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人間飼育記録:ポンコツ個体は今日も脱走に失敗する  作者: きなこもち
第3章 『金の檻は誰のもの』

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18/21

「探し物は希少な男」

 

 その夜から、ミアラの動き方が少し変わった。


 いや、正確には、ソラにも分かるくらい露骨になった、というべきかもしれない。


 曲がる角が増えた。

 立ち止まる回数が増えた。

 同じ道を二度通らなくなった。

 それから、人の多い場所を避ける時の判断が、これまで以上に早くなった。


「今のは?」


 細い路地へ押し込まれた直後、ソラが小声で訊くと、ミアラは壁の向こうを一度だけ見てから答えた。


「教国側」


「何で分かるんだよ」


「靴」


「靴?」


「革の質。あと歩き方かな」


 そんなので分かるのか、とソラは思う。

 だが、今さらミアラのそういう感覚を疑う気にもなれない。


 外に出てから何度も思い知った。

 自分が気づかない危険を、この猫獣人は平気な顔で先に拾う。


「…俺、一生かかってもそこまで無理だな」


「一生ここで生きる気なら、そのうち覚えるんじゃない?」


「そのうちって怖いな」


「生き延びたら、の話だけど」


「怖いことを笑顔で言うな!」


 言い返しながらも、声はちゃんと抑えた。

 少しは学習している。


 夜明け前の街は冷える。

 東の空はまだ薄暗く、石壁の隙間を抜ける風がやけに鋭かった。

 ソラは首元の布を寄せる。

 研究院にいた頃の朝は、もっと柔らかく始まっていたな、と一瞬だけ思って、すぐにその考えを捨てた。


 今はそういうのを比べている場合じゃない。


 今は、“誰が自分を欲しがっているか”を知る方が先だ。


 ◇


 昼過ぎ、ミアラはソラを連れて、街の南寄りにある古い鐘楼跡へ向かった。


 鐘はもう外されていて、上部の窓も半分崩れている。

 だがそのぶん見晴らしはよく、下からも人が寄りつきにくい。

 情報の受け渡しには都合がいい場所らしい。


「ここ、前も来たことある?」


 石段を上りながらソラが訊くと、ミアラは短く答えた。


「ある」


「誰と」


「前のあたし」


「何その言い方」


「前はもっと信用ないやつと来てた」


「今は?」


「今もそんな変わんない」


「ひど!」


 だが、完全否定ではないのが妙に引っかかる。

 信用されていると言うには遠い。

 でも最初の頃みたいに、完全に“箱入り”としてしか見られていないわけでもない――気がする。


 気のせいかもしれない。

 でも、少し前のソラなら、その小さな変化に気づく余裕すらなかっただろう。


 鐘楼跡の途中階に、小柄な女がいた。


 褐色の肌に、耳飾りをいくつもつけた狐系獣人。

 年齢はミアラより少し上くらいか。

 細い指で紙片をくるくる回していて、目だけが妙に油断なく光っている。


「遅い」


 第一声がそれだった。


 ミアラは肩をすくめる。


「慎重って言って」


「慎重なやつはそんな目立つ奴を連れてこない」


 昨日の女と同じことを言う。

 情報屋の世界では定番の挨拶なのかもしれない。

 ソラは少しだけ眉を寄せた。


「本人の前で言うなよ」


「本人に関係ある話だからでしょ」


 狐女はそう言って、紙片をひらりと振った。


「今日の噂、だいぶ具体的になったよ」


 ソラの背中がわずかに固くなる。


「どんな」


 ミアラが先に問う。


「黒髪黒目の人間男。研究院からの逃亡個体。年若く、魔力反応は薄い。東区画で猫系獣人の少女と同行している可能性あり」


「…わりと終わってるな」


 ソラが呟くと、狐女がにやりと笑った。


「うん。かなり終わってる」


「笑うなよ」


「だって笑うしかないでしょ、その条件」


 たしかに条件だけ並べれば、自分でも笑いたくなるくらい絞り込みやすい。

 笑えないけれど。


 狐女は壁に寄りかかり、紙片を指先で折ったり伸ばしたりしながら話を続ける。


「商盟は“移送と保護”の名目で動いてる。表向きはね」


「表向きじゃない方は」


「高く売れる。あるいは高く貸せる」


 ソラは顔をしかめた。


 貸す、という言葉の下品さにぞわっとする。

 売るより嫌だ。

 品物みたいで。

 いや、実際向こうから見ればそうなのかもしれないが。


「教国は?」


 ミアラが問う。


「“聖なる保護”。希少な男を正しい環境へ導くのが務め、だって」


「気持ち悪…」


 ソラが漏らすと、狐女が肩を揺らした。


「うん、わかる。でもあそこ、本気でそう思ってるから厄介なんだよね。露骨に売り買いする連中より、正しいことしてますって顔の方が面倒」


 それは、本当にそうだった。


 研究院のことを思い出す。

 もっと清潔で、もっと理知的で、もっと上品だった。

 でも、“正しいことをしている”という空気の厄介さでは、たしかに似たものがある。


 ソラは無意識に奥歯を噛んでいた。


「あと、保護管理局」


 狐女が指を一本立てる。


「ここは名前の通り。違法保護と野良の希少種を回収して正規の施設へ入れるのがお仕事」


「野良って言うな」


「本当のことでしょ」


 返しが早い。

 しかも正しい。

 最悪だ。


「でも正規施設って、結局囲うんだろ」


 ソラが低く言うと、狐女は少しだけ目を細めた。


「飯は出る。寝床もある。寒さも凌げる。外より安全なことも多い」


「でも出られない」


「出る時は選べないことが多いね」


 ミアラと昨日交わした会話と、ほとんど同じだった。


 ソラの胸の奥がまたざらつく。


 どこへ行っても、“守るから囲う”の理屈がついて回る。

 危険だから。

 弱いから。

 珍しいから。

 全部もっともらしいのが余計に腹立たしい。


「…結局どこも同じじゃん」


 吐き捨てるように言うと、狐女は首を傾げた。


「同じじゃないよ」


「は?」


「値段が違う」


 あまりにも即物的で、ソラは一瞬言葉を失った。


 狐女は悪びれもせず続ける。


「商盟は金。教国は権威。管理局は制度。貴族は趣味と血統。欲しがる理由が違うだけ」


「趣味って言った?」


「言った」


「うわぁ…」


 心の底から嫌そうな声が出た。


 ミアラが横で鼻を鳴らす。


「で、竜侯国は」


 狐女の口元が少しだけ歪んだ。


「そこが今日いちばん面倒」


「本気なの?」


「本気。しかも、今回は使いじゃなくて“目”が来てる」


「目?」


「侯の側近。下見って言えばいいのかな。あの人が自分で動く前の準備」


 ソラは眉を寄せた。


 昨日の話より、さらに現実味が増している。


「竜侯国って、そんなに偉いのか」


「知らないわけじゃないでしょ?」


 狐女が呆れたように言う。


「強いよ。金も兵も影響力もある。しかも竜侯は、欲しいものを欲しいって隠さないタイプで有名」


 その説明を聞いた瞬間、ソラの背中に変な寒気が走った。


 欲しいものを欲しいと隠さない。

 それは教国より露骨で、商盟より個人的で、研究院よりずっと強引な匂いがする。


「…何なんだよ、その情報だけで怖いんだけど」


「でしょ」


 狐女はあっさり頷いた。


「でも一周回ってマシかもよ。綺麗ごとで包まない分」


「それは全然マシじゃない」


 ソラが即答すると、ミアラが横で小さく笑った。


「そこは早いんだ」


「そこだけはな」


 譲れない線だった。


 ◇


 話はまだ終わらなかった。


 狐女は紙片を畳み、今度は別の話へ移る。


「あと貴族筋」


「まだあるのかよ」


「あるよ。若い男、しかも人間種の希少個体を“庇護下に置く”のは、趣味と権威の両方になるからね」


「庇護って言葉、今日だけで百回くらい聞いてる気がする」


「似た言葉で包むと、人は残酷なことをしやすいから」


 狐女は淡々としていた。

 説教でもなく、ただ事実を言っている顔だ。


 その冷たさが、逆に信じられた。


「婚姻って話も?」


 ミアラが訊く。


「ある。血を欲しがるのもいるし、珍しいものを並べたがるのもいる」


「…最悪」


「今日はほんとそればっかだね」


 ソラは返事もしたくなかった。


 自分の人生の選択が、ここまできれいに消されていく話を、こんなに淡々と並べられるとは思わない。

 守る。

 庇護する。

 導く。

 婚姻。

 保護。


 どの単語も、こちらの同意が前提に入っていない。


「俺の意思って何なんだろうな」


 ぽろっと出た独り言に、場が少し静かになった。


 ミアラはすぐには何も言わず、狐女は紙片を回す指を止めた。


 やがて狐女が言う。


「そりゃ、欲しがる側からしたら邪魔でしょ」


 即答だった。


 ソラは思わず笑いそうになった。笑えないのに、笑うしかないような気分だった。


「ひでえ」


「本当のこと」


「…うん」


 否定できない。


 少なくとも今までの話を聞く限り、本当にそうだった。自分の意思は、どの勢力にとっても“管理しづらくする要素”でしかない。


「だから」


 ミアラがそこで口を開く。


「上が動き始める前に、こっちも動くしかない」


「どこに」


 ソラが訊くと、ミアラは少しだけ困った顔をした。


「それを今考えてる」


「急に正直」


「だって、ここまで広がると思ってなかったし」


 狐女が笑う。


「あんたもさすがに持て余し始めた?」


「うるさい」


「でも事実でしょ」


「…事実だけど」


 そのやり取りを聞きながら、ソラは妙に胸の奥が重くなるのを感じていた。


 ミアラは助けてくれた。

 今も一緒に動いてくれている。

 けれど、このままではミアラの手にも余る。


 自分はもう、路地裏ひとつで抱えられる規模じゃなくなっている。


 それが嫌だった。

 すごく嫌だった。


「ソラ」


 呼ばれて顔を上げると、ミアラがこちらを見ていた。


「なに」


「その顔やめて」


「どんな」


「“俺がいると迷惑だな”って顔」


 図星で、息が詰まる。


「…別にそんな」


「してる」


 ミアラは即答した。


「今さらだよ。面倒なのは最初から」


「フォローになってない」


「フォローしてないし」


 狐女が横で吹き出す。


「仲いいねえ」


「よくない」

「よくない!」


 ソラとミアラの声が綺麗に重なった。


 少しだけ、空気が軽くなる。


 その直後。


 狐女の表情がふっと変わった。


「…静かに」


 声が低くなる。


 ミアラが即座に腰を浮かせ、ソラの肩を引いた。

 鐘楼の崩れた壁の陰へ押し込まれる。

 さっきまでの軽さは一瞬で消えた。


 外から、複数の足音。


 石段を上がってくる。

 規則的で、迷いがない。

 路地のごろつきや斡旋屋とは違う。もっと訓練された歩き方だ。


「こんなに早く?」


 ミアラが低く舌打ちする。


 狐女はすでに別の出口へ向かっていた。


「話は終わり。今日はここまで!」


「おい」


「続きが聞きかったら生き延びな!」


 言うだけ言って、狐女は壁の割れ目みたいな細い隙間へ消える。

 はやい。


 足音が、すぐ近くまで来る。


 女の声がひとつ。


「このあたりで気配が切れた」


 もうひとつ。


「上へ」


 ソラの喉が、ひどく嫌な形で鳴った。


 ミアラが耳元で囁く。


「これ、もう路地の揉め事じゃない」


 以前に聞いたのと同じ言葉。

 でも今度は、もっと具体的で、もっと逃げ場がない形で迫ってきていた。


 ソラは息を殺しながら、自分の手が少し震えているのに気づいた。


 商盟。

 教国。

 管理局。

 貴族。

 そして竜侯国。


 探し物は希少な男。


 その言葉の“探し物”が、今この瞬間、自分そのものだという事実が、ひどく重かった。


 名前ではなく。

 人生ではなく。

 価値で呼ばれている。


 それでもまだ、捕まるわけにはいかなかった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

もし作品を気に入っていただけましたら、

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★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/


また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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