第二十八話 生贄
「ぐぅぅ!」
辺境伯が胸を押さえて呻くと、騎乗していた馬がどうと倒れて投げ出される。
ほとんど同時に、周囲の腹心たちの馬も倒れ、騎士たちは地面に転がったまま、鎧の重さのため身を起こすこともできない。
「体が、重いぃ!」
『命を吸い取るって言ったろ? 体力が失われている証拠だ。ちなみに吸収した命は魔力に変換される』
「命を、魔力に変換、だと!? そんな、真似が……」
『暗殺教団の教祖は、あんたなんて比較にならないほどの野心家で性格破綻者だったが、まぎれもない天才でもあった。数々の術法を編み出し自在に使いながら、人に身ゆえ限られた量の魔力しか持てぬことを不服に感じていた。そこで奴は他人の命を膨大な魔力に換える術を編み出した。ただ、それでも、一度の術行使で命を吸える相手はひとりだった。だから、設置式かつ時限式に術を改造した。これなら、広域に大量の術を施し、特定の時間に発動するよう設定すれば、あとはその時刻に大勢の人を集め、そのすべての命を一度に魔力として吸収できるというわけだ』
暗殺教団の教祖は、その邪法を大都市にて使用し、己が身の器から溢れるほどの膨大な魔力を得ようと目論んでいた。
レンが殺していなければ、その教祖は不死の呪法師となり大陸全土を恐怖に陥れるはずだった。
ただ、教祖には天性の魔法的素養があったが、レンはその点ではただの凡夫だ。
いくら魔力を集めようと、レンではそれを自分の体に受け入れたりできない。
そこでレンは、人の感覚ではほとんど無限に近い魔力を貯蓄できる〝漂着物〟を探した。
ようやく見つけたその魔道具の保有者は、教会の異端審問極東支部長だった。
レンは、彼らに迫害されている、異教を崇める少数民族に接触し、弱者を護るという名分を得てその極東支部を壊滅し、討ち果たした支部長から〝漂着物〟を回収した。
レンは懐からその〝漂着物〟を取り出す。
大ぶりの宝玉が嵌め込まれたタリスマンだ。
既に大量の魔力を吸収し、眩いまでに光り輝いている。
その輝きと反比例するように、地上の兵たちの肌はくすみ、徐々に干からびていく。
『オレは、ある理由から大量の魔力が必要なんだ。それこそ、数万人分の命を変換してようやく足りるほど膨大な量のな。だが、暗殺教団の教祖から〝贄〟の呪法を奪ったところで、オレは冒険者だ。そこらの街で使って大量虐殺を働けば、仲間の名を貶めることになる。そこで、あんたらに目をつけたってわけさ』
そう言って自分を指差したレンを、辺境伯は辛うじて身を起こして見上げている。
その顔は、土気色に変わり、頬はこけ、肌は乾いてひび割れている。
『あんたはいずれ軍勢を率い、現体制に反旗を翻すつもりでいた。いずれそれは実行され、大量の犠牲者を出すと、オレは〝未来視〟で知った。だから、それを利用させてもらったんだ。己の野心のためだけに戦乱を巻き起こす反逆者と、その目論見に便乗し欲望のままに振る舞おうとする無法者たち……そんな奴らなら、殺されたって仕方がない。それどころか、消した方が世のためになる。だから、オレはあんたらの命をいただくことに決めたんだ。そしてそのためにも、あんたが早く行動を起こすよう、背中を押してやったのさ』
ハッと気づいた辺境伯は、胸に下がった首飾りに手をかける。
『そうそう、その〝覇滅の首飾り〟を売ったのもその一環だよ。ただ、それだけじゃあない。おかしいとは思わなかったか? 自分のもとへ野心家で倫理観の欠けた賛同者が続々集結したことを。そいつらが皆、あんたのカリスマに惹かれて配下に加わったと、本気で思っていたのか?』
「……ま、さか」
『そうだ。オレが情報を流布し、時には金も使って、あんたの企てに乗るだろう者たちの行動を促したんだ。わざわざ、殺したところでまったく胸が痛まないようなゲス共を選んでな』
辺境伯はぱくぱくと口を動かすが、喉奥から掠れた吐息が漏れるだけだった。
どうやら、声を発する生命力さえ残されていないらしい。
『実のところ、他にも候補は複数いたんだ。そんな中からあんたを選んだのは、役立ちそうな魔道具をいろいろ持ってたからさ。あんたはオレから魔道具を奪うつもりだったようだが、オレの方こそあんたの魔道具をいただくつもりだったってわけさ。ついでだけどな』
暗殺教団の教祖より呪法を奪った後、レンは長い歳月をかけ、冒険の合間に幾度もこの土地に通い、辺境伯軍の総数を飲み込めるほどの術式を大地に設置した。
そして術式が発動する今日という日に軍勢がこの場へ到着するよう、策を巡らせた。
自ら辺境伯らの前に姿を現し、今の今まで時間を稼いでいたのは、王都のためなどではなく、時限術式が発動するまでの足止めが目的だったのだ。
顔を上げていた辺境伯は、突然、糸が切れたように突っ伏した。
その体の露出した部分が、見る間に萎んでミイラのように変わり果てるのを、レンは肉眼で視認する。
程なくして、倒れ伏した辺境伯軍が完全に動きを止めると、大地を覆っていた光が徐々に弱まり、数秒で完全に消えた。
その直後、レンの掲げたタリスマンの石からも輝きが失われる。
ただし、その赤黒い石は、未だ仄かな光を内から発している。
「……終わったな」
レンが視線を下げると、腰に下げた不気味な人形が、いつの間にか真っ黒に変色している。
「こっちの仕掛けも成功したようだ」
そう言って人形に触れると、風化していたようにぼろぼろと崩れ落ちる。
この人形、〝身代わりの依り代〟も、呪法と一緒に暗殺教団の教祖の手元から奪った魔道具だ。
本来、裏祈祷術はその威力に伴う代償が必要となる。
数万人の命を奪った代償ともなれば、本来ならレンの命は間違いなく失われているはずだ。
しかし、この魔道具は、行使された裏祈祷の効果の程にかかわらず、一度だけその代償から身を護ってくれる。
件の教祖にしても、魔力を得る前に死んでしまっては元も子もないので、保身のために開発したのだ。
レンは人形の残骸を払い落すと、風の魔法で体を浮かせながら、地上へ降りる。
どこまでも折り重なるように倒れている鎧武者たちは、皆、兜から覗く顔が干からびている。
まるで、何年もの間、砂漠にでも放置されていたような姿だ。
レンはゆっくりと歩みを進め、辺境伯の屍の前で身を屈めると、死体の持ち物を漁る。
「返してもらうぞ」
まず、〝覇滅の首飾り〟を外し、自身の首に下げる。
続いて、顔に手を伸ばす。
「……これはいらんな」
そう言って、片眼鏡の魔道具を放り投げてから、右腕に手をかける。
「〝武操の籠手〟、こいつは貰おう」
微かに口の端を吊り上げながら、自らの右腕に装着する。
「けっこう重いな……どれ、早速使ってみるか」
レンが魔力を込めた右手を動かすと、近くの騎士たちが腰に差している剣が動き、鞘から抜き放たれて宙に浮く。
「ん……今は、剣三本が限界か」
〝覇滅の首飾り〟に加え、戦闘や魔法に強い〝天分〟を得られる〝疑天の指輪〟を四つも身に着けてこれか、と微かに落胆する。
これを活用すべき時まで、それほど時間は残されていない。
「ま、どうにかするさ」
つぶやいた直後、鳥の甲高い鳴き声が響いた。
頭上を見上げたレンは、西日の眩しさに目を細めつつ、旋回する猛禽を見つめる。
「辺境伯の使い魔か」
渡隼は死んだ主とその配下を悼んでいるかのように、悲しげな鳴き声をあげながら飛び続ける。
主を喪った使い魔の、救いのない行く末を〝未来視〟で視て、レンは嘆息する。
「……ひとり残される身は辛いよな」
同情の言葉をつぶやくと、右手を振りかぶり、ひと振りの剣の切っ先を上空に向ける。
「ご主人様のところへ送ってやるよ」
右腕を振り抜くと同時に、剣は矢のように上空へ放たれる。
飛来した刃を避けることもなく、貫かれて落ちていく渡隼のシルエットが夕陽の中に浮かび上がり、やがて地上へ吸い込まれるように消えていった。




