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人間飼育記録:ポンコツ個体は今日も脱走に失敗する  作者: きなこもち
第2章 『檻の外でも保護対象でした』

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「外にも檻はある」

 


 熱が引いてからも、ソラはしばらく身体の重さを引きずっていた。


 歩ける。

 食べられる。

 怒鳴る元気も戻った。


 でも、完全に元通りではない。

 足もまだ少し痛むし、夜になると熱の名残みたいなだるさが出る。

 ミアラはそれを見抜いているらしく、表向きはいつも通り雑なのに、移動距離や休むタイミングだけは妙に調整してきた。


「露骨に加減すんな」


 昼過ぎ、壁際で休まされながらソラが文句を言うと、ミアラは薄い布を頭の上へ投げて寄越した。


「日差しが強いから」


「それ、今の会話の返事になってない」


「なってるよ。無理させないって意味で」


「やっぱり露骨じゃねえか」


「病み上がりに文句言う元気があるなら平気そうだね」


 そう言いながらも、今日は人の多い通りをあまり選ばない。

 狭くて汚いが視線の少ない道ばかり選んで進む。


 ソラはそれをありがたく思いかけて、すぐに打ち消した。


 ありがたい、じゃない。

 助かる、くらいだ。

 ここでまた“面倒を見られること”に甘え始めたら、それはそれで嫌だった。


「何その顔」


「もうお前のその台詞聞き飽きた」


「でも毎回違う顔してるし」


「見すぎなんだよ」


 ミアラは肩をすくめるだけだった。


 路地を抜け、水路沿いを曲がり、古い石橋を渡る。

 そこからさらに街の端へ寄っていくと、途端に人の気配が薄くなった。

 代わりに、石と鉄の匂いが増える。


 大きな建物が見えてきた。


 灰色の壁。

 高い柵。

 入口には紋章の入った看板。

 窓は小さく、上の方にしかない。


 研究院みたいに綺麗ではない。

 だが、妙に“整って”いる感じだけは似ていた。


「…何あれ」


 ソラが足を止めると、ミアラも少しだけ速度を落とした。


「見なくていい」


「それ、見ろって言ってるのと同じだろ」


「言ってない」


「じゃあ何なんだよ」


 ミアラは少しだけ黙ってから答えた。


「保護施設」


 その言葉に、胸の奥がざらりとした。


「保護」


「身寄りのない子とか、売られそうなやつとか、拾われた希少種とか、そういうのが入るとこ」


「…入る?」


「入れられる、の方が正しいかも」


 ミアラの言い方は軽い。

 だが軽く流しているわけではないのが分かる。


 ソラは灰色の建物を見た。


 入口の前では、職員らしき女が数人、紙束を持って何か確認している。

 その脇を、小柄な獣人の子どもが二人、無言で通っていった。

 服は粗いが、一応清潔だ。痩せてもいない。

 殴られている様子もない。


 でも、自由そうには見えなかった。


「…あれも、保護か」


「一応ね」


「一応って何だよ」


「飯は出るし、寝床もある。寒さもしのげる。外より安全なことも多い」


 ミアラはそこで少しだけ視線を逸らした。


「でも、出る時は選べないことが多い」


 ソラは何も言えなかった。


 研究院の部屋が頭をよぎる。


 温かい寝台。

 鍵のかかった扉。

 食事。

 薬。

 体温を測る手。

 名前を呼ぶ声。


 違う。

 いや、本当に違うのか。


 丁寧さの度合いは違う。

 扱いも、清潔さも、食事の質も違う。

 でも根っこのところにある“守るから出さない”は、どこか似ていた。


「外にも檻ってあるんだな」


 ぽつりとこぼすと、ミアラの耳が動いた。


「あるよ」


「どこ行っても?」


「形を変えるだけで、わりとどこにでもあるよ」


「最悪だな」


「うん」


 即答だった。


 ソラは目を細める。


 自分は研究院だけが異常だと思っていた。

 いや、異常ではあるのだろう。

 人間の男を希少個体として扱い、丁寧に管理し、外へ出さない。

 十分に異常だ。


 でも、この世界全体が“弱いものは守る名目で囲う”側へ傾いているのなら、話は研究院ひとつで済まなくなる。


 逃げれば終わりではない。

 外へ出れば勝ちでもない。


 ただ、違う檻へ移されるだけなら、何のために逃げたのか分からない。


「…なあ」


「なに」


「お前、ああいうとこ入れられそうになったことあんの」


 ミアラは少しだけ驚いた顔をした。


 でも誤魔化さなかった。


「ある」


 短い返答。


「小さい頃、一回。拾われた先がそこ寄りの場所だった」


「そこ寄り?」


「飯は出る。寝床もある。でも勝手に外出るな、働く先はこっちが決める、危ないから一人で動くな、って感じ」


 ミアラは壁へ背を預け、鼻で笑った。


「三日で逃げたけど」


「三日」


「長い方だよ、あたしにしては」


 少しだけ誇らしそうなのが妙にらしい。


 ソラは、ふっと息を吐いた。


 やっぱり似ているところがあるのかもしれない。

 弱い立場に置かれて、“守る”を理由に自由を削られるのが嫌だという点では。


 もっとも、ミアラは自分よりずっと現場で強いし、逃げたあとの生き方も知っている。

 そこが決定的に違う。


「で」


 ミアラが視線を戻す。


「見て分かった?」


「何が」


「あんた、研究院だけが敵だと思ってると痛い目見るってこと」


 ソラは黙った。


 思っていた。

 少なくとも最初は。


 セレス。

 研究院。

 あの部屋。

 あの結界。


 そこから逃げれば、何とかなるとまでは言わなくても、少なくとも“いちばん大きい問題”は越えられる気がしていた。


 でも今は違う。


 自分を狙う視線は外にもある。

 値札をつける人間も、保護を言い訳に閉じ込める仕組みも、研究院の外に普通にある。


「…面倒だな」


 正直に言うと、ミアラは少しだけ笑った。


「今さら?」


「今さらだよ」


「そういう顔してると思った」


「だから見るなって」


 でも、言い返す声はもう前ほど強くなかった。


 ◇


 夕方近く、ふたりはさらに街の外れへ出た。


 ここまで来ると、建物の間隔も少し広い。

 古い倉庫、半分崩れた塀、使われていない水車。

 中心部の雑多な賑わいからは遠く、代わりに風の音がよく聞こえた。


 ルッカの情報では、この辺りまで来れば今日は追手も薄いらしい。

 ミアラは一応周囲を確認し、それからようやく肩の力を少し抜いた。


「今日はここまで」


「助かった…」


 ソラが石の段差へ腰を下ろすと、ミアラも少し離れた場所へしゃがみ込んだ。


 夕方の空は高かった。

 研究院の窓越しに見るのとは違う、遮るものの少ない空だ。

 それだけで少しだけ、胸の奥が軽くなる。


「…なあ、ミアラ」


「なに」


「俺さ」


 言いかけて、少しだけ迷う。


 自分でもまだ整理しきれていないことを言葉にするのは苦手だ。

 なのに、この猫獣人の前ではなぜか口が滑りやすい。

 たぶん、セレスみたいに静かに待つわけじゃなくて、必要なら途中で容赦なく口を挟んでくるから、逆に気負いが少ないのだろう。


「研究院に戻る気はない」


「うん」


「でも、研究院だけが嫌なんじゃなくなってきた」


 ミアラは黙って聞いている。


「何ていうか…世界の方がそうなってるっていうか」


「弱いやつは囲っとけ、みたいな?」


「そう、それ」


 あっさり言い当てられて、ソラは少しだけ悔しかった。


「お前、そういうとこ言語化うまいよな」


「そりゃ毎日見てるから」


「俺、もっと単純な話だと思ってたんだよ」


「研究院から逃げれば終わりって?」


「…まあ」


 ミアラは肩をすくめる。


「終わんないでしょ。あんたみたいなの、どこでも面倒起こるし」


「最後ひどくない?」


「ひどくない。事実」


 ソラは少し笑いそうになって、やめた。笑うにはまだ気分がざらついている。


「でもさ」


 ミアラが小石を一つつまんで、指先で遊ぶように回す。


「研究院だけが敵じゃないって分かったなら、逆に見えることもあるんじゃない?」


「何が」


「その学者」


 またそこか、とソラは顔をしかめる。


 セレス。


 その名前が出ると、どうしても胸の奥が変な鳴り方をする。嫌だ。

 嫌だが、もう完全に無視もできない。


「…何だよ」


「いや。研究院の外にも保護とか管理とかあるなら、あんたが嫌がってたことの中で、“あの人だけの問題じゃない部分”もあるんだなって」


 ソラは言葉を失った。


 そうだ。

 外にも檻はある。

 守るために囲う場所は、研究院の外にもいくらでもある。


 だからといって、セレスのやったことが軽くなるわけではない。

 でも、少なくとも“あいつだけが異常だった”と言い切れるほど単純でもなくなった。


 それがまた、ややこしい。


「…最悪」


 ぼそっと言うと、ミアラがくっと笑った。


「今日はだいぶ重い方の最悪だね」


「うるさい」


「でも、あんたちょっと顔変わった」


「どんな」


「前より、ただ怒ってるだけじゃなくなった」


 その指摘は、不思議と嫌ではなかった。


 怒っているのは事実だ。

 戻る気がないのも本当だ。

 でも今は、それだけではない。


 研究院だけが敵だった頃より、たぶん話は面倒になっている。


 それでも。


「戻る気はない」


 もう一度、今度は前より低く言う。


 ミアラが頷く。


「うん」


「そこだけは変わらない」


「知ってる」


 短いやり取りだった。


 けれど、その一言で妙に気持ちが固まる。

 戻らない。

 逃げ続ける。

 少なくとも、自分で選ぶまでは。


 空の色が少しずつ暗くなる。

 風が吹く。

 外はまだ冷たいし、不便だし、腹も減る。

 自由は全然楽じゃない。


 でも、やっぱり自分の足でここにいることだけは、本物だった。


「…研究院に戻る気はない」


 ソラは空を見上げたまま、もう一度言う。


「でも、研究院だけが敵だった頃より、話はずっと面倒になった」


 それは嘆きでもあり、次へ進むための認識でもあった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

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