入学式って何だ? ①
「あおい、おまえは面白いやつだな。椅子から転げ落ちるやつなんて初めて見たぞ」
なぜか知らないが、目をルンルンと輝かせた蘭子が、しゃがみながら葵の脇腹付近を指先でツンツンしながら言う。
「誰のせいだよ! ツンツンすな!」
葵はヨロヨロと立ち上がり、本日のメインイベント直前に聞かれるとは思ってもみなかった質問に呆れていた。
「高校生にもなって入学式を知らないって、どんなやつだよ……」
二人は体育館に移動を始めるクラスメイト達の流れに混ざり、一緒に教室を出る。
廊下では、C組の他にA組とB組の生徒が混ざり、各々が好きな仲間同士で体育館を目指して移動していた。
周りではクラスメイトの数名が蘭子に話しかけたそうにしていたが、葵との会話に夢中になる姿を見て遠慮しながら通り過ぎて行く。
廊下の窓からは、爽やかな春の風が優しく吹いていた。
「いや、言葉の意味は大体理解しているんだ。今日が入学という日なら、入学を証明するような、なんかこう、儀式的な事をするのではないかと。それで、入学式って何をするんだ?」
蘭子は真剣な顔で尋ねてくる。
本当に入学式の事を知らないらしい。
彼女の国には無かったのだろうか?
「儀式なんてやらないから安心しろ。基本的には校長や来賓と言う客人の話を聞くだけだ。言っておくが、そんな楽しいものじゃないぞ」
実際、退屈なだけで期待をする程のイベントではない事をよく知っている葵は、簡潔にそう答えた。
すると、蘭子は少し不安そうな表情で自身の事について語り出した。
「わたしは学校に通うのは初めてなんだ。勉強はいつも……、わたしの部屋で、専属の教師が教えてくれていた。だから入学式というものがどんなものなのかわからなくて、すごく気になっていたんだ」
なるほど。
蘭子は学校ではなく、専属家庭教師を雇って勉強していたわけだ。
……っていうか、そんな暮らしをしてたの?
お嬢様レベル高すぎません、蘭子様?
「そうだったのか。それじゃあ入学式の事を知らなくても無理はないな。失礼なこと言って悪かった」
彼女は違う国から来た留学生だ。
もしかしたら、学校に通わない生活が彼女にとって当たり前の日常だったのかもしれない。
異文化の国で感じる非日常は、彼女にとって興味の塊であり不安でもあり、それでもこうやって前向きに過ごしている。
しかし、葵は自分の常識だけ当てはめて彼女のことを見ていた事に気が付いた。
そして、その常識に当てはまらない蘭子を受け入れられない自分を反省した。
彼女の事を少し知ったことで、自分の中で蘭子の見方が変わったように感じる。
「ううん! 気にしてないよ! ……で、校長ってなんだ? この学校の主か?」
「主って……まぁ、そんな感じの人だ」
(それでもやっぱり、なんかズレてるんだよなぁこの子)
実はさっきから、ただのお嬢様にしては説明がつかない疑問を感じていた葵は、思い切って尋ねてみることにした。
「ところで……、蘭子はもしかしてだが……、その……、本当はどこかの国のお姫様……とかだったりするのか?」
さっきは気のせいだと思っていたが、自分の事を姫と言いかけたり、自己紹介で言った長い名前や専属家庭教師、さらには世話役付きという要人の役満みたいな現実を聞かされて気にならない人などいない。
「……!?」
蘭子は大きな瞳をさらに大きく見開いて葵を見た。
少し強い風が窓から入り、蘭子の髪を揺らしている。
「な、ななななーにを言っているんだあおい! お……、おまえ本当に面白いやつだな」
明らかに動揺している。
目も泳いでおり、どうしようといった焦りも感じられる。
図星だな。
「隠さなくていい。別にお前がどこかのお姫様だろうがお嬢様だろうが俺には関係ない。俺にとっては今日から1年C組のクラスメイトで友達だ」
葵にとって、蘭子の素性など関係のないことだった。
「さっき、蘭子に『友達になりたい』と言われた時、本当は嬉しかったんだ。俺、幼馴染以外に友達と呼べる人ほぼ居なかったし」
今まで出会ったことのない、不思議な魅力を持つ少女との出会いにワクワクしている自分がいた。
「そのお礼に、なってやるさ友達くらい。俺なんかで良ければ」
そんな自分に、蘭子から手を差し伸べてくれた。
だから葵は笑顔でその手を取る。
思いもよらなかった葵の言葉に、蘭子はカァーっと顔を赤くしながら再び目を見開いた。
「ほんとか! ほんとにいいのか! やった! 友達ができたぞ!」
両手で小さくガッツポーズをしながら満面の笑みで喜んでいる。
「とっもだちー! とっもだちー!」とか言いながらスキップする蘭子の姿を眺めながら、葵は小さく笑っていた。
(まさか、お姫様と友達になるなんてな)
考えたこともなかった現実を、案外冷静に受け止めている自分がいることに気が付く。
(俺も、つくづくお人好しだよな)
蘭子の持つ不思議な魅力に惹き寄せられるように、スキップで離れていく蘭子の背中を追いかけた。
その様子を、タカヤが監視するように二人の後ろを歩きながら見ていた。
(あの馬鹿……。自分が姫である事は隠していろとあれだけ言っておいたのに……)
蘭子のことだからそのうちバレるとは思っていたが、こんなにも早くバレてしまうとは思っていなかった。
だが、案外大騒ぎになることはなさそうな雰囲気だ。
(三崎葵か。姫君であることを知った上で、"蘭子を特別扱いしない"ということだな。失礼なヤツめ。しかし……、結果的には奴に助けられたか……。だが、なんだ? このイライラするようなザワつくようなこの感覚は)
蘭子に友達ができた事は喜ばしいことだ。
彼女もそれを望んでいた。
だから、自分も蘭子に友達が出来るようにと願っていた。
(あんなに楽しそうな蘭子を見たのはいつ以来だ? ……三崎葵。蘭子のあの笑顔は今の俺には引き出せない……。あんな弱そうな奴が、どうして彼女を……)
彼に一目置きたい気持ちはあるが、それを素直に認められない自分の存在に気がついて、そこで初めて自分が嫉妬していることを自覚した。
(いかん……。感情に流されるな。任務に集中しろ)
その時、背後から突然声をかけられた。
「『気になって仕方がない』って様子ね。どっちをかしら?」
「……三原静香か」
立ち止まったものの、振り返らずにタカヤは答えた。
「あら。名前を覚えてくれていたのね。光栄だわ」
自然に隣に並んだ静香は、蘭子と葵を追いかけるようにタカヤと歩き出した。
廊下はワイワイガヤガヤと騒がしく、通り過ぎる生徒達は会話に夢中で、他のグループの会話など一切聞こえていない様子だった。
また、ミステリアスなイケメン留学生とクールな大和撫子が並んで歩いている姿を見て、クラスメイトの数名が「美男美女カップル誕生か?」「マジで!? 俺、三原さん狙ってたのに」「え? 黒江くんと三原さんってそういう関係?」「イケメンだもん彼女くらいいるっしょ」などとちょっとした勘違いをしながら遠巻きに観察していた。
二人はそんな状況を理解した上で、お互いにしか聞こえないトーンで会話を続ける。
「言っておくけど、葵は何か特別なものを持つ人間ではないわ。ごく普通の高校生よ。けれど私は違う。葵には内緒にしているけど、裏側の人間よ。葵に手を出すようなら私が許さないから」
静香ははっきりとタカヤへ警告した。
「どうして俺がそんな事をすると思った?」
蘭子に危害が及ばないのであれば、葵をどうこうするつもりは無い。
だが、葵と蘭子が一緒にいる様子を見ると、何だか落ち着かない。
葵のことを"邪魔な奴"と思ってしまう自分がいる。
静香に問いかけた言葉は、まるでもう一人の自分に問いかけているようにも感じた。
「蘭子ちゃんがお姫様で、さしずめ、貴方は騎士と言ったところかしら? 葵にお姫様を奪われてご乱心の」
自分達の正体だけでなく心も的確に見破られ、タカヤは動揺を隠しながら返答した。
「……どうしてわかった?」
「あなたは気持ちが気配に出過ぎてるわ。それに、周りに馴染もうとしてそれが逆効果になっていることを自覚すべきね。葵達にはわからないでしょうけど、私のような人から見れば、異端者だってバレバレよ。それから、いちいち感情に流されているようでは優秀な騎士にはなれないわ。守るものも守れない。もっと堂々としてなさい」
静香の言葉は、タカヤが抱えていた不安を全て見抜いていた。
この世界には、自分より劣っている者しか居ないと思っていたが、それが間違いだと思い知らされた瞬間だった。
「アンタは……、一体何者なんだ?」
タカヤは、目の前にいる正体不明の同級生に尋ねる。
「あら? 自己紹介、聞いてなかったの? 趣味は古武道の稽古とカフェ巡り。少し不器用なあなたのクラスメイトよ」
静香は先程の自己紹介を再現しながら平然と答えた。
タカヤは蘭子のことが好き過ぎる。




