「外にも檻はある」
熱が引いてからも、ソラはしばらく身体の重さを引きずっていた。
歩ける。
食べられる。
怒鳴る元気も戻った。
でも、完全に元通りではない。
足もまだ少し痛むし、夜になると熱の名残みたいなだるさが出る。
ミアラはそれを見抜いているらしく、表向きはいつも通り雑なのに、移動距離や休むタイミングだけは妙に調整してきた。
「露骨に加減すんな」
昼過ぎ、壁際で休まされながらソラが文句を言うと、ミアラは薄い布を頭の上へ投げて寄越した。
「日差しが強いから」
「それ、今の会話の返事になってない」
「なってるよ。無理させないって意味で」
「やっぱり露骨じゃねえか」
「病み上がりに文句言う元気があるなら平気そうだね」
そう言いながらも、今日は人の多い通りをあまり選ばない。
狭くて汚いが視線の少ない道ばかり選んで進む。
ソラはそれをありがたく思いかけて、すぐに打ち消した。
ありがたい、じゃない。
助かる、くらいだ。
ここでまた“面倒を見られること”に甘え始めたら、それはそれで嫌だった。
「何その顔」
「もうお前のその台詞聞き飽きた」
「でも毎回違う顔してるし」
「見すぎなんだよ」
ミアラは肩をすくめるだけだった。
路地を抜け、水路沿いを曲がり、古い石橋を渡る。
そこからさらに街の端へ寄っていくと、途端に人の気配が薄くなった。
代わりに、石と鉄の匂いが増える。
大きな建物が見えてきた。
灰色の壁。
高い柵。
入口には紋章の入った看板。
窓は小さく、上の方にしかない。
研究院みたいに綺麗ではない。
だが、妙に“整って”いる感じだけは似ていた。
「…何あれ」
ソラが足を止めると、ミアラも少しだけ速度を落とした。
「見なくていい」
「それ、見ろって言ってるのと同じだろ」
「言ってない」
「じゃあ何なんだよ」
ミアラは少しだけ黙ってから答えた。
「保護施設」
その言葉に、胸の奥がざらりとした。
「保護」
「身寄りのない子とか、売られそうなやつとか、拾われた希少種とか、そういうのが入るとこ」
「…入る?」
「入れられる、の方が正しいかも」
ミアラの言い方は軽い。
だが軽く流しているわけではないのが分かる。
ソラは灰色の建物を見た。
入口の前では、職員らしき女が数人、紙束を持って何か確認している。
その脇を、小柄な獣人の子どもが二人、無言で通っていった。
服は粗いが、一応清潔だ。痩せてもいない。
殴られている様子もない。
でも、自由そうには見えなかった。
「…あれも、保護か」
「一応ね」
「一応って何だよ」
「飯は出るし、寝床もある。寒さもしのげる。外より安全なことも多い」
ミアラはそこで少しだけ視線を逸らした。
「でも、出る時は選べないことが多い」
ソラは何も言えなかった。
研究院の部屋が頭をよぎる。
温かい寝台。
鍵のかかった扉。
食事。
薬。
体温を測る手。
名前を呼ぶ声。
違う。
いや、本当に違うのか。
丁寧さの度合いは違う。
扱いも、清潔さも、食事の質も違う。
でも根っこのところにある“守るから出さない”は、どこか似ていた。
「外にも檻ってあるんだな」
ぽつりとこぼすと、ミアラの耳が動いた。
「あるよ」
「どこ行っても?」
「形を変えるだけで、わりとどこにでもあるよ」
「最悪だな」
「うん」
即答だった。
ソラは目を細める。
自分は研究院だけが異常だと思っていた。
いや、異常ではあるのだろう。
人間の男を希少個体として扱い、丁寧に管理し、外へ出さない。
十分に異常だ。
でも、この世界全体が“弱いものは守る名目で囲う”側へ傾いているのなら、話は研究院ひとつで済まなくなる。
逃げれば終わりではない。
外へ出れば勝ちでもない。
ただ、違う檻へ移されるだけなら、何のために逃げたのか分からない。
「…なあ」
「なに」
「お前、ああいうとこ入れられそうになったことあんの」
ミアラは少しだけ驚いた顔をした。
でも誤魔化さなかった。
「ある」
短い返答。
「小さい頃、一回。拾われた先がそこ寄りの場所だった」
「そこ寄り?」
「飯は出る。寝床もある。でも勝手に外出るな、働く先はこっちが決める、危ないから一人で動くな、って感じ」
ミアラは壁へ背を預け、鼻で笑った。
「三日で逃げたけど」
「三日」
「長い方だよ、あたしにしては」
少しだけ誇らしそうなのが妙にらしい。
ソラは、ふっと息を吐いた。
やっぱり似ているところがあるのかもしれない。
弱い立場に置かれて、“守る”を理由に自由を削られるのが嫌だという点では。
もっとも、ミアラは自分よりずっと現場で強いし、逃げたあとの生き方も知っている。
そこが決定的に違う。
「で」
ミアラが視線を戻す。
「見て分かった?」
「何が」
「あんた、研究院だけが敵だと思ってると痛い目見るってこと」
ソラは黙った。
思っていた。
少なくとも最初は。
セレス。
研究院。
あの部屋。
あの結界。
そこから逃げれば、何とかなるとまでは言わなくても、少なくとも“いちばん大きい問題”は越えられる気がしていた。
でも今は違う。
自分を狙う視線は外にもある。
値札をつける人間も、保護を言い訳に閉じ込める仕組みも、研究院の外に普通にある。
「…面倒だな」
正直に言うと、ミアラは少しだけ笑った。
「今さら?」
「今さらだよ」
「そういう顔してると思った」
「だから見るなって」
でも、言い返す声はもう前ほど強くなかった。
◇
夕方近く、ふたりはさらに街の外れへ出た。
ここまで来ると、建物の間隔も少し広い。
古い倉庫、半分崩れた塀、使われていない水車。
中心部の雑多な賑わいからは遠く、代わりに風の音がよく聞こえた。
ルッカの情報では、この辺りまで来れば今日は追手も薄いらしい。
ミアラは一応周囲を確認し、それからようやく肩の力を少し抜いた。
「今日はここまで」
「助かった…」
ソラが石の段差へ腰を下ろすと、ミアラも少し離れた場所へしゃがみ込んだ。
夕方の空は高かった。
研究院の窓越しに見るのとは違う、遮るものの少ない空だ。
それだけで少しだけ、胸の奥が軽くなる。
「…なあ、ミアラ」
「なに」
「俺さ」
言いかけて、少しだけ迷う。
自分でもまだ整理しきれていないことを言葉にするのは苦手だ。
なのに、この猫獣人の前ではなぜか口が滑りやすい。
たぶん、セレスみたいに静かに待つわけじゃなくて、必要なら途中で容赦なく口を挟んでくるから、逆に気負いが少ないのだろう。
「研究院に戻る気はない」
「うん」
「でも、研究院だけが嫌なんじゃなくなってきた」
ミアラは黙って聞いている。
「何ていうか…世界の方がそうなってるっていうか」
「弱いやつは囲っとけ、みたいな?」
「そう、それ」
あっさり言い当てられて、ソラは少しだけ悔しかった。
「お前、そういうとこ言語化うまいよな」
「そりゃ毎日見てるから」
「俺、もっと単純な話だと思ってたんだよ」
「研究院から逃げれば終わりって?」
「…まあ」
ミアラは肩をすくめる。
「終わんないでしょ。あんたみたいなの、どこでも面倒起こるし」
「最後ひどくない?」
「ひどくない。事実」
ソラは少し笑いそうになって、やめた。笑うにはまだ気分がざらついている。
「でもさ」
ミアラが小石を一つつまんで、指先で遊ぶように回す。
「研究院だけが敵じゃないって分かったなら、逆に見えることもあるんじゃない?」
「何が」
「その学者」
またそこか、とソラは顔をしかめる。
セレス。
その名前が出ると、どうしても胸の奥が変な鳴り方をする。嫌だ。
嫌だが、もう完全に無視もできない。
「…何だよ」
「いや。研究院の外にも保護とか管理とかあるなら、あんたが嫌がってたことの中で、“あの人だけの問題じゃない部分”もあるんだなって」
ソラは言葉を失った。
そうだ。
外にも檻はある。
守るために囲う場所は、研究院の外にもいくらでもある。
だからといって、セレスのやったことが軽くなるわけではない。
でも、少なくとも“あいつだけが異常だった”と言い切れるほど単純でもなくなった。
それがまた、ややこしい。
「…最悪」
ぼそっと言うと、ミアラがくっと笑った。
「今日はだいぶ重い方の最悪だね」
「うるさい」
「でも、あんたちょっと顔変わった」
「どんな」
「前より、ただ怒ってるだけじゃなくなった」
その指摘は、不思議と嫌ではなかった。
怒っているのは事実だ。
戻る気がないのも本当だ。
でも今は、それだけではない。
研究院だけが敵だった頃より、たぶん話は面倒になっている。
それでも。
「戻る気はない」
もう一度、今度は前より低く言う。
ミアラが頷く。
「うん」
「そこだけは変わらない」
「知ってる」
短いやり取りだった。
けれど、その一言で妙に気持ちが固まる。
戻らない。
逃げ続ける。
少なくとも、自分で選ぶまでは。
空の色が少しずつ暗くなる。
風が吹く。
外はまだ冷たいし、不便だし、腹も減る。
自由は全然楽じゃない。
でも、やっぱり自分の足でここにいることだけは、本物だった。
「…研究院に戻る気はない」
ソラは空を見上げたまま、もう一度言う。
「でも、研究院だけが敵だった頃より、話はずっと面倒になった」
それは嘆きでもあり、次へ進むための認識でもあった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
もし作品を気に入っていただけましたら、
下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。
★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/
また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。
引き続きよろしくお願いいたします。




