神原という漢(おとこ)
『ありがとうございました!』
お互いのチームが、ホームベースを挟んで一礼した。
喜びの熱が冷めないウインドーズ9は、チームメイト同士でハイタッチや握手をしてお互いを称え合っている。
一方、野球部側は挨拶が終わると、無愛想にベンチに引き上げていく。
神原部長とヒロシだけが、立ち止まってその背中を見ていた。
「神原部長」
声をかけたのは葵だった。
葵には、どうしても聞いておきたいことがあったのだ。
「三崎か……」
神原部長は、横に並んで立った葵に顔だけ向けて返事をする。
そして、すぐに野球部の背中へ視線を戻すと言葉を続けた。
「約束通り、お前たちの勧誘は諦めよう」
そこに、悔しさなどの感情は感じられなかった。
ただ当然のことのように、潔く約束を果たす。
葵の反対側に並び立つヒロシは、不満そうな表情で神原部長を見ていた。
きっと、言いたいことは同じことなのだろう。
そう思った葵は、言いづらそうなヒロシの代わりに、神原部長へと問いかけた。
「あの、いいんですか神原部長? ……最後のクロスプレーの時、あれ、わざと落としましたよね?」
葵が聞きたかったこと。
それは、最後のプレーでの神原部長の心情だった。
「そうですよ! なんでですか部長!」
葵が代わりに言ってくれたことで、それに乗っかる形でヒロシが続く。
だが、神原部長はヒロシを無視し、おでこに手を当てながら葵に語りかけた。
「ハァ……。お前のその観察力はチームに欲しいくらいだ。技術力はともかくだがな」
どうやら、バレていないと思っていたらしい。
怪訝な顔をする葵を見て、神原部長は続ける。
「勘違いするな。別にお前達に情けをかけたわけじゃない」
「じゃあどうして」
少し食い気味にヒロシが抗議した。
納得がいかない。そんな様子だ。
すると、今度はヒロシの方へ体を向け、神原部長は険しい表情で言う。
「風間。お前、三崎が最後に打った瞬間、ガッツポーズをしただろ?」
「あっ……」
言われたヒロシはすぐに気がついた。
ほとんど無意識だったが、気持ちが入っていたので覚えている。
そして、その行為のもたらす意味も……。
その顔を見て、表情を変えずに神原部長は続けた。
「あの時、まだ勝負はついていなかったはずだ。……だが、お前は勝手に試合を終わらせた」
「……うっす」
自分の感情を抑えられなかった。
それが、あのガッツポーズなのだ。
思わず神原部長から目を逸らし、下を向いてしまう。
「それはお前だけじゃない。サードとレフトもだ」
ヒロシと葵は、黙って神原部長の話を聞く。
「サードはあの時、勝ち急ぐあまりボールから視線を逸らして一塁を見ていた。その結果、イレギュラーしたボールを見失った」
神原部長は、今は誰も居ない三塁付近をチラリと見る。
その姿は、自分の中であの瞬間をリプレイしているかのようだった。
「レフトに至ってはセオリーのカバーすら怠って勝手に引き上げていた。その結果は……、言わなくてもわかるな?」
「……うっす」
同じように、ヒロシも三塁付近を見た。
神原部長が何を言いたいのか、ヒロシはもう理解していた。
「それで、俺がボールをこぼしたことを——お前達は責められるのか?」
「……すみませんでした」
最後の1点は、神原部長だけの責任ではない。
それは、チーム全体の油断と慢心が招いた不運であった。
ヒロシは忘れていた。
勝利の女神は、こういう隙を見逃さないのだ。
「それに比べて、三崎たちは最後の最後まで諦めていなかった。……なあ、風間。俺たち野球部に足りなかったのは、そういうところじゃないのか?」
神原部長は、野球部の弱点を理解していたんだ。
そして、それは最後の最後で最悪な形となって現れてしまった。
きっと、神原部長はそれを教えたかったのだ。
ヒロシと神原部長の会話を聞いていた葵は、全てが腑に落ちた。
「葵……。お前に失礼なことしちゃったな。俺、舞い上がってたよ」
現実を受け止めたヒロシは、しょんぼりしながら葵に頭を下げる。
「いや、いいって。実際、お前は凄かった。俺なんかじゃ足元にも及ばないくらいにな」
これは葵の本音だ。
実際に対峙してみて、改めて感じた親友の才能。
それは、この先の活躍を約束するような、葵にとっては喜ばしいことだった。
「だろ? ……でもさ、最後に打った葵、カッコよかったよ」
「なんか……、試合では勝ったけど、勝負には負けたって感じだな」
葵はヒロシとの勝負を振り返りながら言う。
文句なしの完敗だった。
「あーあ、葵とクロちゃんが野球部に来てくれると思ったんだけどなー」
ついには頭に手を組んで、ヒロシはいつもの調子に戻った。
「その件についてだが……、お前達は知らないのか?」
突然、神原部長から意味深な言い方をされて、葵とヒロシは思わず神原部長の顔を見た。
「え?」
その表情に、葵は思わず声が出てしまった。
憐れむような神原部長の様子に、胸騒ぎのような嫌な予感がしたのだ。
「……あの二人、留学生と言っていたな?」
神原部長は、蘭子とタカヤへ視線を向けながら、葵に尋ねる。
「そうですが……。それが何か?」
それが、蘭子とタカヤに関する話だと分かると、嫌な予感は確信へと変わった。
聞きたくない話が——来る。
不安そうな顔をする葵に構わず、神原部長は事実を告げる。
「留学生は一年生で終わりだ」
「来年は——居ない」
それは、葵にとって考えたくもない現実だった。
突如突きつけられた別れまでの時間。
『来年は居ない』
その言葉が、心に穴を開けるように、葵の胸へ鋭く突き刺さった。
最初はおっかない人だとおもったけどかっこいいね。




