第三十話 守護者
宿を発ち、フェニムラの町を出て間もなく、雨はあがった。
絶え間なく降り続いていた豪雨が突然止んだにもかかわらず、レンはまったく驚いていない。
天候については、〝未来視〟でずっと前から知っていたからだ。
ぬかるむ林道を延々と歩き、山道の入り口に着いた頃には、既に陽が傾きかけていた。
そこからさらに、岩肌の露出した山を登り、目的の洞穴が見えたのは、陽が沈んで随分と時間が経ってからだった。
空を見上げれば、あれだけぶ厚く広がっていた雨雲はほとんど消えている。
今宵は新月だが、降りそそぐ星の光は異常なまでに明るく、昼間とほとんど遜色がないほど、周囲の景色を明瞭に見わたせる。
もっとも、〝全能視〟の〝天分〟持ちであるレンにとっては、完全な暗闇だろうとも視界はわずかばかりも損なわれることはないのだが。
深く呼吸し、洞穴の奥に澱んだ闇に目を凝らす。
岩陰に、横穴に、鍾乳石の裏に、身を潜める異形を、〝全能視〟で発見する。
「モンスターはカイルたちが一掃したはずだが」
どうやら、十四年の月日の間に、また涌いたらしい。
それも想定内だと思いつつ、レンは洞穴に足を踏み入れる。
中はもの音ひとつしない。
しかし、無数の生き物が己を狙っている気配を、レンは肌で感じている。
頭上には大型の動物を狙って生き血を啜る大型の蝙蝠の群れが犇めいている。
手足と目の退化した蛇のような両生類が大口を開き、酸性の唾液を溢れさせる。
大型犬ほどもあるバッタの仲間が、餌に跳びかかろうと巨大な後肢の筋肉を引き絞る。
そのすべての様子を視ながら、レンは懐に手をしのばせる。
ゆっくりと歩いていたレンの爪先が、転がっていた小石を蹴り弾く。
それが巨大な鍾乳石にぶつかり、音が反響した瞬間、身を潜めていた気配が一斉にレンに向かって襲いかかった。
その動きよりも一瞬早く、レンは右手で懐から引き出した巻物の表面に左手を走らせながら唱える。
「〝突風刃〟」
途端、レンを中心に風が巻き起こり、大量のモンスターを吹き飛ばし、洞穴内の空気を掻きまわした。
岩壁や地面に叩きつけられたモンスターが身を起こそうと藻掻くと、全身に走った切れ目から崩れ、臓物と体液をぶちまけた。
レンは魔法を発動したことでただの紙と化した巻物を放り捨て、目を閉じ〝千里眼〟で洞穴内の様子を窺う。
「……今のでザコは一掃できたか」
洞穴内のモンスターは八割方死傷したようだ。
運よく無傷で済んだり、軽傷の個体の多くも、死んだモンスターの血肉に殺到してレンに対する関心を失っている。
「となると……あとはこいつらだけか」
目を開け前方を窺うと、岩陰から魔法を耐えた獣二頭と、宙を舞う妖精が姿を現す。
それぞれに目を向け、レンはモンスターの名称を思い出す。
「マンティコアにバイコーン……それと、ダークフェアリーか」
獣たちはモンスターの死肉には目もくれず、レンに警戒の目を向けつつゆっくりと近付いて来る。
紫色の禍々しい妖精は、邪な笑みを浮かべて浮かんでいる。
「ちっ……邪竜の守護者でも気取ってんのか?」
レンはウェストバッグへ手を突っ込み巻物を漁る。
先程の攻撃を無傷で凌いだとなると、より高威力の魔法でなければ斃せまい。
しかも、洞穴の中で使えるものとなるとさらに限られる。
閉鎖空間ゆえ、魔法の威力や性質によっては自分も巻き添えとなってしまう。
「……こいつでどうだ?」
取り出した巻物を素早く広げる。
その紙面を掌でなぞると冷気が発生し、レンの前方に氷の塊が生まれる。
「〝氷針貫砕〟」
唱えた途端、氷塊から先端の尖った枝が無数に生え、目にも止まらぬ速度でモンスターに向かって伸びる。
指先程の氷柱で敵を貫くという一見地味な魔法だが、一本でも刺されば内から凍らせたうえ、中から大量の氷柱を生やして標的を粉砕するというエグい攻撃魔法だ。
しかし、氷柱はマンティコアの尾に薙ぎ払われ、バイコーンの叫びに砕け散る。
「ダメか」
かなり脅威度の高い魔獣ゆえに対応されるのは予想していた。
まるでダメージを与えられなかったのは残念だが、即座に切り替え次の手を思考する。
想定外だったのは、ダークフェアリーの反応だった。
氷柱が刺さる直前、妖精がケタケタと笑いながら指を振ると、前方に紫の光芒が出現する。
「あ?」
光芒に接触した氷柱は、鏡に反射する光のように、伸びる向きを反転させる。
「なっ!? 魔法反射だと!?」
妖精に向けられた七本の氷柱が己に迫り、レンは咄嗟に腕を振り上げる。
すると、地面に転がったモンスターの死骸が浮かび上がり、盾となって氷柱に貫かれる。
浮かんだ三つの屍はすべての氷柱を受け、一瞬で凍りついて白く変色すると、全身から氷の針がとび出し、その衝撃に耐えきれずばらばらに砕けた。
凍った肉の破片を浴びたレンは、左手でそれを払い落しながら、振り上げた右手を下ろす。
その右手には、厳めしい意匠の籠手が嵌められている。
「〝武操の籠手〟を装着してなかったら危なかったな」
一年前、カーンベイル辺境伯、ルパート・カヴァーディルから奪った魔道具だ。
本来は、手に持たずに武器を操るという使われ方をするのだが、武器以外でも操ることは可能だ。
「しかし、くそっ……こいつら揃って上位種か特殊個体だぞ」
モンスターに行く手を阻まれるとはわかっていたが、大規模ダンジョンの主レベルの個体が、三体も立ち塞がるとは思っていなかった。
特に、ダークフェアリーは非常に厄介だ。
魔法反射が使えるということは、巻物を用いた魔法攻撃では倒せない。
〝武操の籠手〟で武器による遠距離攻撃を行ったとしても、魔道具を媒介している以上、魔法の一種なので、跳ね返されるおそれがある。
だからといって近接戦を挑むには、獣二頭が危険すぎる。
斃せたとしても、怪我を負っては意味がない。
この後に控えている本命には、万全の状態で挑まねばならない。
「魔法も格闘もだめ、となると――」
思考するレンに、マンティコアとバイコーンが襲いかかる。
しかし、レンが両手を胸の前で組んだ瞬間、地面から荊のような影が生え、三頭のモンスターを絡め取る。
「〝呪縛影〟」
祈祷師が犠牲を払って使うことのできる攻撃手段、裏祈祷だ。
魔獣二頭はもちろん、ダークフェアリーも動きを封じられ、逃れようと必死に藻掻いている。
己の魔力と空間中の元素を用いて使われる魔法とは異なり、祈祷術は信仰依存の法力と神の加護で発動する。
ただし、裏祈禱の場合は、邪神や悪神の加護となる。
いずれにせよ魔法とは似ているようでまったく異なる技術だ。
魔法反射で跳ね返すことはできない。
魔獣二頭も、完全に身動きできなくなっている。
当然だとレンは思う。
かつてミーシャは、この術で邪竜の動きさえ封じたのだ。
「この状態なら魔法も通じそうだが――」
念には念を入れ、とどめも裏祈禱術で刺すことにする。
「〝煉獄招〟」
レンが短く唱えると、モンスターらの足元の地面がぼこりと盛り上がり、そこからマグマが吹き出す。
さらに、マグマの中から骨格を剥き出しにした亡者が無数に湧き出で、モンスターの体に組み付く。
モンスターはそれぞれが恐慌状態で絶叫するが、亡者の群れによってマグマの中へ引きずり込まれて姿を消した。
「……ふう」
深く息を吐いたレンは、懐をまさぐり人形を取り出す。
〝贄〟を使った際、レンの身代わりとなった魔道具と同じものだ。
製作者である暗殺教団の教祖が〝贄〟の使用から己が身を守るために作った魔道具だが、一度の術使用で目当ての魔力を得られる保証はないので、当然、複数用意していたのだった。
手の中で黒く変色し崩れ落ちた人形を棄てると、レンは〝千里眼〟で洞穴の先を視る。
もはや待ち伏せているモンスターはいない。
それどころか、レンに見つからぬよう身を潜めている個体も多いようだ。
自分よりも格上のモンスターが殺されたのを察知したのだろう。
「やはりさっきの三頭がボス格だったようだな」
これでもう、己の行く手を遮る敵はいない。
あとは標的を討つだけだ。
レンは洞穴の奥へ向かうためふたたび歩きだした。




