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人間飼育記録:ポンコツ個体は今日も脱走に失敗する  作者: きなこもち
第3章 『金の檻は誰のもの』

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20/22

「金の檻」

 


 ヴァルシアと遭遇したその日の夕方、ソラはミアラと本気で喧嘩しかけた。


「だから言っただろ!」


 狭い隠れ場所へ戻るなり、ソラは布を乱暴に外して床へ投げた。


「あれ絶対やばいやつじゃん!何だよあの目!何で止めなかったんだよ!」


「止められるなら止めてる!」


 ミアラも珍しく声を荒げる。


「相手が誰だと思ってんの!通りのチンピラじゃないんだよ!」


「じゃあ何だよ、侯爵なら見られて終わりってことか!?」


「そういう意味じゃない!」


「でもそういう空気だっただろ!」


 言い合いの勢いだけは十分だった。

 だが、言葉をぶつけながらも、ふたりとも本当に怒っている相手は相手そのものではない。


 ヴァルシアだ。


 あの女が、あまりにも“当然”みたいにソラを欲しがる目をしていたこと。

 そして、その“当然”を成立させられる立場にいること。


 それが、とにかく気味が悪かった。


「…っ、くそ」


 ソラは壁を蹴りそうになって、足のことを思い出してやめた。

 代わりにぐしゃぐしゃの布を掴んで握り潰す。


 ミアラもまだ息が荒い。

 耳がぴんと立ち、尻尾が苛立たしげに揺れていた。


「とにかく今日はもう動かない」


「嫌だ」


「嫌でも」


「嫌だって!」


 叫んでから、自分でも少しだけ驚く。


 さっきの遭遇で、思っていた以上に神経が削られていたらしい。

 胸の奥がざわつく。

 落ち着かない。

 じっとしていると、あの金色の目が頭に蘇る。


 ――美しいな。

 ――その目はいいな。

 ――私の好きな目だ。


「…最悪だ」


 低く吐き捨てると、ミアラが息をついた。


「それは同意」


「お前、前から知ってたのか」


「名前と噂だけ」


「十分怖いだろ」


「怖いよ」


 ミアラはそのへんの木箱へ腰を下ろした。


「欲しいものを隠さない。欲しいと思ったら引かない。しかも引かなくて済む力がある。ああいうのが一番面倒なんだ」


 ソラは何も言えなかった。


 研究院の息苦しさは、ある意味で分かりやすかった。

 丁寧に扱われる。

 でも閉じ込められる。

 守ると言いながら、自由は奪われる。


 ヴァルシアは違う。


 丁寧かどうかも、優しいかどうかもまだ分からない。

 ただ、“欲しいから欲しい”と隠さない。

 その露骨さが、かえって逃げ場を奪う。


「…もうさ」


 ソラは壁にもたれたまま、顔を上げた。


「どいつもこいつも、囲う前提なんだよな」


「この世界の奴らは、みんなそう」


「うんざりする」


「そうだね」


 ミアラの返しは短かった。


 ちょうどその時、外の通路で足音がした。

 ルッカだ。

 慌てた様子で布をくぐり、息を切らせたまま入ってくる。


「姉貴、やばい」


「今度は何だ?」


「だってやばいんだよ!」


 ルッカはソラを見るなり、少しだけ目を丸くした。


「まだいた」


「どういう確認だよ」


「いや、侯爵見たあと消えててもおかしくない顔してたから…」


 その言い方が妙に正確で、ソラは黙った。


 ルッカは空気を読んだのか読まないのか、そのまま早口で続ける。


「竜侯国のとこ、宿取ってる。西区画の上宿。しかも、護衛だけじゃなくて“迎えの準備”してるって」


「迎え?」


 ソラが顔を上げる。


 ミアラの目も細くなる。


「どこからの話」


「荷運びの連中。高そうな部屋を整えろって言われたって」


 その瞬間、ソラの背筋に嫌な寒気が走った。


 迎え。

 部屋を整える。

 高そうな部屋。


「…何だよそれ」


 ぼそっとこぼすと、ルッカは言いにくそうに肩をすくめる。


「たぶん、囲う気まんまんだな」


 ふざけんなよ、とソラは言いたかった。

 だが喉が変に詰まって声にならなかった。


 ミアラが静かに立ち上がる。


「場所、正確に分かる?」


「だいたいは」


「行く」


「は?」


 ソラが顔を上げる。ミアラは本気の顔だった。


「見に行く」


「何で」


「敵がどこまで本気か見るため」


「危ないだろ」


「危ないから見にいくの」


 その理屈はミアラらしくて、でも今のソラには全然納得できなかった。


「お前、それで捕まったらどうすんだよ」


「捕まらない」


「なら俺も行く」


「は?」


 今度はミアラが本気で嫌そうな声を出した。


「何で」


「何でって」


「何でそうなるの!」


「俺の話だろ!」


 叫んだ瞬間、狭い隠れ場所の空気が少し揺れた。


 そうだ。

 これは自分の話だ。

 誰がどんな部屋を整えようとしているのか、誰がどんなつもりで迎えるつもりなのか、それを知らないまま待っているのは嫌だった。


 ミアラは額を押さえた。


「いや、理屈は分かるけど」


「けど何だよ」


「今のあんた、あいつの前で平常心保てる?」


 それを言われると少し詰まる。


 金色の目が頭に浮かぶ。

 見つけたものを値踏みするんじゃなく、最初から“欲しいもの”として見る目。

 たしかに、あれを前にして冷静でいられる自信はなかった。


 それでも。


「見ておきたい」


 低く言う。


 ミアラはしばらく無言でソラを見ていたが、やがて面倒くさそうに息を吐いた。


「絶対前に出るなよ」


「…出ないって」


「今の間、信用度ゼロなんだけど」


「今回はほんとに」


「毎回それ言ってるだろ」


 ルッカが横でぼそっと言った。

 お前は黙ってろ。


 ◇


 西区画の上宿は、路地裏の隠れ家とはまるで別世界だった。


 建物の外壁からして違う。

 白っぽい石が磨かれ、窓枠には金属細工。

 入口には制服姿の女たちが立ち、出入りする馬車まで質がいい。


 ソラは少し離れた屋根の影から、それを見下ろしていた。


「うわ…」


 思わず漏れた声に、ミアラが小さく肘を入れてくる。


「静かに」


「いや、だって」


 だって、あれは。


 研究院の客室よりさらに露骨に“上の人間の場所”だ。

 綺麗で。

 高価で。

 温かくて。

 そして、どこへも逃がさないようにできていそうな場所。


 入口から少しして、大きめの馬車が入っていく。

 荷台ではなく、客を乗せる上等な型だ。

 中から運び込まれているのは箱ではない。

 布、酒瓶、花、それから衣装箱のようなものまである。


「…何なんだよ、あれ」


 ソラが呟くと、ルッカが小声で答える。


「完全に迎える気まんまんだね」


「迎えるって言い方やめろ」


「でも絶対そうじゃん」


 ミアラはじっと宿の動きを見ていた。


 護衛の配置。

 出入りする人数。

 裏口の位置。

 そういうものを全部頭へ入れている顔だ。


 ソラはその横顔をちらりと見て、それからまた宿へ視線を戻す。


 豪華だった。


 研究院と似ているところもある。

 上等な部屋。

 整った管理。

 寒くない空間。

 不足のない食事。


 でも、ここはもっと露骨だ。

 “珍しいものを迎える準備”を、隠しもしない。


 その時、宿の正面玄関が静かに開いた。


 出てきたのは、ヴァルシアだった。


 昼間と同じく高い。

 だが夜の灯りの下だと、その存在感はさらに濃い。

 赤銅色の髪は鈍く光り、長い外套の裾が石段をゆっくり滑る。

 隣には側近らしい女がひとり、二歩後ろに護衛。


 ヴァルシアは何か指示を出し、それからふと空を見た。


 その動作ひとつまで堂々としていて、ソラは無意識に息を止めた。


「見つかるなよ…」


 小さく呟いた瞬間。


 ヴァルシアが、まっすぐこちらを見た。


 心臓が止まるかと思った。


 距離はある。

 屋根の影もある。

 なのに、確実に見られたと分かる。


「うそだろ」


 ソラがほとんど息だけで言うと、ミアラも一瞬だけ固まった。


 ヴァルシアの金の目が、夜の中でこちらを捉えている。

 見えた、というより、最初から気配を追っていたみたいな目だ。


 そして、口元がわずかに上がる。


「やば…」


 ルッカが引きつった声を漏らした。


 ヴァルシアは護衛へ何かを命じる様子もなく、ただ数秒こちらを見たあと、ゆっくりと宿の中へ戻っていった。


 追手は来ない。

 叫びもしない。

 止めもしない。


 その余裕が、逆に怖かった。


「移動」


 ミアラが即座に立ち上がる。


「今すぐ」


 言われるより早く、ソラも身を引いていた。

 屋根伝いに半壊した倉庫へ戻り、そこから細い抜け道へ滑り込む。

 三人とも口数は少ない。

 息だけが少し荒い。


 ようやく人目のない裏通りまで来てから、ソラは壁に手をついた。


「…何で分かるんだよ」


「知らない」


 ミアラの返事も珍しく固かった。


「でもあれ、絶対に気づいてた」


「うん」


 ルッカも青い顔で頷く。


「姉貴、あれやばい」


「知ってる」


 短いやり取り。


 だが、ソラの耳にはあまり入っていなかった。


 頭の中では、さっき見た光景がぐるぐる回っている。


 高級な宿。

 整えられた部屋。

 迎えの準備。

 そして、見つけても慌てず追わせず、ただ“分かっている”と示すだけの余裕。


「…最悪だ」


 低くこぼすと、ミアラが珍しくすぐには返さなかった。


 代わりに、しばらくしてから言う。


「うん。あれは最悪」


 声が少しだけ低い。


 ソラは顔を上げる。


「何だよ」


「何が」


「お前がそういう言い方すると、ほんとにやばい感じがする」


「するよ。ほんとやばいんだから」


 ミアラはそこで、ようやくソラを見た。


「たぶんあいつ、もう“手に入れる前提”で動いてる」


 その言葉に、胸の奥がひどく冷える。


 手に入れる。


 保護する、でもない。

 助ける、でもない。

 連れ戻す、ですらない。


 手に入れる。


 あまりにもはっきりしていて、だからこそ逃げ場がなかった。


 ヴァルシアは善悪の言い訳を使わない。

 欲しいものを欲しいと言う。

 しかも、その欲しさを現実に変える力を持っている。


「…豪華でも、閉じ込めるなら同じだ」


 気づけば、ソラはそう呟いていた。


 ミアラが目を細める。


「何」


「いや」


 ソラはゆっくり顔を上げた。


「研究院の部屋も嫌だった。でもあれは、もっと露骨で嫌だ」


 言葉にしながら、自分の中で少しずつ形がはっきりする。


 温かい部屋。

 高い服。

 足りないもののない生活。


 そういうものを差し出されても、自分の意思がなければ、それは結局檻だ。


 金で飾られていようが、白く磨かれていようが、同じだ。


「豪華でも、閉じ込めるなら同じ」


 今度は、はっきり口にした。


 ミアラは少しだけ黙って、それから鼻を鳴らす。


「うん」


「うん、って何だよ」


「分かるって意味」


 その返しに、少しだけ胸が軽くなる。


 少しだけ、だ。


 ヴァルシアの圧はまだ身体に残っている。

 見つけられた感覚も、追われるよりひどく気持ち悪い。

 なのに、今こうして言葉にしたことで、何が嫌なのかだけは少しはっきりした。


 ただ怖いんじゃない。

 ただ豪華だから圧倒されているんじゃない。


 自分の意思をすっ飛ばしたまま、“お前のためでもある”みたいな顔で全部整えられるのが嫌なのだ。


 それは研究院でもそうだった。

 そしてヴァルシアの金の檻は、もっと露骨で、もっと強く、それをやってくる。


「…絶対、嫌だ」


 ソラが低く言うと、ミアラは今度は何も返さなかった。


 ただ、その沈黙は否定ではなかった。

 少なくとも今は、同じものを見て、同じ嫌さを感じている沈黙だった。


 夜風が通り抜ける。


 寒い。

 でも、それでいいと思った。


 寒くても、自分で立っている方がましだ。

 金の檻で暖かく囲われるより、ずっと。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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