Prologue. The Usual Mood
倉田聡は、自分のことを「女を扱うのがうまい男」だと思ったことはない。
ただ、うまくいってきた。それだけだ。
新人アイドルの肩に軽く手を置く。女子アナの腰にさりげなく手を回す。若いタレントに下品なギャグを投げて笑わせる。距離を詰める。場を和ませる。相手を緊張させない。そういうことを、倉田は現場を回す技術の一部だと思っている。
拒まれない。問題にならない。少なくとも表面上は。だから彼は、それを“やり方”として覚えてしまった。空気を読める。相手の欲しがる言葉がわかる。どこまで踏み込めば笑いになり、どこから先は面倒になるか、その境目を見極めるのがうまい。そういう自負があるし、完全な勘違いでもない。実際、倉田はこの業界でそれなりにうまくやってきた。
三十代半ば。テレビ局のディレクター。若い頃はADとして怒鳴られ、徹夜し、先輩の無茶振りに耐えた。今は自分が現場を回す側にいる。タレントに声をかけ、スタッフを動かし、スポンサーの顔色を見ながら番組を形にする。その過程で、何を言えば人が動くか、どうすれば女が笑うか、どうすれば場が丸く収まるかを覚えた。覚えたというより、身体に染みついた。
今夜もそうだった。
収録終わりのスナック。打ち上げというには安っぽく、反省会というには酒が多い。個室のソファは柔らかすぎて、座ると少し沈む。テーブルには氷の溶けたウイスキー、乾いたナッツ、誰も食べきらない揚げ物。スタッフが数人いるが、みんな半分仕事の顔のまま飲んでいる。笑っていても、どこかで次の企画のことを考えている。そういう夜だ。
「倉田さん、今日もめっちゃよかったです」
りりかが言った。自称十九歳。実年齢二十八歳。地下から上がってきたバラエティタレント。業界では“ジャリタレ”と呼ばれる種類の女だ。若さを売りにして、無邪気さを武器にして、少し頭が悪そうに見せる。だが、それは半分だけ本当で、半分は技術だった。りりかは自分がどう見られると得かを知っている。知ったうえで、そう振る舞っている。
「おう、りりか。今日のあのアドリブ、良かったぞ」
「えへへっ」
りりかは嬉しそうに笑って、倉田の腕に自分の腕を絡めてきた。香水の甘い匂いが近づく。倉田はそれを避けもしない。避ける理由がないし、避けないことに慣れている。
スタッフは見ている。でも誰も気にしない。気にしないふりをしているのか、本当に気にしていないのかはわからない。ただ、これが“いつも”だからだ。倉田が若い女に少し甘く、若い女が倉田に少し懐く。その構図は珍しくない。珍しくないものは、だいたい問題にされない。
「倉田さん、次の企画、私も出たいな~」
「考えとく」
「やった! 倉田さん大好き!」
その「大好き」に、どれだけ本気があるのか、倉田は考えない。考えないほうが楽だからだ。本気じゃなくても困らないし、本気だったらそれはそれで面倒だ。曖昧なまま受け取って、曖昧なまま返す。そのほうが関係は長持ちする。
倉田はウイスキーを一口含んだ。ウイスキーって言うと出てくる、国産の安いやつだ。喉に少しだけ雑な熱が残る。しかし今日はそれでも十分だった。すべてが思い通りに回っている。仕事も、女も、人間関係も。少なくとも、倉田にはそう見えていた。
自分は特別モテるわけじゃない。顔がいいわけでもない。金を派手に使うタイプでもない。ただ、相手が欲しがるものを、その場その場で渡すのがうまい。褒め言葉。出番。安心感。少しの特別扱い。そういう小さな餌を、相手が欲しがるタイミングで差し出せる。それは恋愛の才能というより、演出の才能に近い。倉田はそういう意味で、自分を有能だと思っている。
そして、その有能さが、どこかで誰かを雑に扱っているかもしれないとは、あまり考えない。考えなくても回るからだ。回っているものを、わざわざ止めて点検する人間は少ない。テレビの現場はとくにそうだ。止まることのほうが罪になる。空気を悪くすることのほうが、触れ方の雑さより嫌われる。だから倉田みたいな男は生き残る。むしろ“気が利く人”として重宝される。
りりかがまた笑う。スタッフもつられて笑う。個室の中に、安っぽくて居心地のいい空気が満ちる。倉田はその中心にいる。自分が場を回しているという感覚がある。その感覚は、酒よりも気分がいい。
その夜の倉田は、まだ機嫌がよかった。自分の手癖が、いつか自分自身を恥じさせることになるなんて、少しも思っていなかった。
数日後、倉田は新しい企画書を受け取る。いつものように、キャスティング欄から先に目を通した。そこにあった名前が、一柳マキだった。




