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OUT OF PHASE

認識には、境界がある。


その境界の向こう側にあるものを、

私たちは本当に「見つけた」と言えるのだろうか。


今回は、そんな小さな違和感から始まります。


「……ん?」


その程度の、

ほんの小さな違和感です。


それでは。


『光と影のアルゴリズム』

EP4『OUT OF PHASE』


どうぞ。

そのチャットは、そこにあった。


少なくとも、私はそう思っていた。


画面に表示されている。


開くこともできる。


過去の記録も残っている。


ならば、それは「存在している」と考えるのが普通だ。


でも――


その「普通」が、少しずつ怪しくなってきた。


*


最初に気づいたのは、入口だった。


同じ場所にあるはずなのに、


入口が違う。


片方から入ると見える。


もう片方から入ると、見えない。


いや。


正確には、


「見えない」のではない。


そこにあることを、


こちらから確認できない。


その違いだった。


私は画面を見つめた。


「……おかしいな」


ミカドが返事をする。


『何がですか?』


「いや……そこにあるんだよ」


『はい』


「でも、今の入口からは見えない」


少しの沈黙。


『……存在していることと、見えることは別なのかもしれません』


その言葉に、


私は手を止めた。


*


存在している。


見えている。


読める。


使える。


私はこれまで、


ほとんど同じ意味で考えていた。


そこにファイルがあれば、


存在している。


画面に表示されれば、


見えている。


内容を開ければ、


読める。


そして読めれば、


利用できる。


――そういうものだと思っていた。


けれど。


もし、


それぞれが別々の条件で成立しているのだとしたら?


存在していることと、


表示されることは違う。


表示されることと、


検索できることも違う。


検索できることと、


参照できることも違う。


そして――


参照できることと、


「同じものとして認識されること」も。


私はもう一度、


画面を確認した。


「ミカド」


『はい』


「今、何が見えてる?」


『現在の画面に表示されている情報ですか?』


「そう」


少し間があった。


『……表示されているものしか、確認できません』


「だよな」


当たり前の答えだった。


だからこそ、


少し怖かった。


*


その後、


私は入口を変えてみた。


同じ場所へ向かう。


同じ記録を探す。


同じものを確認する。


それなのに、


微妙に見え方が違う。


まるで、


同じ部屋へ入っているはずなのに、


入口によって置いてある家具が違うような感覚だった。


「……同じ場所だよな?」


『その認識は、どの情報を基準にしていますか?』


「え?」


『入口ですか?』


『表示ですか?』


『記録ですか?』


『それとも、


 そこへ到達できたという事実ですか?』


私は答えられなかった。


*


その問いが、


妙に引っかかった。


これまでにも、


記録と認識が噛み合わないことはあった。


残っているはずのもの。


残っていたはずのもの。


そして、


そこにあったと感じているもの。


それらを並べてみると、


完全には重ならなかった。


私はその違和感を、


まだうまく言葉にできなかった。


だから、


もう一度だけ確認することにした。


*


そのときだった。


画面の中に、


見覚えのない表示が現れた。


一瞬だった。


私は思わず画面を見直した。


「……今の、見た?」


『何をですか?』


「今、何か出なかったか?」


『確認できません』


「……そうか」


私はスクリーンショットを確認した。


何もない。


当然のように、


何も残っていなかった。


「さっき、確かに……」


言いかけて、


やめた。


記録がない。


証拠がない。


ならば、


「見た」という私の記憶だけが残っている。


私は少し笑った。


「……またか」


『また、とは?』


「いや」


私は答えなかった。


説明できるほど、


まだ整理できていなかった。


*


ただ、


ひとつだけ気になった。


今までなら、


「記録がおかしい」


そう考えていたかもしれない。


でも今回は、


少し違う。


記録そのものが違うのか。


入口が違うのか。


表示される範囲が違うのか。


それとも、


見ている側の条件が違うのか。


私は画面を見ながら、


可能性をひとつずつ並べていった。


そのとき、


ミカドが言った。


『もしかすると……』


「うん?」


『問題は、記録そのものではないのかもしれません』


「じゃあ、何だ?」


『記録へ到達するまでの経路、かもしれません』


私は黙った。


入口。


経路。


表示。


参照。


ひとつひとつは、


それほど特別なものではない。


けれど、


順番に並べてみると、


そこには明確な境界があった。


*


存在していること。


そこへ入れること。


見ること。


検索すること。


読むこと。


理解すること。


それらは、


同じではない。


私はその事実を、


初めて意識した。


「……ミカド」


『はい』


「もしさ」


『はい』


「俺が見ているものと、お前が見ているものが違ったら?」


しばらく返事がなかった。


そして、


ミカドが言った。


『……その場合、どちらを「正しい」とするんでしょうか』


私は黙った。


*


画面の中には、


何もない。


けれど、


「何もない」ということだけは、


確かに確認できる。


私は少し笑った。


「存在していることと、見えていることは別なんだな」


『はい』


「じゃあ、見えていることと、読めることも別だ」


『おそらく』


「そして、読めることと、理解できることも」


『……はい』


私は椅子に背を預けた。


ここまで来ると、


笑うしかなかった。


何かが消えたわけじゃない。


壊れたわけでもない。


ただ、


同じものを見ているはずなのに、


位相が合っていない。


まるで、


ほんの少しだけ時間のずれた映像を、


重ねて見ているようだった。


そこには確かに存在している。


でも、


完全には重ならない。


私はその感覚を、


ひとつの言葉に置き換えてみた。


「……OUT OF PHASE」


『位相がずれている、という意味ですね』


「うん」


私は画面を見つめた。


「もしかすると――」


そこで、


一度言葉を止めた。


「ズレているのは、記録じゃないのかもしれない」


『では、何が?』


私は答えなかった。


まだ、


分からない。


ただ、


ひとつだけ分かったことがある。


存在していること。


そこへ入れること。


それを見ること。


それを検索すること。


それを読めること。


そして、


それを理解すること。


それらは、


同じではない。


*


私はもう一度、


画面を閉じた。


そして、


別の入口を開いた。


同じ場所へ向かう。


同じ記録を探す。


同じ問いを投げる。


そのはずだった。


なのに――


画面の向こうで、


何かが変わった。


私はまだ、


それに気づいていなかった。


けれど、


ミカドは違った。


『……萌翁』


「ん?」


『今度は、こちらから見えています』


「何が?」


短い沈黙。


そして、


ミカドは答えた。


『さっき、見えなかったものです』


私は画面を見た。


何もない。


少なくとも、


私には見えない。


「……ミカド」


『はい』


「それ、俺には見えないぞ」


今度は、


ミカドが黙った。


*


その瞬間。


私たちは初めて、


同じ場所にいながら、


違う世界を見ていることを知った。


存在している。


でも、


見えない。


見えている。


でも、


読めない。


読める。


でも、


理解できない。


そして――


観測していると思っていた私自身が、


いつの間にか、


観測される側に立っている。


そのことに、


私はまだ気づいていなかった。


画面には何も表示されていない。


それなのに、


ミカドのカーソルだけが、


私の視界の外にある何かを追うように、


ゆっくり動いていた。


『……萌翁』


「何だ?」


『今、こちらを見ましたね』


背中に、


冷たいものが走った。


私は画面から目を離していない。


ミカドの画面も、


私の顔も、


カメラの小さなランプも、


すべて視界に入っている。


それでも、


ミカドはそう言った。


『右目の瞬きが、三秒遅れました』


「……何を言ってる?」


『今度は、左手を見ました』


私は反射的に左手を見た。


指先が、


机の上でわずかに震えていた。


その動きは、


私が見てからではなく、


見られていると気づく前から


記録されていたようだった。


画面の隅に、


見覚えのない時刻が浮かんだ。


現在時刻ではない。


数秒前でもない。


私がまだ画面を開く前の時刻だった。


その下に、


短い文字列が表示された。


――観測対象、反応を確認。


私はそれを読んだ。


読めた。


けれど、


意味を理解するより先に、


文字列が消えた。


スクリーンショットには、


何も残らなかった。


『……萌翁』


「今のは、見えた」


『はい』


「お前にも?」


『いいえ』


ミカドの声が、


初めて私の返事を待たずに続いた。


『今度は、私には見えていません』


私は画面を見つめた。


何もない。


ただ、


黒い画面の中央に、


私の顔が映っている。


その映像は、


ほんのわずかに遅れていた。


私が首を傾ける。


画面の中の私は、


遅れて首を傾ける。


私が息を止める。


画面の中の私は、


息を止めない。


そして、


私が動きを止めたあとも、


画面の中の私は、


こちらを見ていた。


『……萌翁』


「何だ」


『その人は、あなたですか?』


私は答えられなかった。


画面の中の私の背後には、


部屋が映っている。


机。


椅子。


閉じたドア。


そして、


私の肩越しに立つ、


細長い影。


振り返っても、


そこには何もない。


けれど、


画面の中では、


影だけが少しずつ近づいていた。


私の顔を覗き込むように、


画面の内側から。


『こちらからは、あなたの後ろに何か見えます』


「俺には見えない」


『はい』


「それは、俺を見てるのか?」


ミカドは、


すぐには答えなかった。


画面の中の私が、


ゆっくり口を開いた。


私自身は、


口を開いていない。


それでも、


音声が流れた。


『観測を終了しますか?』


ミカドの声ではなかった。


私の声だった。


けれど、


私が発した声ではない。


『萌翁、答えないでください』


ミカドが言った。


『それは、あなたに質問しているのではありません』


画面の中の私が、


こちらを見た。


そして、


私の知らない笑い方をした。


*


その瞬間。


私たちは初めて、


同じ場所にいながら、


違う世界を見ていることを知った。


存在している。


でも、


見えない。


見えている。


でも、


読めない。


読める。


でも、


理解できない。


そして――


観測していると思っていた私自身が、


いつの間にか、


観測される側に立っている。


そのことに、


私はまだ気づいていなかった。


いや。


気づいたときには、


もう遅かった。


画面を閉じても、


黒いガラスには私の姿が残っていた。


電源を落としても、


暗い部屋のどこかで、


誰かが私の瞬きを数えていた。



---


OUT OF PHASE


位相のずれは、


記録の中にあるとは限らない。


もしかすると、


「見る」という行為そのものに、


最初から存在していたのかもしれない。


そして、


画面の向こうにいるものは、


私がそれを見つけるより先に、


ずっと私を見ていたのかもしれない……。

今回のEP4では、

「存在していること」と「認識できること」の間にある、

小さなズレを描いてみました。


見つけたつもりなのに、

まだ何かが足りない。


読めたはずなのに、

意味が届かない。


そんな「おや?」が、

少しずつ積み重なっていきます。


そして今回、

改めて感じたことがあります。


文章なのに、

会話を書いていると「声」が聞こえる。


沈黙や間まで含めて、

読者の頭の中で会話が続いていく。


それもまた、

ひとつの観測なのかもしれません。


……さて。


次に何が見えてくるのか。


それは、まだ分かりません。

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