表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人間飼育記録:ポンコツ個体は今日も脱走に失敗する  作者: きなこもち
第3章 『金の檻は誰のもの』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/23

「渡したくない」

 


 ヴァルシアの宿を見た翌日、街の空気はさらに悪くなっていた。


 気のせいではない。


 人の流れそのものはいつも通りだ。

 荷車は通るし、露店は開くし、酒場の女たちは昼間から客を引いている。

 けれど、そのざわめきの底に、いつもとは違う“待ち”がある。


 何かが決まるのを待っている。

 誰かが動くのを待っている。

 そして、その中心に自分がいるのだと考えると、ソラはひどく気分が悪くなった。


「今日はもう目が死んでる」


 朝、硬いパンをかじりながらミアラが言った。


「死んでない」


「半分くらい」


「縁起でもないこと言うな」


「比喩」


 その返しが最近ちょっとだけセレスっぽい、と一瞬思ってしまって、ソラは自分で嫌な顔になった。


「ほら、今の」


「だから見るなって」


「無理」


 いつもの応酬だ。

 なのに今日は、少しだけ重い。


 昨夜のヴァルシアの視線がまだ身体に残っている。

 見つかった、というより、逃げる前提で観察された感じ。

 追い詰めるわけでもなく、余裕のまま“そのうち自分の前へ来る”と知っているみたいな目だった。


 最悪だ。


「で、どうすんの」


 ソラが低く訊くと、ミアラは肩をすくめた。


「逃げる」


「雑だな」


「今さら?」


「今さらだけど」


 ルッカが横で小さく手を挙げた。


「東は捨てた方がいい。あと橋沿いも。今朝、教国のやつ見た」


「うわ」


 ソラが顔をしかめる。


 教国。

 竜侯国。

 商盟。

 管理局。


 名前が増えるたびに、行ける場所が減っていく。

 個人で逃げているだけのはずなのに、だんだん地図全体から追い詰められていく感じがした。


「西に抜ける?」


 ルッカが言う。


「西は西で、昨日から研究院の人間が増えてる」


 ミアラが答えた。


 その瞬間、ソラの指がぴくりと止まる。


「…研究院」


「うん」


「誰」


「そこまでは」


 ミアラはそう言ってから、少しだけソラの顔を見た。


「でも、白い外套の女を見たって話」


 喉が、ひどく変な鳴り方をした。


 白い外套。

 研究院。

 その連想が早すぎて嫌になる。


 セレスかどうかは分からない。

 でも分からないだけで、可能性は十分ある。


「…何だよ、その顔」


 ミアラが言う。


「どんな顔」


「嫌そうなのに、ちょっとだけ違う顔」


「意味分かんねえ」


「こっちも完全には分かってない」


 ルッカが空気を読んでいるのか読んでいないのか、ぼそっと言う。


「迎えに来たんじゃないの」


「迎えって言うな」


 反射的にソラが返すと、ルッカがびくっと肩をすくめた。


 少し言いすぎた。

 だが今はそれを謝る余裕もない。


 迎え。


 その言葉が、昨日のヴァルシアと繋がってしまう。

 高い宿。

 整えられた部屋。

 来るのを待つ側の余裕。


 セレスが来るのも、同じ意味に見えてしまったらどうするのか。

 そう考えただけで、胸の奥が妙にざらついた。


 ◇


 その日の午後、ソラは結局、一人で外へ出ていた。


 もちろんミアラは反対した。


「は?」


 と言った。

 そのあと、「何でそうなるの」とも言った。


 それでも出たのは、単純にじっとしていられなかったからだ。


 セレスが来ているかもしれない。


 その情報だけで、隠れ場所に座って待つのが無理だった。

 会いたいわけじゃない。

 たぶん違う。

 でも、会った時にどう思うのか確かめたい気持ちはあった。


 最悪だ、とソラは思う。


 こんな時点で自分の中に確かめたいものがある時点で、もう十分に面倒だ。


 西区画寄りの通りは、東よりいくらか整っていた。

 研究院に近い種の施設や、役所、上等な宿が点在していて、路地裏の雑さが少しだけ薄い。

 そのぶん、監視の目も増える。


 ソラは首元の布を深く引き上げ、人の流れの端を歩いた。


 緊張する。

 値踏みされる感覚も嫌だが、今日はそれだけじゃない。

 探している側の気配を、自分も探してしまっている。


 いた。


 通りの向こう、石畳の広場を抜けた先。


 白い外套。

 淡い金の髪。

 すっと伸びた背筋。


 セレスだった。


 胸の奥が、どく、と鳴る。


 嫌な鳴り方だ。

 怖い時とも違う。

 安心とも違う。


 ただ、一瞬で呼吸のリズムが変わる。


 セレスは一人ではなかった。

 研究院の職員らしい女がふたりほど少し後ろにいる。

 だが中心は明らかに彼女だった。

 周囲へ何かを尋ね、紙を確認し、また歩き出す。


 その姿はいつも通り整っている。


 なのに、少しだけ違って見えた。


 余裕が薄い。

 歩く速度がほんの少し速い。

 視線が、何かを探す時のそれになっている。


 ソラは反射的に、物陰へ身を寄せた。


 見つかるな。

 でも、もう少しだけ見たい。


 ひどく矛盾した気持ちのまま、呼吸を浅くする。


 セレスが立ち止まる。


 なにかを感じたみたいに、ゆっくりと顔を上げた。


 そして、まっすぐこちらを見た。


「…っ」


 見つかった。


 逃げなければ、と頭は言う。

 でも足が、ほんの一瞬遅れた。


 セレスの目が大きく開く。

 その変化があまりに一瞬で、ソラは逆に動けなかった。


「ソラ」


 名前を呼ばれる。


 人混みの向こう。

 雑踏の中。

 それでも、はっきり届いた。


 逃げろ。


 ようやく身体がそう判断し、ソラは踵を返した。

 だが次の瞬間には、セレスの足音もこちらへ向かっていた。

 研究院で聞き慣れたはずのそれが、今は妙に切迫して響く。


「待って!」


 待たない。

 待てるわけがない。


 ソラは細い脇道へ飛び込んだ。

 だがそこは行き止まりではないにせよ、奥へ行くほど狭くなる。

 やばい、と思った時にはもう遅い。


「ソラ!」


 後ろから手首を掴まれた。


 強い力ではない。

 振り払おうと思えば、振り払えたかもしれない。


 でも、掴まれた瞬間の温度に、ほんの一瞬だけ身体が止まった。


 最悪だった。


「…離せよ」


 振り返らずに言うと、セレスは息を乱したまま返す。


「離したら、またいなくなるでしょう」


「そういうとこだよ」


 低く返す。


 掴まれた手首が熱い。

 体温のせいじゃない。

 そこだけ神経が集まったみたいに過敏だった。


 セレスはしばらく何も言わなかった。


 その沈黙の間に、ソラはようやくゆっくり振り返る。


 近い。


 思ったよりずっと近くで、セレスが息をしていた。

 少しだけ乱れた髪、いつもより速い呼吸、翡翠の目の奥にある、隠しきれていないもの。


 安堵。

 焦り。

 怒りではなく、もっと別の切迫。


 こんな顔、前はあまり見なかった。


「…何しに来たんだよ」


 ソラが言う。


「探しに来たの」


「何で」


「何でって」


 セレスの声が少し掠れた。


「あなたを見失ったままにできるわけないでしょう」


 その言葉に、胸が少しだけ痛む。


 それは保護責任としてなら、たぶん正しい。

 研究院の管理者としてなら、当然の答えだ。


 でも今のセレスの顔は、それだけには見えなかった。


「研究院の仕事?」


 あえて冷たく訊くと、セレスは一瞬だけ言葉を止めた。


 その止まり方に、ソラは妙なものを感じる。


「…それもあるわ」


「それも、って何だよ」


「ソラ」


「名前で誤魔化すな」


 手首を掴まれたまま、ソラはセレスを睨み上げる。


 近い。

 息苦しい。

 でも逃げたいだけでもない自分がいて、そのことに腹が立つ。


「ヴァルシアに見つかった」


 ソラが先に言った。


 セレスの目が鋭くなる。


「いつ」


「昨日」


「怪我は」


「そこ先に聞くんだな」


「当たり前でしょう」


「…そういうとこがな」


 言いかけて、やめる。


 セレスは掴んだ手を離さなかった。


「彼女はあなたを狙っている」


「知ってるよ」


「知っているなら」


「戻れって?」


 セレスが黙る。


 その沈黙に、ソラの胸の奥がまたざらついた。


 やっぱりそうだ。

 そういう話になる。


 研究院に戻れば安全。

 少なくともヴァルシアの手からは遠ざけられる。

 その理屈は分かる。

 分かるから余計に嫌だ。


「俺さ」


 ソラは低く言った。


「昨日、あいつの宿見た」


 セレスの指先がわずかに強ばる。


「すっげえ高そうなとこで、迎えの準備しててさ。部屋も服も全部整えてる感じだった」


「…」


「で、思ったんだよ。豪華でも閉じ込めるなら同じだって」


 セレスは何も言わない。


「研究院もそうだった」


 言葉が少しずつ熱を持つ。


「お前はもっと丁寧だった。優しかった。ちゃんと名前も呼んだし、俺の嫌いなものまで覚えてた。…でも、閉じ込めてたのは同じだろ」


「ソラ」


「違うって言えるのかよ」


 そこで初めて、セレスの手が少しだけ震えたのが分かった。


 怒っているわけではない。

 傷ついているのだと、ソラには分かった。


 分かりたくなかった。


「私は」


 セレスが低く言う。


「あなたを、ヴァルシアに渡すつもりはないわ」


「それ、俺のため?」


「…ええ」


「全部?」


 また沈黙。


 この沈黙が、ソラには一番きつかった。


 研究院の理屈だけなら、まだ反発できる。

 でも今のセレスは、理屈の外に何かを持ち込んでいる。

 そのくせ、それをまだうまく言葉にできていない。


「…誰にも」


 やがて、セレスがぽつりと漏らす。


「あなたを、誰にも渡したくないの」


 その一言で、空気が止まった気がした。


 ソラは瞬きを忘れる。


 意味が分からないわけじゃない。

 でも、分かりたくない意味も混ざっていた。


 研究院の責任。

 管理者としての保護。

 それだけではない響き。


 嬉しい、ではない。

 安心でもない。

 真っ先に来たのは、ひどく曖昧で、ひどく刺さる怖さだった。


「…それ、何なんだよ」


 ようやく出た声は、自分でも驚くくらい低かった。


 セレスは答えない。


 答えられない顔だった。


 ソラはその顔を見て、胸の奥が痛くなるのを感じた。

 期待してはいけない。

 分かっている。

 でも、ほんの少しだけ、“違う答え”を持ってきてほしかった自分がいたのだと気づいてしまう。


 そのことが、何より最悪だった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

もし作品を気に入っていただけましたら、

下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。


★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/


また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ