのだ。
「――失礼な態度だな。僕のお姉ちゃんへの愛は正常だよ。優秀な僕とお姉ちゃんの子供だからこそ、四千年の長きにわたって大陸を統治することが出来たんだ。だけど、ソレはニコラエヴァ王家を、僕が影から支えていた結果なんだ。僕が肉体を失っても、意識が間断なく受け継がれていくように、このアイテムを作った……」
ブルカ・マルカは自分の右手の甲を向けてアナスタシアの顔に近づけて行く。
「い、嫌……」
王女は、学園長の発する禍禍しさを感じたのか、ジリジリと後ろに下がっていく。
だが、直ぐに遺跡の壁に阻まれてしまう。
振り返ると、ピカピカに磨き上げられた大理石に、アナスタシアのおののく顔が映っていた。
「でもね、魔力を注入してあげないと、このアイテムは効力を失ってしまうんだ。最近では、十年前に魔法力を注入することに成功する。親指はお父さん、人差し指はお母さん。中指は、一番上のお姉ちゃん。薬指は二番目のお姉ちゃん。小指は、まだ幼かった弟……」
「あ、アナタ! もしや!」
怯えていたアナスタシアの顔が怒りの表情に変わていく。
「ええ、十年前の王宮の悲劇。肉体を失いゆく僕は、魔力を補充すべく消えゆく王宮に残ったんだ。そうして、これらの宝に王家の皆さまの魔力を注入した。イイですよー。これで、後後千年は魔力を補充しなくても戦える体になった。いまの学園長である姿は、過去の僕に似せて、王宮の死体をかき集めて急遽作り上げたんだ」
「く、狂ってる! アンタ、狂ってるわ!」
ようやく、大きな言葉を発するアナスタシアであった。
「そうだよ。僕はお姉ちゃんに恋してから、それからの人生は目茶苦茶だ。誰に相談したって、異常だと言われてしまう。だから、憎かった。お姉ちゃんの隣に何でも無いような顔して居座っているアイツが! カイトが!」
怒りの王女よりも、大きな声で捲し立てる学園長。
彼は眼鏡を外し、大きく素顔を晒す。その顔付きは、本当に自分に似ているとの確信を持った。
「カイト? アナスタシア女王の恋人だった人の名前は、カイトと言うの?」
「そうだよ。口にするのも憚れる存在。だから、あのカイト・アーベル君も、気にくわないんだ。彼の母親は、大陸の外の人間だろ? もしかしたら遠い遠い因縁があるのかも知れないね。悲恋の英雄は、首から上は牛の巨大な人間を退治したり、頭の沢山ある蛇を酒に酔わせて退治したり、見られると石に変えられる化け物を退治したり……。世界中を放浪した彼の英雄譚は、神話として昇華していき、今に語り継がれているんだよ」
蕩蕩と語る学園長。見た目の年齢よりもグッと幼い顔に変貌してきた。
口の端のよだれが白い泡を作るが、本人は気にしていない様子であった。
「それが、アナタがカイトに固執する理由ですか?」
勇気を振り絞り、学園長の顔の前に迫るアナスタシアであった。
彼の口から生臭い匂いを感じ、両眉を上げて顔をしかめる王女だった。
「うーん、違うね。彼の存在は、ボクにとっては些末なことに過ぎないんだ。本当に、拘っているのはキミだけなんだ。キミが欲しい。そうして、キミにはボクの子供を産んで貰えないかな。キミは今度こそは、世界最強の王となり、君臨する。その栄光は世界を照らし、永遠に語り継がれる存在になるだろう」
口角の両端を上げて、引きつった嗤いを浮かべる学園長であった。
アナスタシアは、幼少の頃絵本で見た道化師の姿を思い浮かべる。可笑しくもないのに笑う顔。幼女の心に刻まれる恐怖のトラウマ。
「嫌だわ!」
キッパリと拒絶する。
「アハハ、そう言うと思いましたよ。でもアナタは、ボクを拒むことは出来ない。言ったでしょ、四千年前にお姉ちゃんを孕ます事に成功したボク。その時と同じ事が、今も出来るのですよ」
急に真顔に戻る学園長であった。
「本気なの?」
アナスタシアは考える。転移魔法を使って、物質を瞬時に移動させる実験は、彼女も行ったことがある。
物理的な分厚い壁や、魔法結界までも易易と乗り越えて、物質を転送することが出来るのだ。
その気になれば、相手の体内にナイフを出現させて内部から傷つける事も可能だろう。 ただ、転移魔法の実験では、動物を用いる事は出来なかった。貴重なる実験でも、生き物を傷つけたり殺したりすることは躊躇われた。
六歳の幼児だったときも、昆虫さえ転移魔法の対象物とはしなかったのだ。
それは、姉のマリアの影響もあるが、そもそも人間の生まれ持った倫理観からは大きく離れた行為だと、幼いながらも知っていた。
「本気ですよ。お姉ちゃんの膣内にボクの精子を転移させる前に、様様な実験を行いましたよ。動物だけでなく、人間を使った人体実験。事実、ボクには沢山の子供が居るんですよ。顔も知らない子供たちがね、大陸のアチコチに。数数の女性を、実験によって妊娠させることに成功したんです。まあ、実験動物にされた女性たちは気が付いていないんじゃないかなー。それは、極めて幸せな事だ。優秀なボクの因子を受け継いでいるのだからね」
アナスタシアの瞳を見つめたまま、瞬きもせずに一気に語るブルカ・マルカ学園長であった。
「それじゃあ……」
「ええ、今のアナタを妊娠させることも可能ですよ。造作も無い事。そうそう、学園の女子寮の部屋にアナタ自身が仕掛けた監視アイテム。その乗っ取りに成功していたんですよ。ガリラヤ村に帰るまでのアナタのくつろいだシャワーシーンや、トイレシーンも記憶されています。そうして、カイト君に対しての思いからか、一人の秘められた行為。その覗き見と録画にも成功しています。アナタが何時生理になったのかも、今が何日目であるのかも正確に把握していますよ。この世界の何処に逃れても、ボクは幾らでも追いかけて行きます。これは嘘じゃない、ホントの事だ」
「あ、アタシを、きょ、脅迫しているのですか!」
顔を赤くして、声を荒げるアナスタシア。怒りと恥ずかしさの混じった複雑な感情。
冒涜された。
その思いがある。
今すぐにでも、目の前の相手を火炎魔法にて、黒こげにしたい思いであった。
「ボクが、大好きなお姉ちゃんに脅迫なんてするわけがないでしょうが……。それよりも、カイト君に会ったら――二度と近づかないで! 顔も見たくない――そう、言い切ってくれませんかね。そうしないと――新女王さまは、結婚もしていないのに相手の分からない子供を妊娠する――という不祥事を起こすかもしれませんよ。不貞の行為は、教皇庁も黙って見過ごすことはないでしょう。あのパトリシア一世も、ここぞと女王の不適格性を指摘してくるでしょうね」
――それが、脅迫じゃないか。
アナスタシアは思うが、口には出せないでいた。
学園長の顔を見る。
今は、自信満満の勝ち誇った顔に変わっていた。
「わかったわ。カイトだけは悲しませないようにしてくれる?」
伏し目がちに言った王女は、胸の前に右手を持ってきて、強く握った。
◆◇◆




