一件落着
翌朝。
入学式の日に咲いていた桜の木は、今はもう緑色に変わっている。
初々しく緊張感に溢れた入学式の日とは違い、周囲を歩く同級生たちはふざけ合っていたり、あるいはダルそうに歩いたり、数日の間に通学路の景色は違う景色へと変わっていた。
葵は、欠伸をしながら歩いていた。
思い出すのは昨日の事件だ。
(冷静に考えたら、よくあの時落ち着いていられたよな……)
タカヤに襲われたこと、静香とタカヤの正体、蘭子の目的。
そのひとつひとつを思い出す度に、夢を見ていたのではないかと思ってしまう。
だが、事件の後に襲ってきた足の震えが、それが現実だったことを証明している。
「おはよ。葵」
後ろから声をかけてきたのは静香だった。
「ずいぶん眠そうじゃない」
欠伸をしていたところを見られていたようだ。
「昨日寝付きが悪くてさ……」
色々な話を頭の中で整理しながら眠りについた影響か、昨日は眠りが浅く何回か目が覚めてしまった。
「あんなことがあった後だもの。仕方ないわ」
静香は優しくフォローしてくれる。
「でもさ、タカヤはあんな話、俺たちに話して良かったのかな? 秘密にしておかなければいけないみたいなこと言ってたし」
聞いてはいけないことを聞いてしまったのではと、今頃になって心配になってきた。
秘密を知った葵自身のことではない。秘密を話したタカヤの身を案じていた。
「葵が聞いたんじゃないの。それに、話せるってことは、そこまで厳密に隠す必要がなかったからじゃないかしら?」
静香はごもっともな事を言う。
「そうなんだけどさ……」
うまく言葉にできないが、葵は異世界から来た二人のことを気に病んでいた。
「そんなに心配なら、本人に直接聞いてみなさいよ」
静香は微笑みながらそう言った。
「そうだよな……。よし。わかった。で、静香は平気なの? 自分の事、あんなに話して」
葵は、タカヤと同じく自分の秘密を明かした静香にも問う。
「私は話せるところまでしか話していないわよ。でも、本当にこれ以上は聞かないでちょうだい。これ以上は葵の身が危なくなるわ」
静香は真剣な表情で、言い聞かせるように答えた。
「消されちゃう?」
葵は苦笑いをしながら冗談で返す。
「……社会的にね」
静香は、わざと視線を逸らして独り言のように小さな声で呟いた。
その雰囲気に、葵は本気のヤバさを感じ取った。
「お願いだから、怪我しないでちゃんと帰ってこいよ」
人には言うことができない危険な仕事をしている静香の身を、葵は真剣な表情で案じていた。
静香は頬を赤らめて小さく頷いたが、すぐに恥ずかしくなったので照れ隠しをするように話題を変える。
「そういえば、今朝はヒロシと一緒じゃないのね?」
「あいつ、部活の朝練で忙しいんだとさ。本当に野球部とサッカー部の掛け持ちを始めちゃったから、放課後も練習で最近付き合い悪いんだよね」
いつも隣で軽口を叩いていたスポーツ万能の幼馴染が居ないことも、変わった景色のひとつだった。
教室に着くと、朝練を終えたヒロシがコンビニで買ったサンドイッチを食べていた。
蘭子とタカヤはまだ来ていないようだ。
とりあえず、適当な感じでヒロシに挨拶をする。
「おお! あおえ! おあおー! (おう! 葵! おはよー)」
葵に気がついたヒロシは、サンドイッチを頬張りながら挨拶を返した。
食べながら喋るなよ。あとレタス落ちたぞ。
あわててレタスを拾って、机に頭をぶつけているヒロシを横目に、苦笑いをしながら自分の席に着く。
「ふぁ~あ……」
そして、座るや否や大きな欠伸がでた。
やはり寝不足の影響だろう。
少し眠ろうかと思っていた矢先——。
「おっはよー!」
右手をまっすぐ挙げ、元気の良い挨拶をしながら蘭子が教室に入ってきた。
その後ろを、タカヤがフラフラしながら続いている。
目の下にはハッキリしたクマができていた。
蘭子はいつも通りに見えるが、タカヤは明らかに憔悴しているようだ。
「あおい! おはよう!」
「おう!」
席に着く蘭子といつもの挨拶を交わし、葵は静香と目配せを交わす。
意図を読み取った静香は蘭子の席へと向かった。
「蘭子ちゃんおはよう。ちょっといいかしら?」
葵は、蘭子と静香が話し始めたのを確認すると、その隙にタカヤの席へ向かった。
「ずいぶんとお疲れの様子だな。やっぱり、蘭子に怒られたのか?」
自席で項垂れているタカヤの肩をポンとたたいて声を掛けた。
タカヤはゆっくりと葵の方へ振り返る。
「……説教。九時間コース……」
目には涙を浮かべ、震えていた。
タカヤは、うつろな目で蘭子の説教の様子を振り返り始める。
————
昨日、下宿先の洋館にて。
19:30 居間。
タカヤは暖炉の前の硬い床に正座させられていた。
居間には蘭子の声が響いている。
「まず! 私情であおいを襲うとか何を考えてる!」
「……軽率だった」
タカヤは申し訳なさそうに、一言だけ下を向いたまま答える。
「軽率で済むか! お前は騎士だぞ! 自覚を持て!」
蘭子の後ろでは時計の振り子がゆっくり揺れていた。
————
21:00 食堂。
夕食後に蘭子は紅茶、タカヤはコーヒーを飲んでいた。
しかし、蘭子の説教はまだ続いている。
「次にだな、お前は目つきが悪い!」
なんだか変な方向に進み始めた。
「……それは、今回の件とは関係ない……」
とりあえず抗議を試みるものの、蘭子の説教は止まらない。
「あるんだよ! 昔の綺麗なお目目はどこに行った!」
タカヤの少年時代まで話が戻されている。
「俺は騎士になってから、常に警戒は怠——」
「黙れ! あと謝罪の声が小さい!」
有無を言わさず軍隊の上官のように捲し立ててきたので、ここは蘭子に従うしかない。
「申し訳ありま——」
「腹から声出せぇ!」
鬼上官め……。
————
23:30 居間(再び)。
二人は油ランプで照らされた薄暗い居間へと再び移動していたが、まだ説教は続いていた。
部屋の真ん中に置かれた楕円形のテーブルに2人は座り、タカヤは大人しく蘭子の話を聞いている。
「それとだな、お前、剣を抜くとき無言すぎなんだ! もっとこう……、なんか言え!」
既に説教の内容は蘭子の不満コーナーと化していた。
「……なんかってなんだ? いいだろ無言で」
「いる! だってカッコいいじゃん!」
……何の話だこれ。
————
深夜2:00 居間。
ソファへ移動した二人は、少し寒くなってきたのでブランケットを掛けた。
蘭子は肩で息をしながら説教を続けている。
流石に疲れてきたようだ。
「あと!」
(……まだあるのか)
時間が時間だけに、眠気が襲ってきている。
もう、許してください……。
「もっと肉を食え! 騎士は肉体労働だ! もっと体力をつけろ!」
「……クリームパンばかり食べてるお前に言われたくない……」
「うるさい!」
……何の時間だこれ。
————
明け方4:30 居間。
格子状の窓から見える外の様子は、うっすら明るくなってきている。
九時間続いた蘭子の説教は、ついに終わりを迎えようとしていた。
「……最後にひとつ。もう二度とあおいに手を出すな。私の許可なく剣を抜くな」
ひとつじゃなくてふたつあったな。
だが、真剣に涙を浮かべながら必死に訴える蘭子の姿を見て、タカヤは胸が詰まってしまった。
「もしまたやったら……お前に嫌われる、か?」
こんなことは二度としない。
タカヤはそう心に誓ったが、もう一度自分へ言い聞かせるために蘭子へ問う。
「……いや、蹴る」
「物理か……」
本来ならば、暴走した騎士の処分は説教だけでは済まない。
本国のルールなら、免職か死刑の可能性だってある。
つまり、タカヤがしたことはそれだけ重大な過ちだった。
だが、今回の処分は『説教』、次回は『蹴り』で済んでいる。
情状酌量とタカヤへの信頼から、事実上不問ということになったのだ。
葵からの伝言も、蘭子が処分を決める判断のひとつとなったようだ。
「よし。それじゃ部屋に帰って寝ろ」
これにて、ようやく蘭子の説教が終わった。
……もう朝日が昇りそうだが。
————
「……生きて帰ってこれてよかったな」
蘭子の説教ロングランを聞いて葵は呆れていた。
「もう二度と……、勝手な行動はしない」
そこで力尽きたタカヤは、バタンと机に突っ伏してしまった。
(お前……、意外と尻にしかれるタイプだな……)
言ってやろうかと思ったが、なんか可哀想なので心の中だけに留めておいた。
「葵、ちょっといいかしら?」
見計らったように静香が声をかけてきた。
「蘭子ちゃんから話があるそうよ」
静香は蘭子を連れてタカヤの席へやってきていた。
「あおい、来い。話がある。タカヤ! お前も来い!」
蘭子は葵には真剣な表情で、タカヤには怒った表情で言い、机に突っ伏したまま返事のないタカヤを無理やり立ち上がらせ、腕を引っ張って教室から出て行ってしまった。
その勢いに、思わず静香とポカーンと顔を見合わせてしまう。
「と、とりあえず追いかけるか」
「そ、そうね。私も行くわ」
そして、廊下に消えていった二人を慌てて追いかけた。
蘭子達は廊下の端にある空き教室へ入っていった。
ここは施錠がされておらず、休み時間などに自由に使用できる教室となっている。
しかし、朝のホームルーム前に使用する人は稀で、この時間はまず人が居ない。
葵と静香は、蘭子とタカヤの後を追ってこの教室に入った。
空き教室にも三十人分の机と椅子が並んでおり、教室後方は少しスペースが空いている。
ここは自分たちの教室のような喧騒が無く、しんとした寂しい空間になっていた。
その教室の真ん中後方で、蘭子とタカヤ、葵と静香が向かい合って立っている。
蘭子は、葵と静香を一度ずつ交互に見た。
「あおい、しずか。昨日のこと、全てタカヤから聞いた。本当に……、本当に申し訳なかった」
そして、気を付けの姿勢から90度に腰を曲げ、最敬礼のお辞儀をする。
だが、隣でタカヤが立ちながら眠りかけていることを横目で確認すると、ムッとした表情になった。
「タカヤ! お前も謝れ!」
そう言って、右手でタカヤの後頭部を押さえて無理やりお辞儀をさせた。
背の低い蘭子が90度のお辞儀になっているので、タカヤは120度ぐらいまで腰が曲がり、前屈のような体勢になってしまっているが……。
葵は、その滑稽な光景に戸惑いながらも、蘭子があまりに真剣な表情で謝るので慌ててそれを止めた。
「蘭子、頭を上げてくれ。もういいんだ。昨日ちゃんとタカヤと話をして、俺はもう許してるから。タカヤだって反省してるんだろ?」
それでも、蘭子は一歩も譲らない。
「よくない! これは私の監督不行届でもある! あおい! お前はもしかしたら死んでたかもしれないんだぞ! 私が、余計なことを話したせいで……」
頭を上げた蘭子は涙目だった。
やはり蘭子にとって、この事件は辛く悲しい出来事で、彼女なりに責任も感じているようだった。
「しずかにだって辛いことさせた! しずかがずっと守りたかったものを壊してしまったんだ!」
続いて静香に向かい、声を震わせながら言う。
「せっかく出来た友達を……、失ってしまうかもしれなかったんだぞ……」
そして、そのまま俯いて黙り込んでしまった。
その様子を見ていた葵、静香、頭を上げたタカヤは何も言えなくなり、お互いに顔を見合わせてしまう。
そんな気まずい空気を断ち切るように、優しい声で話し出したのは静香だった。
「私達は大丈夫よ蘭子ちゃん。……辛かったわね」
そう言って、静香は蘭子を優しく抱きしめた。
何も言うことが出来ない男性陣に変わって、静香は続ける。
「蘭子ちゃん、この世界の男の子はね、喧嘩をして、お互いの気持ちをぶつけ合って仲良くなっていくのよ」
蘭子は、静香の胸に埋もれていた顔を上げて静香の顔を見た。
一方、静香は蘭子の表情を見て、優しく微笑みながら蘭子を離す。
「それに、私の事も。葵にずっと隠している事は出来ないって理解していたわ。いつかはその時が来る。それが昨日だっただけよ」
そのまま両手を蘭子の両肩に置きながら、蘭子の目をまっすぐ見つめた。
少しの沈黙の後、蘭子は葵の方を見て不安そうに尋ねる。
「……ほんとか?」
話を振られた葵は、静香のフォローをするように答える。
「本当だ。だけど、今回の事で結果的にお前を傷付けてしまった。俺だって、お前にこんなことさせてしまったのは心が痛い。謝らなければいけないのは俺もそうだ。だから一人だけで責任を背負う必要はない」
葵の言葉を聞いて、静香が頷きながら続ける。
「そうよ。人間はそれぞれ考えが違うもの。生きていれば必然とぶつかる事もあるわ。でも大事なのは、『これからどうするか』じゃないかしら?」
「あおい……。しずか……」
今にも泣き出しそうな声だが、何か考えながら蘭子は二人の名前を呼んだ。
そして、その顔は急にパッとイタズラっぽい笑顔に変わる。
「わかった。それなら今度ウチに来てくれ! 正式な詫びと、日頃世話になっているお礼も兼ねて二人を盛大にもてなしたい」
元気を取り戻した蘭子を見て、葵と静香は笑みを浮かべた。
「オーナーが作るアップルパイがな、めちゃくちゃ美味しいんだ! 是非食べて行ってくれ!」
その笑みが返事と理解した蘭子は、少し興奮気味で話している。
「わかった。楽しみにしてる」
嬉しそうな蘭子を見て安堵した葵は一言だけ返事をしたが、続けて何か閃いたような表情を浮かべた。
「それじゃあ俺からも提案だ。今日の昼飯は四人で一緒に食べよう。こっちの世界では『一緒に食事をする』ことで親睦を深めるんだ」
「それは名案だ! タカヤ、しずか! 異論はないな?」
葵の提案を聞いた蘭子は目を輝かせながら賛同する。
蘭子から返事を求められた二人は共に頷き、こうして昼休みに異世界交流昼食会の開催が決定した。
タイミング良く、ちょうど予鈴が鳴った。
1年C組の教室に向かう四人の先頭で、蘭子は鼻歌を歌いながら歩いていた。
その後ろを左から静香、葵、タカヤの順で横並びに歩いている。
予鈴が鳴った後なので、廊下に居る生徒はまばらだ。
数名の生徒が慌てて教室に向かっているが、四人を気にしている生徒は居ない。
そして、それぞれの教室から聞こえてくる喧騒が廊下にこだまし、人気がないのに騒がしいという不思議な空間と化していた。
そんな中、少しフラフラしているタカヤに向かって葵が言う。
「お前さ、眠いのはわかってるけど、ああいう時くらい何か言ってやれよ」
さっきの件で、ずっと黙っていたタカヤに不満を持っていた葵が肘で小突いた。
小突かれた脇腹をさすりながら、タカヤは困ったように返事をする。
「あそこで俺が何か言ったら、なんとなく逆効果になりそうな気がしてな……」
その返事を聞いた静香が答える。
「頼りない騎士ね。もっと自信持ちなさいよ」
二人から続け様に責められ、タカヤは下を向いてしまった。
(まぁ……、この様子だとコイツも相当懲りたんだろうな)
タカヤのことが少し気の毒に感じてきた葵は話題を切り替えた。
「ところでさ、お前達ってどこに住んでるんだ? まさか毎日あっちの世界へ帰ってるって事はないよな?」
ウチに来いと蘭子に言われたものの、彼らの私生活には謎が多いので、せっかくだから聞いてみることにした。
「そう簡単に異世界間を行き来する事は出来ない。住んでいるのは町外れの洋館だ。古いレンガ造りの。そこに蘭子と一緒に下宿させてもらっている。地元では有名な建物と聞いているが?」
タカヤに言われて二人はすぐにピンと来た。
「っまじ!? あそこに住んでるの!? そっか! だからオーナーって言ってたのか!」
「私も知っているわ。良いところに住んでるじゃない」
町外れに昔からある建物だ。
市の文化財にも登録されており、レトロでお洒落な外観から密かな観光スポットとして地元では知らない人がいない場所だった。
「アップルパイも楽しみだけど、あそこに入れるだけでもワクワクするよ」
「私もすごく興味があるわ」
二人は興奮気味に興味を示している。
「まぁ待て。あの場で蘭子が思いついたことだ。まだオーナーの許可が下りていない。悪い返事にはならないと思うが、正式な招待はそれまで待っていてくれ」
そんな二人をタカヤが冷静に落ち着かせた。
「そりゃあそうだよな。こっちはお邪魔させて頂く方なんだから無理にとは言わないさ。で、話を蒸し返すようで悪いんだが、昨日の件、俺達にあんなに話しちゃって大丈夫だったのか?」
葵は苦笑いをしながら、気になっていたことも聞いてみる。
「問題ない。細かいことは長くなるので割愛するが、実際、隠す意味がないからな。それはこっちの上位者も理解している」
タカヤは間を空けずに答えた。
「体裁上、必要だったということね」
簡潔にまとめたタカヤの説明を、静香が確認の意味も兼ねて尋ねる。
「そういうことだ。だから、お前達と俺たちのことも、何も心配する必要はない」
葵はタカヤの話を聞いて、ようやく胸を撫で下ろした。
話がひと段落したところで4人は教室に到着し、それぞれの席に向かっていく。
昼休み。
四時間目の授業が終わったと同時に、蘭子が後ろから肩を揺らしてきた。
「あおいー! お昼だ! 食べるぞ!」
「わかったから落ち着けって!」
葵は慌てて蘭子を落ち着かせようとするが、蘭子は楽しみで仕方がないといった感じで目が輝いている。
酔う!
揺れで酔うって!
「まずは机を4つくっつけてだな」
葵は静香と一緒に、静香と蘭子の机、自分と隣の田村くん(昼休みは購買で戦っているので基本居ない)の席を借りて四人
の島を作った。
そこへタカヤが弁当を片手に田村くんの席に座り、異世界交流昼食会会場が完成した。
それぞれが自分の昼食を机に並べ、四人はそれぞれの机を見渡して昼食のメニューを確認する。
葵は冷凍食品がメインの唐揚げ弁当、静香は手の込んだ手作り和風弁当、タカヤは意外にも野菜が多いヘルシー弁当、蘭子は購買に行っていないのに何故か『伝説のクリームパン』を持っていた。
「お前……、そのクリームパン、どっから出てきたんだ?」
葵が呆れたような表情で蘭子に聞く。
「うーん。上級生がな、『幸運がありますように』とか言って、なんか毎日くれるんだ」
……そうだった。
こいつは購買デビューで『伝説のクリームパン』を手にした『幸運の金髪美少女』だった。
どうやらあれ以来、『蘭子にクリームパンを渡すと良いことが起こる』と噂されているようだ。
なんか……、貢物とか献上品みたいだな。
葵は少し引きながらクリームパンの袋を開封する蘭子の話を聞いていた。
「しずかのはすごいな! それ、自分で作ってるのか?」
続いて、蘭子が静香の弁当を見て驚いている。
「ええ。そうよ」
優しく微笑みながら答える静香の弁当は、曲げわっぱの容器に、筑前煮、焼き鮭、ひじき、五穀米ご飯の入った美しい弁当だ。
「静香の家は伝統とか文化を大事にしている家庭なんだ。これは『わっぱ弁当』って言って、この世界の伝統的な弁当なんだぞ」
葵は静香の代わりに説明をする。
「ほう……。なるほど。ほのかな木の匂いと木目の模様が調和して食材の美しさが増しているな」
その弁当に興味を示したのはタカヤだった。
「ええ。それだけじゃないのよ。この容器はご飯が冷めてもベタつかずに炊き立てのようなご飯が食べられるの。おすすめよ」
静香は両手でわっぱ弁当を持ちながら、その魅力を紹介した。
「ひとつ、勉強になった」
タカヤはわっぱ弁当をマジマジと見ながら頷いている。
その様子を見ていた葵は、タカヤの弁当を見て目を丸くしていた。
「タカヤも自分で作ってるのか? なんていうか……。色々意外だな」
人参、ブロッコリー、フキ、レンコンなどがぎっしり詰まった野菜弁当を自作してきた意外性に驚いていた。
「そうだ。栄養バランスには気を使っている。体調管理も大事な騎士の仕事だからな」
勝手にレーションみたいな携行食ばかり食べていると思っていたので、タカヤの意外な一面を見て葵は感心していた。
「そうだ。蘭子もタカヤに作ってもらったらどうだ? 毎日菓子パンじゃあ、体に良くないぞ」
続いて、幸せそうにクリームパンを頬張っている蘭子に向かって聞いてみる。
「やだ! タカヤの弁当は嫌いだ。苦い」
しかし、即答で返され、蘭子はそっぽを向いてしまう。
あ、ほっぺにクリームついてる。
「お前、昨日は俺に肉をもっと食えと指摘したくせに好き嫌いを言うとは!」
それを聞いたタカヤがムッとして抗議をするが、蘭子は聞く耳持たずだ。
「うるさい! ハウス!」
「犬か俺は……」
犬扱いされているタカヤと蘭子のやりとりを見て、葵と静香は笑っていた。
「そう言うお前も手作りっぽいが?」
人の手作り弁当が気になるらしいタカヤは、葵の弁当にも興味を示している。
「冷凍食品の詰め合わせだけどな。温めるだけで良い時短メニューだ。最近のはよく出来ていて結構うまいぞ。スーパーに売ってるから今度教えてやる」
葵はそう言いながら、きんぴらごぼうをタカヤに渡して試食させた。
「……!? ……うまい。これが……? 冷凍されていたものだと……!?」
タカヤは冷凍食品に衝撃を受けていた。
「この世界は『食』へのこだわりと工夫が素晴らしいな。アオイ! 早速今日の帰り、どこで売っているか教えてくれ!」
そんな葵とタカヤの会話を見ながら、蘭子は微笑んでいた。
タカヤが葵の呼び方を変えた事も、彼の信頼の証だ。
蘭子は、葵が自分を元気付ける為に開いてくれた昼食会だと理解していたが、タカヤの方が楽しんでいる様子を見て嬉しくなった。
『みんなを笑顔にする』
その笑顔が、自分の周りから咲き始めた。
自分の力だけでは咲かなかった笑顔。
『友達』という、本音で話せる仲間が出来たから咲いた笑顔。
今までは本音を伝えることが怖いと思っていた。
昨日のように、望まない争いを生んでしまうかもしれないから。
でも違う。
本音で、気持ちをしっかりぶつければ分かり合えると知った。
そして、この昼食会。
こんな方法で笑顔を作り出してしまうなんて、この世界の人間は笑顔をつくる術士なんじゃないかと思ってしまう程に感心した。
「あおい、ありがとね」
蘭子は、タカヤと冷凍食品談義へ夢中になっている葵に、小さな声でお礼を呟いた。
「ん? なんか言ったか?」
「んーん! なんでもない!」
葵には聞こえてなかったみたいだけど、今はそれで構わない。
ちょっと照れくさかったので、何でもないことにしてしまった。
そんな蘭子の様子を見て、静香がフフフっと笑う。
こうして、楽しい昼食の時間が過ぎていった。
第1章、ここで完でございます。




