第三十六話 破滅の星
「おまえには想像もできないような犠牲を払い、オレは魔王の遺した終焉魔法を発動させた。すべて、おまえを斃すためだ」
足元の人間を見下ろし、邪竜は、理解できない、と思う。
頭上に迫る星は、己を殺すばかりか、この世界のすべての生き物さえ滅ぼしかねない。
人類と敵対していた魔族の王とやらがそれを使うのはわからないでもないが、目の前のこの男は、いったいどんな大義があって世界ごと己を滅そうというのか。
そんな疑念を、やはり見透かしたかのように、レンは話し続ける。
「オレの〝全能視〟は、過去ばかりか未来をも視ることができる」
レンは右手を邪竜に突き出し、指を三本立ててみせる。
「オレがおまえに干渉しなかった場合、今からだいたい三年後に、おまえは人類への無差別攻撃をはじめ、半年足らずで人の九割九分を滅ぼす」
きっかけは、邪竜が気まぐれに焼いた村だ。
その村には、たまたま国の王子が逗留しており、村人諸共に命を落とした。
調査隊によって王子の死が発覚し、赫怒した王は三万人にも及ぶ王国軍を投入して邪竜の討伐を試みるも、数を揃えたところで邪竜の脅威になどなり得ようはずもない。
しかし、連日に及ぶ巣穴への断続的な攻撃を受け、邪竜は怒りといら立ちの頂点に達し、王国軍を壊滅させるとその勢いで大都市を含む目につく人里すべてを攻撃した。
その結果、複数の国が邪竜を人類にとっての脅威と見做し、連合国軍が結成されたうえ冒険者ギルドにも参加が強制されることとなり、邪竜対人類の戦争へと発展する。
邪竜は人類軍の全戦力を駆逐したうえ、その後も人を見つけては焼き払うようになり、ついに人間は種として存続できなくなるまで数を減らすこととなるのだ。
「人間だけじゃない。おまえが考え無しに山も川も焼いてまわるもんだから、地上の大部分が焦土となり多くの生き物が死滅するんだ。要するに、なにが言いたいのかというと、どうせ遠からずおまえに滅ぼされるのであれば、おまえを殺すために世界を犠牲にしてもかまわんだろうという話だ」
つまり、この人間は、今は起きてもいない破滅を口実に、この世界諸共に己を滅ぼそうというのか。
完全に頭がイカレている。
だが、すぐに、そうではないと思いなおす。
間近で相対してはじめて、邪竜は目の前の男の目の中に、底知れぬほど深い憎悪を見てとる。
邪竜自身も、人間に対して激しい憎しみと敵意を抱いたばかりだが、この男が己に対して抱くそれとは比較にもならぬと感じる。
そして、これ程の憎しみは、正気でなければ抱きようなどないと悟る。
だがいったい、どんな理由でこの男は、こうまで己を恨むというのか。
「さて、おしゃべりはここまでだ」
疑念に心惑う邪竜は、レンの言葉によって我に返る。
「程なく、星はこの大地を覆う空気の中へ突入する。そうなれば、もはや滅亡は回避できない。だから、残された時間をどうするか、選ぶがいい。イチかバチか逃げてみるか、それとも最後まで運命に抗うか……もちろん、オレとの決着をつけるというのでも、かまわない。無論、オレには直接おまえを殺す手立てなどないが、おまえのブレスもオレには通じない。さっき洞窟の中でブレスを受けても、この通り火傷ひとつ負っていないのが証拠だ」
というのは、まったくのはったりだ。
〝絶熱盾〟の〝巻物〟は、ひとつしか持っていなかった。
それを使い切った今、強化されたブレスをもう一度耐える術などレンにはない。
ただし、邪竜にとって己を相手にするという選択が最悪なものであると、レンは理解している。
この状況で無駄に時間を浪費することは、僅かに残った生き残る可能性を放棄することに他ならない。
邪竜を討ち果たすことが目的であるレンは、それでも一向にかまわないと思う。
だから、腰に収めていたバルムンクを抜き払い、両腕を左右に広げ、邪竜を見上げながら口角を釣り上げ笑みを浮かべてみせる。
「さあ、どうする?」
邪竜は、無意識に一歩後退る。
取るに足らぬ存在であるはずの、目の前の人間に気圧されていた。
絶体絶命のこの状況で、なぜそのように振る舞える。
まったく理解不能だ。
息のひと吹きで殺せるはずの相手を前に、邪竜は背を向ける。
こんなわけのわからぬ虫の破滅願望になど付き合っていられるか。
四枚の翼を羽ばたかせると、邪竜は空へ飛び発った。
そのまま、ぐんぐんと高度を上げていく。
先程、あの男がシェルターになりそうだと言った巣穴に戻ろうかとも思った。
しかしあくまで可能性の話であり、助かる保証などどこにもない。
それに、仮に隕石の落下を凌いだところで、地上の生命が完全に滅亡しては、食べ物を失った己にも未来はない。
先程、あの男は己が世界を滅ぼすと言ったが、その場合でも食料となるモンスターは生き残るよう加減はしたはずだ。
あの隕石に、そんな手心など望むべくもない。
なにより、人間如きの魔法に対し、竜王の血を引く己が逃げるなど、誇りが許さない。
となれば、とるべき行動はひとつしかないと、邪竜は覚悟を決める。
雲を抜けると、空の世界は毒々しいまでの赤に染まっていた。
宙から迫る星の放つ光だ。
間もなくこの星は、世界を覆う大気の膜を貫き、地上へと落下する。
そうなれば、すべてがお終いだ。
だが邪竜は知っている。
かつてこの地上を統べた己の親が、まったく同じ危機を切り抜けたことを。
そして今、己は、その偉大な王と並ぶ存在となるのだ。
翼を大きく広げ、邪竜は上昇を止める。
既に空気は極限まで薄くなり、気温の低下によって体表面は霜に覆われている。
竜といえど、長くは耐えられぬ環境だ。
だが、ここまで星に近付かねばならないということを、邪竜は知っている。
星は目の前まで迫って見えるが、実際には未だ空の外にある。
このタイミングで砕かねば、己は星に圧し潰されたまま、地上へ叩きつけられる。
そうなれば、さすがに生き残れはしないだろう。
邪竜は全身の魔力を内燃機関に流し込んでいく。
すると、未だかつて自覚したことのない力が膨れ上がっていくのを感じる。
これほどのエネルギーが己の内に秘められていたのかと驚くのと同時に、恐怖も覚える。
力の制御を誤れば、木端微塵に破裂してしまうだろう。
だが竜王にできたのだ。
子である己にできぬ道理などない。
そう心で自身を鼓舞しながら、邪竜は大きく口を開く。
その腹の底から、凄まじい熱がせり上がって来る。
身を覆った霜が蒸発し、熱を帯びた体が赤々と輝きだす。
全身が焼ける感覚に耐えながら、喉元へ迫った青い炎を、ひと筋の光として上空へ放った。
閃光が空を白く染め、光の矢が星の中心に直撃する。
燃える内燃機関の生み出すエネルギーを、邪竜は吐き出し続け、その光は星に吸い込まれる。
やがて邪竜の魔力は枯渇し、口から放たれていた光は収束する。
邪竜は息も絶え絶えに星を見上げる。
その様子に変化は見られない。
ダメだったのか?
そんな想いが心に沸き上がり、邪竜は生まれて初めての失意に囚われる。
だが、次の瞬間には、その目が大きく見開かれる。
迫り来る星の中心部分、光線が命中した箇所から、ひび割れるように光の筋が広がり、またたく間に星全体を覆っていく。
そして、星の輪郭が大きく揺らいだと思った直後、ゆっくりと崩壊をはじめた。
そのまま成層圏に突入した星はばらばらに分裂し、その破片はそれぞれが巨大な火の球となり、邪竜の傍をすり抜け地上へと落ちて行った。




