第三十七話 幸福の時
世界を滅ぼすはずだった星を砕いた邪竜は、途轍もない疲労に困憊しながらも、未だかつて感じたことのない充足感に包まれていた。
それは、あらゆる外敵に勝てて当たり前であり、事故に巻き込まれようと怪我ひとつ負わない、地上でもっとも強く、なにより頑丈な生き物が、はじめて生命の危機を乗り越えることで得た達成感だ。
そして己は、あの人間の目を通して視た、自分の親だという竜の王と同じ高みに至ることができたのだと邪竜は考える。
すると、誇らしさと全能感が湧き上がり、息も絶え絶えであることを忘れ咆哮した。
しかし、勝利の余韻に酔っているからこそ、邪竜は気付かない。
死角である背後から、薄い大気を斬り裂き、飛翔物が己に迫っていることを。
それは、レンが手に入れた十二本の竜殺しの武器の中で、もっとも分厚く大きな剣だ。
その上では、レンが半身を開くように立ち、右手の〝武操の籠手〟で大剣を操作しつつ、左手にバルムンクを構えている。
防御魔法に身を包むことで極低温に耐えながら、迫り来る邪竜の背を見つめ、レンは、ようやく隙を見せたなと思う。
最後の切り札と見せかけた魔王の終焉魔法、それさえも、この瞬間への布石だった。
わざわざ竜族の盛衰を視せてやったのも、親に倣って破滅の星を撃ち砕かせるためだ。
レンの狙いはただひとつ。
今に至るまで、数え切れないほどの冒険者と戦い、今さっきもレンが放った剣を幾度となくその身に受けながら、邪竜はほとんど無意識に、その身のある一カ所を守っていた。
即ち、竜にとっての唯一の弱点、〝逆鱗〟だ。
十四年を費やし、数万の命を奪い、世界の存亡すら賭けたレンの計画は、この瞬間、疲労と勝利の余韻によって完全な隙を見せた邪竜に、致命の一撃を入れるためのものだった。
巨大な剣が邪竜の後頭部に直撃する寸前、レンはその上から跳び下りた。
加速を得た竜殺しの剣の強烈な突きを頭に受けたことで、邪竜の意識がほんの一瞬飛ぶ。
その刹那の間に、レンは首の横を駆け下り、喉元の一点、〝全能視〟をもってしなければ見抜けぬほど、微かに厚みの違う鱗へ、バルムンクの切っ先を突き込む。
瞬間、竜の全身の筋肉が、激しい痛みによって強張る。
「〝起風〟」
背中から強風を受け、レンの体が押され、刃がさらに深く邪竜の喉に沈む。
邪竜は全身を痙攣させながらも、レンに手を伸ばす。
しかし、掴まれる前に、レンは渾身の魔力をバルムンクへ流し込みながら唱える。
「〝輝刃斬〟!」
剣を通して放たれた光の刃は、これまで鱗によって守られてきた邪竜の身の内を引き裂き、その太い首を斬り飛ばしたのだった。
地上へ降りたレンは、ふらつく足取りで炭化した樹々の間を進んでいく。
その歩みを止めたところで、ゆっくりと視線を上げる。
「…………まったく……呆れた生命力だな」
眼前には、邪竜の頭部が転がっている。
その目がぎょろと動き、首を落とされてなお、生きているのがわかった。
邪竜はレンを睨みながら、ぎこちない動きで口を開く。
「……無駄だ。体がないのだから、噛みつくことはできないし、内臓がないんじゃブレスも放てない。おまえはもう、何もできないんだよ」
その言葉に、邪竜の目が泳ぐ。
レンはかまわず続ける。
「さっき言ったよな。オレは未来を視られるって。ただ、その能力にはひとつだけ制限がある。自分のかかわる未来だけは視えないんだ」
邪竜の眉間に皺が寄る。
いったいなんの話だ、とでも思っているのか。
「オレがおまえにかかわるのは、ここまでだ。だから、おまえの未来は今、確定された。餞別にどうなるか教えてやるよ」
レンは感情のこもらぬ口調で淡々と告げる。
「おまえはそのとんでもない生命力ゆえに、十五日間ほど生き続ける。当然だが、その間、呼吸できない苦しみに苛まれるだろう。だがそれだけじゃない。おまえが一帯を焼き払ったおかげで、食う物がなくなった虫たちが、血の匂いを嗅ぎつけ大量に寄って来る。それを皮切りに、この周辺で生き残ったスカベンジャーがおまえの首の断面に殺到する」
邪竜は大きく眼を見開き、口元を震わせる。
「世界でもっとも強かったおまえは、死ぬまでの間、矮小な死肉漁りどもに食われ続けるんだ……放っときゃ千年でも万年でも生きるおまえにとって、もっとも長い十五日間になるだろう。せいぜい楽しんでくれ」
頭上にある邪竜の目が潤み、透き通った液体が流れ落ちる。
恐怖で涙を流したらしい。
レンは無関心に背を向けると、邪竜を放置して歩きだす。
その足取りは、先程まで激しく動きまわっていたのが噓のように緩慢だ。
実際、レンは今にも力尽き、倒れてしまいそうだった。
数々の魔道具によって限界を越えていた体は、戦いを終え、その機能を停止しようとしていた。
しかし、終わるのは、今、ここでではない。
目的の場所へ向かうため、レンは身を引きずるように歩き続ける。
目指すはクレタ山にある邪竜の巣の洞窟だ。
時間をかけて炭化した森を抜け、山を登って行く。
視線を上げると、明け始めた空に、無数の流れ星が落ちていくのが見えた。
邪竜によって砕かれた星の欠片が、今なお地上に降り注いでいるのだ。
どこかの人里の近くに落ちれば、たくさんの犠牲者を出すだろう。
あるいは海に落ちれば津波を引き起こし、内陸に住む人たちまで押し流すかもしれない。
しかしレンは、その未来を視ようとはしない。
尽きかけた魔力を、〝未来視〟に使う余裕がない。
荒い息を吐いて歩きながら、せめてその被害が、邪竜によって殺されるはずだった人数を下まわれば良いと、ぼんやりと思う。
ようやく洞穴まで辿り着き、暗い穴の中を歩いていく。
今のレンには、もはやどんな弱いモンスターにも抗う余力はない。
しかし幸いにも、洞穴内に残っていたモンスターは、邪竜のブレスによって完全に死滅していた。
闇の中を何度も転びそうになりながら、レンは半ば這うように進む。
洞穴を抜けると、邪竜の巣に辿り着いた。
ふらふらと進み、窪地の縁に立つと、転がるように滑り落ちる。
土埃に塗れながら、どうにか身を起こし、残された僅かな魔力で〝過去視〟を使う。
レンは四つん這いで進むと、素手で地面を掘る。
やがて、埋まっていた白いものが覗き、丁寧に土を払って掘り起こした。
持ち上げたそれは、白骨化した人間の頭部だ。
レンは弱々しい口調で骸骨に語りかける。
「スー……ずいぶん長いこと待たせちゃった……ごめんよ」
すると、骸骨に重なり、スーの顔が目の前に浮かぶ。
『気にしないでいい。というか、レンは弱いんだから、もっとゆっくり追いつくべき』
その光景は〝全能視〟が視せる過去のスーとの会話だ。
クエスト中、ひとり遅れたレンに、彼女がかけた言葉だった。
「そういうわけには、いかないよ……だってみんな、オレひとり置いて、どんどん先へ行っちゃうんだもんな」
スーの骸骨を抱えながら、少し離れた場所を掘る。
次に掘り起こした骸骨は、頭に穴が空いていた。
「あぁ、ひどいな……ミーシャ……痛かったよね」
『あ~、だいじょぶだいじょぶぅ! てかレンくんに比べれば、こんぐらい全然ヨユーよ!』
まだ駆け出しの冒険者だった頃、揃ってモンスターの攻撃を受け、ふたりでやせ我慢した時のやりとりだ。
「オレには前へ出るなって言うくせに……自分こそ無茶しすぎだよ。でもそいう仲間想いなところ、尊敬してた」
『えーなにー? テレるぅー』
ふたりを抱えながら、よたよたと離れた場所まで歩く。
次に掘り起こしたのは、大腿骨だった。
彼女の上半身は、邪竜のブレスを至近距離で受けたため残っていない。
「ナディーン……遅くなった……最後までみんなを護ろうとしてくれて、ありがとね」
『それが私の役目だからな。レンのことだって、護ってみせるよ』
これはいつのことだったか。
彼女はいつだって、自分の安全を気遣ってくれていたのだと、レンは思い出す。
「オレたちが袂を分かった日……本当は泣く程悲しんでくれたんだろ? 気付けなくてゴメンよ」
『私こそすまなかった……キミがこんなに傷付くなんて……』
これも駆け出しの頃の会話だ。
レンはひとりで無茶をして怪我を負ったうえ、助けようとした彼女も傷付いたのだ。
謝った己に、ナディーンが返した言葉だとレンは憶えている。
三人を抱えて、最後の力で目的の場所へ辿り着く。
爪が剥がれ、血の滴る手で掘り当てたのは、他の仲間よりも大きめの骸骨だ。
「やあ……カイル」
『おいレン! まぁたもたもたしやがって! もっと早く追いつけねえのか!?』
「ひどいな……これでも急いできたんだよ」
『ったく、そんなんじゃ置いてっちまうぞ?』
「なんだよ、それ……」
四人を抱きしめ蹲ったレンの目から、涙が零れる。
「本当に、……っぐ、置いてくこと、ないじゃないか!」
過去のカイルは、バツの悪そうな顔で頭を掻く。
『だぁー、悪かったって! 謝るから、男がそんなめそめそすんじゃねえよ!』
そう言うカイルの顔は、随分と幼い。
少年だった頃、遊んでいた時の会話だろう。
カイルは足が速く、よく置いて行かれたものだった。
「……いいよ……許してやるよ」
体が傾き、横に倒れる。
「…………だからさ……もう、追放だなんて、寂しいこと言うなよ」
つぶやくと、ゆっくりと意識が遠退いていくのを自覚する。
「…………最期は…………みんなとの…………幸せな思い出、を…………」
今際の際に、レンは〝全能視〟に願う。
すると、目の前に大きな緑色の扉が現れた。
『さあ、今日からここが、キミの家だ』
そう声をかけたのは、孤児院の院長だ。
院に来た最初の日だとレンは気付く。
大きな手が扉を押し開くと、玄関前のホールに自分と同じ年頃の子どもたちが並んでいた。
『よお! おまえが新入りだな! なんだよ、随分シケたツラしてんなぁ!』
『こらカイル、初対面の相手には、礼儀正しくっていつも言っているだろ?』
『わかってるよ先生! オレはカイル。おまえは?』
問われるも答えない。
あの頃の己は、口減らしのため親に捨てられ、疑心暗鬼になっていたのだとレンは思い出す。
『なんだよしゃべれねえのか?』
『カイがぐいぐい行き過ぎだから戸惑ってるんだよ。よろしくね、私ミーシャ!』
『私はナディーンだ。こっちの小さいのはスー』
『よろ』
子どもたちは次々と自己紹介していく。
しかしレンは、俯いたまま黙り込んでいる。
すると、見かねた様子のカイルに肩を叩かれた。
『ここへ来る奴は、まあ、みんないろいろ事情を抱えてるもんだ。少なくとも全員親はいねえ。でも大丈夫だ。これからはオレたちが家族だからよ!』
「……家、族?」
『そうだ。これからは私がキミをまもってやる。だから私のことはお姉ちゃんだと思ってくれていい』
『ナディ子は新しい子が来たらみんなにそれ言うよね』
『べ、べつにいいだろ!』
『背が高くておっぱい大きいからって姉ぶるのはどうかと思う』
『スー!』
子どもたちがじゃれ合うのを、レンは戸惑いながら見つめる。
すると、隣のカイルが肩を組んでくる。
『こんな感じで賑やかにやってるからよ、もう寂しくないぜ? まあちょっと貧乏くせえしメシが少ねえのが残念なとこだけど、大丈夫、いずれオレがなんとかしてやる』
首を傾げると、カイルは耳に顔を寄せる。
『オレ、将来冒険者になるんだ。ただの冒険者じゃねえぞ? 大陸で最高の冒険者だ! そんでたくさん金を稼いで、みんなにたらふく食わせてやるんだ! な、良いアイディアだろ?』
小さく頷くと、反応を返され嬉しかったのか、カイルはにんまりと笑った。
『そうだ! そん時はおまえも一緒に来いよ! なんつーか、おまえには見込みがある気がすんだよな!』
『ねえちょっと、男ふたりでなに内緒話してんの?』
『きっとエッチな話』
『そ、そうなのか!? カイル、エッチな話をしていたのか!?』
『ばっ! ちっげえよ!』
騒がしい子どもたちの様子に、頑なだったレンの心はいつの間にか解れていた。
「あ、あの!」
声を張ったレンに、皆の視線が集まり、緊張しながらも続ける。
「お、オレの名前は――」
最後まで言い切ったレン向けて、新しい家族たちが笑顔の花を咲かせた。
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