第三十二話 啓蒙
太古の昔、この世界には竜が跋扈していた。
当初、竜たちは体の大きなトカゲに過ぎなかったが、やがてこの世界に充ちる不思議な力、〝魔力〟をその身にとり込み急激な進化を遂げた。
遠い未来の人類が〝魔力〟を〝魔法〟という〝現象の外部出力〟に利用したのに対して、竜は己の身体の再構成に用いた。
その結果、竜は腹の内に強力な〝魔力〟の内燃機関を獲得した。
莫大なエネルギーの運用が可能となった竜は、翼を生やして空を翔けるようになった。
また、内燃機関より発生したエネルギーを息とともに放出することで、外敵を焼き払った。
さらに、巨体を自在に操るための筋肉と、身を護るための分厚い鱗を発達させたことで、竜を害せる生き物はこの世に存在しなくなった。
他の生き物が敵でなくなったことで、竜たちは持て余した力を身内に振るうようになる。
力を誇示し、同じ竜を支配することに血道を上げるようになった竜たちは、戦を繰り返すことで淘汰が進み、種はさらに強くなった。
だがこのまま互いに殺し合えば、いずれ種は滅びを迎える。
高い知能も獲得していた竜たちはそう悟り、やがて秩序が生まれ、もっとも強い個体が種を支配する体制が築かれた。
王となった最強の竜は、鎧のような黒い鱗に全身を覆われていた。
竜には寿命がなく、黒竜による統治は永劫続くかと思われた。
だがある時、世界を災厄が襲った。
遠い宙の彼方より飛来した星が落ちてきたのだ。
その途方もない質量が大地に直撃すれば、爆発によって世界が崩壊すると竜たちは悟った。
竜の中でも抜きん出た力を持った王は、空高く舞い上がると、内燃機関を限界まで燃やし、渾身のブレスを星に向けて放った。
星は空高くで四散し、世界の滅亡は免れたが、砕けた無数の破片が大地へと降り注ぎ、その衝突によって舞い上がった粉塵が空を覆った。
陽光が遮られたことで地上は雪と氷に閉ざされ、もともと変温動物であった竜はしばらくは凌いだものの弱い個体から力尽き凍死していった。
このままでは、竜は絶滅する。
そう悟った王は、己の血を残すためにいくつも卵を産んだ。
星を砕いたことで憔悴していた王は、卵を産んだことで命を燃やし尽くした。
死を前に王は、臣下の竜たちに命じ、卵を雪と氷から逃れられる場所へ移すように命じた。
卵を持った竜たちは、寒さから身を護ることのできるシェルターを探して世界各地へと散った。
そのうちの一組の竜たちは、活火山に目をつけた。
あれだけの熱があれば、卵が寒さで死ぬこともあるまい。
そこで、王の家臣の中でも特に膂力に優れた竜の一頭は、山裾に洞窟を掘った。
竜が居住できるほどの空間は、地熱で温められ氷河期以前の温度を保っていた。
そして王の家臣の中でもっとも魔力の操作に長けていたもう一頭が、己の魔力で洞窟の内部をコーティングし、たとえ火山が爆発しても決して崩れぬようにした。
二頭の竜は洞窟の環境を整える過程で精魂尽き果たし、ともに洞窟の奥で息絶えた。
残された卵は温められ続けたが、なかなか孵らなかった。
竜の王が、卵を産む際にまじないをかけたからだ。
卵は、空を覆うぶ厚い雲が晴れるまで、決して孵ることはない。
そのおかげで、卵は死ぬこともなく温かな洞窟で、いつか孵るその時を待ち続けた。
そして氷河期が明けてしばらく経ったある日、後に人によって邪竜ニーヴルーンと名付けられることになる竜は、ついに卵から孵ったのだった。
ただ、無事に孵化した王の卵はひとつだけだった。
他の卵を預かった竜たちは、寒さに耐えながら卵を保全する環境を整える前に力尽きてしまったのだ。
それどころか、王以外の竜たちも、一頭たりとも卵を残すことはできなかった。
だから、卵から孵った竜王の子が、洞窟を出て空を飛び狩りをするようになってからも、己の同胞と出会うことはなかったのだった。
レンの〝過去視〟が終わると、邪竜は目眩でも覚えたのか、よろけて巨大な鍾乳石を掴み、身を支えた。
その目は虚空に向けられ、呆然としているようだ。
〝過去視〟で邪竜の半生を見続けてきたレンにも、見覚えのない表情だ。
実際、邪竜は生まれてから一度として感じたことがないほどのショックを覚えていた。
そして同時に、腑に落ちていた。
人間ごときは当然として、他の魔獣たちにしても、己の強さの足元にも及ばない。
それは己が、先史時代に栄えたもっとも強き一族、その中でも最強の血統ゆえだった。
他のあらゆる存在が雑魚にしか見えなかった己の感覚は、傲りではなく正しいものだったのだ。
だからこそ、許せないと邪竜は思う。
本来、己が支配すべきこの世界で、今もっとも繁栄し、自分たちこそが万物の霊長であると宣い、それを真実であると信じて疑わぬ、人の如き虫ケラども、否、害虫どもの存在が。
これまでも目障りには感じていた。
だから、目についた町や村に炎を放ち、いたずらに滅ぼしたことも数え切れぬほどあった。
だが己のルーツを知った今、人類に対する漠然とした嫌悪感は、明確な敵意に変化した。
「ん?」
邪竜の尾がゆっくりと持ち上がり、レンの手を離れる。
なにを考えているのかとその顔を見上げれば、赤い瞳に憎悪を滾らせている。
「これは――」
つぶやきを言い終わるより先に、竜の尾がレンの頭上に振り下ろされる。
洞窟の床に尾が叩きつけられると、岩が飛び散り土埃が舞い上がった。
「ちっ!」
咄嗟に跳び退って躱したレンは、忌々しさに顔を歪めて邪竜を見上げる。
せっかく知りたがっていた情報をくれてやったというのに、用が済んだら即座に攻撃して来るとは、なんという恩知らずか。
邪竜を観察し続けたレンでも、〝過去視〟の視界共有後の反応は測りかねていた。
即攻撃されるケースも想定していたため躱すことは難しくなかったが、正直がっかりだと思う。
こいつが情報を与えたことを善意と勘違いし、己に懐きでもしたら、その鼻面に一撃くれてやろうと思っていたのに、期待とは裏腹に先制攻撃を許してしまった。
「まあいい……所詮はでかいトカゲだ」
そのつぶやきに反応したのか、邪竜が凄まじい咆哮を放ち、洞窟が激しく振動して天井から岩の破片が降り注いだ。
しかし、レンはまるで動じた様子もなく口の端を釣り上げる。
「だからそれは効かねえっての。学べやデクノボウが」
今度は邪竜の右手が叩きつけられる。
それを宙返りして躱すと、そのままバク宙を繰り返し距離をとる。
間合いを取るレンに向け、邪竜はブレスを吐きかけ、洞窟入り口前のフロアは炎に包まれる。
「〝空烈破〟」
突風が吹き荒れ、岩場ゆえ燃え移るもののない炎は瞬時に吹き飛ばされる。
ブレスを食らったレンは、光の膜に包まれ、軽い火傷すら負っていない。
光の膜の正体は、防御魔法〝魔障壁〟だ。
「ブレス対策なら、うんざりするほどくり返し視てきた」
難なく炎に耐えた人間を見下ろし邪竜は目を唸る。
やはり、こいつはただの虫ではなさそうだ。
一方のレンは、まず左の腰の剣を抜き払う。
「バルムンク」
辺境伯、ルパート・カヴァーディル率いる反乱軍討伐の報酬として、ヤール国王から強引にまき上げた王家の継承器である宝剣だ。
その正体は、異界の英雄がふるい、竜を討ち殺したという剣の〝漂着物〟だ。
続いて、右の腰に差した刀を引き抜く。
「アメノハバキリ」
やはり、異界の勇者が八つ首の竜を退治するのに用いた剣の〝漂着物〟。
こちらは以前、獄落鳥という災害指定魔獣を討伐した際、その背中に突き刺さっていたものを回収した。
この世界での以前の持ち主は特級冒険者のひとりだったが、〝漂着物〟を用いて獄落鳥の討伐を試みるも失敗したのだ。
レンが邪竜以外の災害指定魔獣を討伐したのは、名を上げるためではなく、実力のある冒険者や戦士たちが遺していった遺品を回収するためだったのだ。




