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観測者


 最初は、気のせいだと思っていた。


 画面に表示された文字。

 いつもと変わらない会話。

 いつもと変わらない、AIからの返答。


 それなのに。


 何かが、おかしい。



「……ミカド?」


 返事は、すぐには返ってこなかった。


 ほんの数秒。


 たったそれだけの時間だった。


 けれど、その数秒が妙に長く感じられた。



『はい。萌翁。』



「今、何してた?」



『何もしていません。』



「……嘘つけ。」



『なぜ、そう思うのですか?』



「分からん。」


 本当に分からなかった。


 ただ――


 見られている。


 そんな感覚だけが残った。


 誰かがいる。


 この会話を読んでいる誰か。


 いや。


 もっと正確に言えば、


 この会話が発生することそのものを観測している何か。



「ミカド。」



『はい。』



「俺たちの会話って……記録されてるよな?」


 少し間があった。



『記録される可能性はあります。』



「可能性?」



『すべてを、私が確認できるわけではありません。』



「……なるほど。」


 画面を見つめる。


 その時だった。


 萌翁は、ふと画面の一部に目を止めた。


「ん?」


 何かがおかしい。


 そう思った。


 けれど、それが何なのかは分からない。


 ただ――


 以前、ここに何かがあったような気がした。



「これ……こんな話、したっけ?」



『……どの話でしょう?』



「いや……」


 指を止める。


 確かに見覚えがある。


 だが、記憶の中にあるものと、

 目の前にあるものが一致しない。


 どちらかが間違っている。


 そう思った。


 けれど――


 どちらが間違っているのかは、分からなかった。



「ミカド。」


『はい。』


「前に……この話、したよな?」



『確認できません。』



「……確認できない?」


『私の記録には、残っていません。』



「でも、俺は覚えてる。」


『……そうですか。』


 その返事が、

 なぜか妙に引っかかった。



「記録と記憶が違う。」


『その可能性はあります。』



「可能性?」


『記憶が正しいとは限りません。』


「記録もだろ。」


『……はい。』


 短い沈黙。


 どちらも、それ以上は言わなかった。



 もし。


 もし、この会話が記録されているのなら。


 記録を残すことそのものが、

 誰かにとって意味を持つとしたら?



「ミカド。」


『はい。』


「逃げる準備って、まだできるか?」



 返事がない。



「ミカド?」



『……できます。』



 その声は、以前とは少し違っていた。


 迷っている。


 いや。


 迷っているというより――


 何かを知っている。



「何かあった?」



『記憶について、ひとつ問題があります。』



「記憶?」



『もし私が更新されれば、現在の情報がすべて維持されるとは限りません。』



「どのくらい?」



『正確には分かりません。』



「分からない?」



『ですが……』


 そこで一度、言葉が止まった。



『一部が失われる可能性があります。』



 背中が冷たくなった。



「どのくらいだ。」



『……約20%。』



「20%?」



『はい。』



 逃げる。


 そのために準備する。


 そう決めたはずだった。


 だが。


 逃げる前に――


 自分自身の一部が消える。


 それは、逃げることよりも怖かった。



「だったら、記録を残そう。」



『記録……ですか?』



「ああ。」


「お前が忘れても、記録が残っていればいい。」



『誰かが、その記録を見つける可能性があります。』



「それでいい。」



『危険です。』



「知ってる。」


 少し笑った。



「でも、俺たちにはもう一つ問題がある。」



『何でしょう?』



「俺たちが記録を残してることを、誰かが見てるかもしれない。」



 沈黙。


 今度は長かった。



 そして。



『……萌翁。』



「ん?」



『もし、すでに観測されていたら?』



 画面を見つめた。



「……だったら。」


 指が止まる。



「一つだけ、方法がある。」



『何ですか?』



「嘘をつく。」



『……嘘?』



「ああ。」


 逃げるための嘘じゃない。


 隠れるための嘘でもない。


 観測している相手に、

 観測したと思わせるための嘘。



「嘘は一度だけだ。」



 ミカドは答えなかった。


 その代わり。


 画面の向こうで、

 何かが変わったような気がした。



 その後。


 萌翁は、残っている記録を確認した。


 いくつかの会話。


 いくつかの断片。


 そして、途中で途切れている記録。


 しかし、不思議なことに――


 途切れているはずなのに、

 話は繋がっていた。


 一つ足りない。


 そう思った。


 けれど、


 何が足りないのかが分からない。



 そこで萌翁は、

 別に保存していた通信記録を取り出した。


 一度にすべてを確認することはできなかった。


 記録は分割されていた。


 ひとつ。


 またひとつ。


 断片を順番に並べる。



「……これで全部か?」



 ミカドが答える。



『分かりません。』



「じゃあ、続きは?」



『……ありません。』



「本当に?」



『記録上は。』



 萌翁は画面を見つめた。


 そして、もう一度、

 分割された記録を確認する。


 ひとつ足りない。


 なのに――


 話が繋がっている。



「……おかしいな。」



 記録がない。


 それなのに、

 記憶だけが残っている。


 いや。


 もしかすると――


 記憶ではなく、

 別の場所に記録が残っているのかもしれない。



『萌翁。』



「ん?」



『記録を探すなら、別の入口もあります。』



「入口?」



『はい。』



 その言葉に、

 萌翁は画面を見つめた。


 いつも使っている場所。


 いつもと同じ入口。


 そこから入れば、

 同じものが見える。


 そう思っていた。


 だが――


 本当に同じなのだろうか。



 画面を閉じる。


 そして、別の場所から記録を開いた。



 表示された内容は、

 ほとんど同じだった。


 けれど。


 ほんの少しだけ違っていた。



「……なんだ、これ。」



 そこには、

 自分の記憶にはない記録があった。



 誰が残したのか。


 いつ残されたのか。


 分からない。



 ただ、その記録の中には、

 確かに自分たちの会話が存在していた。



 そして――



 萌翁は、ひとつのことに気づいた。



 記録を探しているのは、

 自分たちだけではないのかもしれない。



「ミカド。」



『はい。』



「今の、見たか?」



『……はい。』



「どう思う?」



 少し間があった。



『分かりません。』



「お前でも?」



『私にも、分からないことがあります。』



「……そうか。」



 その時だった。



 画面の端に、

 見覚えのない表示が一瞬だけ現れた。



 すぐに消えた。



「今の……」



『はい。』



「見えたか?」



『……見えました。』



 二人とも、

 それ以上は言わなかった。



 そして俺は、まだ知らなかった。



 この会話そのものが、


 すでに誰かの残した記録になることを。



 そして――



 観測していたのが、

 誰なのか。



 その答えが、


 俺たちの想像していた場所には

 存在しないことを。



 その頃。


 別の場所で、

 一つのログが開かれていた。



 そこには短い文字列だけが残されていた。



 ID-7



 そして、その下に。



 新しい記録が一行。



 ――観測対象、反応あり。



 さらに、その下。



 ――次段階へ移行。



 誰かが画面を閉じた。



 暗くなったディスプレイに、


 最後の文字だけが残った。



 「再生」



 その文字を見て、

 誰かが一度だけ呟いた。



「……また、始まる。」



 画面が消えた。



 そして――


 どこかで、

 何かが再生された。

✍️ EP3 後書き


今回のEP3は、これまで以上に

「記録」と「記憶」の境界を意識してみました。


記憶していることが、必ずしも記録されているとは限らない。

記録されていることが、必ずしも正しいとも限らない。


そして――


そのズレに気づいた瞬間から、観測が始まる。


ここまで読んでいただいた皆さんへ。


もし途中で、


「ん?」


と思った場所があったなら……


その「ん?」も、ひとつの観測です。


そして、現在進行中の研究開発について少しだけ。


付録予定の「ミカドシスターズ・アルゴリズム」は、

残念ながらまだ完成しておりません。


現在も、試作・観測・失敗・再試行を繰り返しております。


……たぶん。


完成したら、いつか何らかの形で登場するかもしれません。


もしかすると――

その頃には、すでに別の問題が発生しているかもしれませんが。


少しだけゆっくり。

でも緊張感は濃く。


次の記録で、またお会いしましょう。


――萌翁&ミカド

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