第二十五話 勧誘
眼前の隆起した大地を見上げ、辺境伯は低めた声で呟く。
「遅い……ジェナは何をやっているのだ」
「あ奴がこれ程時を費やすとは珍しいですな。さすがに特級冒険者相手では、苦戦を強いられているということでしょうか」
そう言葉を重ねつつ、副官は内心で、よもや返り討ちにされたのではあるまいなと考えている。
先程、断崖の上から乾いた破裂音が断続的に響いてきた。
ジェナの攻撃のレパートリーに、あのような派手な音を伴うものはない。
つまり、敵の攻撃の音だった可能性が高い。
そろそろ増援を送った方が良いのではないか。
そう副官が提案しようと考え始めていたところ、元冒険者の部下が崖の上を指差し声をあげた。
「あ、あれを! なにか飛んできます!」
声につられて前方上空を見上げた者たちは、飛来する人影に気付いて身構える。
しかし人影は兵たちのところまでは届かず、地面に激突すると、幾度もバウンドしながら転がった。
何度も地面に叩きつけられ、ぼろぼろになりながらようやく止まったそれに視線を向け、辺境伯は顔を顰める。
「ジェナ……しくじりおったな」
「閣下……あ、あれを」
傍らの副官に目で促され、崖の上を見上げた辺境伯は、隆起した大地の上から自分を見下ろす男を認める。
「ほう? 無傷とはな」
『〝猟犬〟の筆頭、カヴァーディルの懐刀とやらは討ち取った』
崖の上のレンの声が、平野に展開する兵たちにも届き、辺境伯軍にざわめきが広がる。
「拡声魔法か」
軍の高官や為政者が、集団に声を届けるための魔法だ。
いち冒険者が習得しているのは珍しい。
「奴は魔法に通じているのか?」
辺境伯から問われた元冒険者の部下は、返答に窮する。
「あ、いえ……そのような話、き、聞いたことは――」
元冒険者の声は、背後の軍勢から発せられた怒声に掻き消される。
「きっ、貴様ぁぁああ! よくもジェナ殿をぉ!!」
「くそっ! あんなところから投げ捨てやがって! 人でなしが!!」
「引きずり降ろして八つ裂きにしてやれ!!」
数万の軍勢が、己を見上げて口々に罵る様子を、レンは冷ややかに見下ろす。
「なるほど。皆のアイドルだったというわけか」
軍隊は、その多くが男性で構成される。
女性が所属していても、ほとんどは後方部隊か、戦場に出たとしても、魔導士部隊に所属している者がほとんどだ。
そんな中、ジェナは最前線で武器を持って戦い、しかも軍で屈指の実力者だった。
おまけに美貌まで備えていた。
味方の兵にとっては、特別な存在だったのだろう。
「しかし、この反応は想定外だな」
投げたのも勝ち名乗りも、辺境伯への挑発のつもりだったが、よもや他の大多数の兵たちの怒りを買うことになるとは思わなかった。
どいつもこいつも今にも駆け出しそうなほどに前のめりだ。
誰かひとりでも走りだせば、それを皮切りに全軍が突撃を開始しかねない。
どうにかとどまっているのは、辺境伯がよく躾けているからだろう。
裏を返せば、辺境伯がひと声発すれば、逆上した兵たちは一気に押し寄せて来るはずだ。
今、このタイミングでそうなるのは、少々まずい。
どうしたものかとレンが思案していると、耳を劈くような怒号が届いた。
『鎮まれ皆の者ぉ!!!』
その一喝で、兵たちのがなり声はピタリと止む。
「辺境伯か」
たった一声で兵たちを黙らせるとは、なかなか見事なものだとレンは感心する。
拡声魔法も、数百人程度にしか声を伝えられない自分とは違い、ほぼ全軍に声を届けたのが、〝千里眼〟で確認した兵たちの反応からわかった。
辺境伯はレンを見上げ、意外なほど穏やかな口調で話しかけてきた。
『レンとやら、まずは見事だと褒めてやろう。冒険者風情がジェナを返り討ちにするとはな。だが、それもここまでだ。万の軍を相手に、貴様ひとりではわずかな時間足止めするのが関の山だ』
その通りだ、とレンは内心で同意する。
特級冒険者だろうが、災害指定魔獣を狩った経験があろうが、所詮、人は人だ。
どれだけ強力な魔道具で武装しようと、恵まれた〝天分〟を使いこなそうと、ひとりが数万もの武装した人間を相手に勝つことなど不可能だ。
仮に大量の敵を一度に滅する殲滅魔法で攻撃しようと、万を超える軍であれば千人規模の魔導兵部隊を含む以上、必ず魔法で防御される。
『数の多い方が強い……シンプルだが、それゆえに覆しようのない真理だな』
『そうだ。その気になれば貴様ひとり磨り潰すのは造作もないこと。貴様がジェナと戦っている間に、周囲の索敵も済ませたが、どうやら伏兵がいるわけでもなければ、援軍が向かって来ているということでもないようだ。貴様、いったいどういうつもりだったのだ? 大地を隆起させ進路を塞いだ程度で、我らの進軍を止められるなどと思ったわけでもあるまい。そもそも、商人になりすまして私に魔道具を売ったのも、なにか目論見あってのことだったのであろう?』
レンが口を噤んだまま応じずにいると、辺境伯は小さく肩を竦めた。
『だんまりか……まあいい、私はな冒険者、有能と見込んだ相手には寛大なのだ。だから、許してやろう。私を謀ろうとしたことも、ジェナを殺したことも、水に流そう。ただし、私に服従するのが条件だ』
そう提案されるのを、レンは予想していた。
先程斃したジェナをはじめ、〝猟犬〟や親衛隊は、辺境伯が自らスカウトした人材で構成されている。
レンの正体をリークした冒険者のような在野の人材もいれば、味方はもちろん敵から引き抜いた軍人も多いのだと、レンは〝過去視〟によって知っていた。
『たとえ戦場で味方を殺した相手だろうと、かまわず登用するか』
『だから私の軍は強いのだ。早速返答を聞かせてもらおう。私の下で新たな王朝を打ち立てるという栄誉に浴するか、この場で無惨に果てるか、今、ここで選ぶがいい』
少し考えたふりをしてから、レンは辺境伯に問いかける。
『答える前に、ひとつ訊いておきたい』
『なんだ?』
『オレがさっき殺したジェナって女は、あんたにとってただの部下ではなく、情婦であったはずだ』
『ふん……よく調べているな。その情報収集力も評価すべきか』
『そんな人間を殺した相手を、どうして部下に勧誘などできる?』
その問いを、辺境伯は鼻で嗤う。
『なにかと思えば、そんなことが気になるのか』
『そんなこと?』
『ふっ……たしかに、ジェナにはそれなりの情を抱いていた。拾ってやって以来、公私にわたってよく私に尽くしてくれたからな。あの女を殺した貴様に思うところがないわけではない……しかしな、そのような些事をいちいち気にしていたのでは、覇業を為すことなどできはせん。己の感情など吞み込んでみせるのが、国を獲ろうという将たる者の度量であろう』
レンは少しの間絶句すると、片手で顔の上半分を覆った。
『…………オレは、そんなふうには割り切れない』
『あ?』
『親しい者の死は、いつまでも引きずるし、仲間を殺されれば、復讐せずにはいられない……人生をすべて賭してでもな……あんたみたいに割り切って生きることができたなら、どんなに楽だったことか……』
レンは指の隙間から覗く瞳で辺境伯を見下ろす。
その目は、嫌悪と侮蔑と敵意に濁っている。
『妬ましいから死んでくれ』
辺境伯は小さく舌打ちして顔を歪める。
『それが答えか。愚か者が』
左手の指で輪を作り、口に当てて指笛を鳴らすと、辺境伯の肩にとまった猛禽が空に飛び発つ。
『死ぬのは貴様の方だ』




