第三十四話 煉獄
クレタ山の最寄りの人里、フェニムラの町は騒然としていた。
長い長い豪雨を経て、ようやく雲が晴れたと思えば、その空は異常なありさまだった。
しかも、日付が変わろうという頃になり、山との間に広がる樹海に火柱が上がった。
夜を赤々と染める明かりに人々が外へ出ると、雨のためしばらく姿を見せていなかった邪竜が、樹海の上を飛びまわりながら地上に炎の息を放っている。
村人たちはパニックに陥り、悲鳴と怒号がそこら中で飛び交った。
「なんでじゃりゅ、竜神様が荒ぶっておられるのだ!」
「知るもんかよ! ようやく雨が止んで復興できそうだってのに、なんでこんなことに!」
「この町はもうおしまいよ! はやく逃げましょう!」
「そうだ! このままじゃじきにここまで焼き払われるぞ!」
「逃げるといったってどこへ行こうっていうんだ! 川は未だ氾濫してるし街道は水没したままなんだぞ!」
「それでも焼け死ぬよりはマシだろ!」
荷物をまとめて逃げだす者、邪竜に向かって祈る者、諦めて家に引き籠る者、村人たちが思い思いの行動とる中、宿の主人は遠方の空で炎を吐き続ける邪竜を見上げながらつぶやく。
「まさか……あの客が原因なのか?」
宿泊費に金貨を払い、釣は不要だと言って出て行った男のことを思い出す。
今までも冒険者が邪竜討伐に向かったことはあったが、そいつらが戻らないだけで、邪竜が暴れたりすることなどなかった。
「あのダンナ、いったいなにをやらかしたんだよ?」
そうつぶやいたきり、宿の主人は地獄のような景色を呆然と見つめ続けた。
邪竜が地上に向け、滅茶苦茶にブレスを放つ中、レンは木々の後ろに身を隠すように移動しながら、空に打ち上げた剣を操っていた。
その十本の剣もすべて、異界から流れ着いた竜殺しの武器だ。
災害指定魔獣獄落鳥と世界蛇、他にも多くのモンスターを討伐することで、あるいは犯罪シンジケートが地下オークションで競りにかけようとしていたものを掠め取り、さらには自ら嗾けた反乱軍の討伐と引き換えに王家からまきあげ、レンは邪竜に対抗できる武器を揃えた。
剣は弾丸のような速度で空を飛び交い、あらゆる角度から竜の全身を切り裂いていく。
だがそれでも、邪竜は動じない。
傷は浅く、しかも瞬時に塞がると、洞窟内での攻防で学習したからだ。
戦いでこれほど絶え間なく血を流し続けた経験は未だかつてなかったが、姿を隠して安全な場所からこそこそと攻撃してくる人間への怒りがアドレナリンを分泌させ、痛みは感じていない。
怯んだ様子もなく、時折飛び交う剣を撃ち落とそうと鬱陶しげに手足や尾を振り回しつつ炎を吐き続ける邪竜に、レンはおもわずぼやく。
「ちっ、十四年かけて蒐集した竜特攻の武器だってのに。せめてもう少し痛がるなりしてくれなきゃ苦労した甲斐ってもんが――」
その言葉は、火の粉とともに押し寄せた熱波によって遮られる。
「うっ……オレを見つけられないからって、あたりかまわず燃やしまくりやがって」
レンは炎から離れるため邪竜の死角を移動していく。
しかし、行く先も炎に遮られ、火の手がまわっていない方へと駆けていく。
その間も、剣で邪竜を攻撃し続ける。
〝千里眼〟を使えば自身の目で邪竜を見上げる必要もない。
だから、攻撃と身を隠しながらの移動を、難なく並行して行えた。
「こっちも燃えてるのか……あのトカゲ野郎、樹海を完全に燃やし尽くすつもりか?」
樹海は長く続いた雨でたっぷりと水を含んでいる。
そのため熱で水蒸気が発生し、炎が広がるほどに己を見つけにくくなるはずだとレンは考える。
ただ、燃える物のなかった洞窟内とは、炎の勢いがまるで違うので、己の身も危ない。
しかも、樹々が燃えることで発生する煙があたりに漂いはじめており、熱でやられる前に、呼吸を阻害されそうだ。
〝空烈破〟で吹き飛ばそうにも、これだけ広範囲に炎が広がってしまっては、かえって火の勢いは増すだろう。
「……というか、下手に魔法を使えば奴に気取られかねない」
駆け続けていたレンは、前方に出現した炎の壁に行く手を阻まれ足を止める。
引き返そうと後退りすると、背中に熱を感じ、〝全能視〟で背後を窺えば、火の手が迫っている。
「……ちょっと待て。これは、まさか――」
レンは〝千里眼〟を使って上空から己自身を見下ろす。
炎の海の中、レンの周囲だけが、孤島のように燃え残されている。
この状況は、偶然とは思えない。
そう思い至った直後、炎を呷る突風が巻き起こり、レンは肌の露出している顔を交差した腕で庇う。
「熱っちぃ、くそっ!」
毒づきながら薄目で前方を窺えば、目の前の炎の中に邪竜が降り立っていた。
「どうして、見つかたったんだ」
森の樹々と炎、煙と水蒸気、そのすべてがレンの姿を隠してくれているはずだった。
魔力を察知されないよう、熱に炙られながら、魔法も使っていない。
「……魔法? そうか!」
唐突に、レンは思い至る。
上空から視覚で探せないのなら、探知魔法を使ったのではないか。
「〝脅威探知〟だ!」
迂闊だった。
邪竜が人間の魔法を真似ることなど知っていたのに、今の今まで気付かなかった。
今にして思えば、視界を塞いだ状態でアメノハバキリを砕かれたのも、魔法でその動きを探知されたからだったのだろう。
レンは、邪竜が魔法で己を攻撃してくる可能性を考慮し、その対策となる魔道具を複数身に着けていた。
しかし、攻撃魔法と異なり、使用者の感覚に作用するサポートタイプの魔法は、外からは使用しているとわかりにくい。
攻撃と逃げ回るのに夢中で、観察が疎かになった結果、動きを封じられてしまった。
無論、周囲を炎で囲んだのも、邪竜の目論見だろう。
一見すると怒りに任せて滅茶苦茶に地上を焼き払っているように見せて、気付かせずに己を追い込んだのだとレンは察した。
「くっ! なんてことだ!」
動揺するレンを見下ろし、邪竜は咆哮をあげる。
勝利の雄叫びだとレンにはわかった。
「くっそ、炎に巻かれてるこの状況じゃ、逃げることはできない。竜殺しの剣も、小さな傷しかつけられない。もう、オレにはこの状況を覆すために打つ手がない……つまり、勝負あったってことかよ」
レンは顔を守っていた腕を下げ、絶望ゆえか両手で顔を覆った。
邪竜は笑うように喉を鳴らしながら、否、実際に嗤っていたのだろう、レンに向かって手を伸ばす。
散々手こずらせてくれたこの虫ケラを、楽に殺しはしない。
時間をかけて四肢を千切り、痛みと恐怖で泣き叫ぶ様子を堪能してからできるだけ無惨にとどめを刺してやる。
そんなことを考えながらレンをつかもうとする邪竜は、目の前の人間が指の隙間から、ひどく冷めた目を己に向けているのに気付く。
それと同時に、人間のつぶやきを耳にして伸ばした手を止めた。
「そう、勝負あった。オレの勝ちだ」
こいつはなにを言っているのだ。
そんな疑念と戸惑いのため、どうするべきか判断のつかない邪竜に、レンは人差し指を立て、頭上に掲げる。
「長く続いた雨の間、ずっと洞窟に引き籠っていたおまえは、今夜が新月だってことに気付かなかっただろう……だが、それにしたっておかしいとは思わなかったのか? 今、真夜中だってのにこんなにも明るいのは、おまえの放った炎だけが原因じゃないって」
そう言われてなお、邪竜にはレンの言葉の意味がわからない。
「余程オレを追い詰めるのに夢中だったらしいな。だが地上ばかり見ているから気付けない。今、オレたちを照らしているのが月なんかじゃないってことにな」
その言葉に釣られるように、頭上を仰いだ邪竜は、驚きに大きく目を見開いた。
宙には、月とは似ても似つかぬいびつな形の巨大な星が、赤々と不気味な光を放っていた。




