第十五話 国難
オーレンの中心に聳えるヤール国王城の最奥にて、玉座に腰を下ろした初老の男が、冠をいただいた頭を抱え震えている。
言うまでもなく、ヤール国の国王だ。
周囲には側近たちが居並んでいるが、誰もが沈鬱な表情を浮かべ、その瞳は不安に揺れている。
そこへ、息を切らした兵士が駆け込んで来る。
国の首脳たちが一斉に色めき立つ中、滑り込むようにして膝を折った兵士は、息を詰まらせながらも声を張る。
「お、おそれながら、申し上げます! カーンベイル辺境伯率いる反乱軍の迎撃に向かった王国軍四万ですが、陣を敷いていたルノア河畔での激戦に破れ潰走! 軍を率いておられたファーディナンド将軍は討ち死にされたとのことでございます!」
途端、重鎮たちが一斉に悲鳴のような声をあげる。
「バカな! ファーディナンドほどの武人が中央の精鋭を率いながら、カヴァーディルの如き田舎侍と寄せ集めの反乱軍などに破れたというのか!」
「どうするのだ! これで王都に残ったのは留守を預かる第五騎士団と近衛兵団のみだ! 兵力差は五倍近いうえに実戦経験のある指揮官はいないのだぞ!」
「いや、問題なかろう! 籠城戦ならば五倍程度の兵力差の不利は埋めることができる! 敵がやって来る前に門を封鎖し立て籠もるための準備を整えるのだ!」
「シロウトめが! この王都は城郭都市とはいえ周囲は平野で籠城戦には向かん! 包囲されたうえ戦術魔法を撃ち込まれれば城門など長くもたんわ!」
「待て! 敵が攻め寄せて来るより先に潰走した味方が逃げ帰って来るだろう! 民が混乱し暴動でも起これば戦いどころではないぞ!」
「だったらどうするというのだ! 残った戦力で打って出ろとでも言うつもりか!」
「そんなのは自殺行為に他ならんわ! このうえは王都を放棄するほかあるまい!」
「逃げるというのか!? 民はどうするつもりだ!」
「民よりもまずは国の重鎮たる我らの身の安全を優先するべきだ!」
「見捨てるつもりか! 貴様はそれでもこの国の――」
「おぉお落ち着けぇ!!」
狼狽のあまり好き勝手に意見を喚き散らしたうえに諍いまで始めようとしていた家臣団を、王が一喝する。
しかし、その声は掠れているうえに裏返っていた。
それでも、家臣らの視線が集中し、王は同じ言葉を繰り返す。
「……お、落ち着け! お、おち……おぉ落ち着くのだ!」
そう訴える王の、青褪めた唇はぶるぶると震え、目は血走り、頬は痙攣さえしている。
玉座の肘掛けを掴んだ手には、力を込めすぎて血管が浮き上がり、足はリズムでもとっているように揺すられている。
明らかに、王が誰より落ち着いていない。
こういう状況で、自分よりも動揺している者がいると、人はかえって落ち着くものだ。
重鎮たちは互いに視線を向け合ってから王に向きなおり、その中で最高齢かつ地位も高い宰相が詫びる。
「申し訳ござりませぬ。あまりのことに一同取り乱しました。王陛下自らお諫めいただくとはおそれ多きことにございます」
「わ、わかればよい! ……わかればよいのだ!」
そう言うと、王は深呼吸し、咽かけてから、あらためて臣下に意見を求める。
「して、どうすれば良いと思う!?」
「おそれながら――」
進み出た内務卿に皆の視線が集まる。
「カヴァーディルが欲するは陛下の御首級なれば、まず陛下におかれましては王都を発ち落ち延びていただくべきかと」
「論外ですな。悪手も良いところだ」
即座に反対したのは近衛団長だ。
内務卿は眦を釣り上げ声を荒げる。
「若造が! 差し出口を挟むな!」
「待て! メレディスよ、なぜそう思う?」
メレディスと呼ばれた近衛団長は、淡々と答える。
「カヴァーディルめの軍は〝猟犬〟と呼ばれる精鋭を擁しております。連中は機動力に特化した独立部隊であり、その名の如く追撃や追跡のエキスパートなのです。先の隣国との戦役にて、カヴァーディルが前線を脱した敵司令官の首級をあげたのも、猟犬を嗾けたからでございます。反乱軍が王都へ到着し、陛下が避難されたと知れば、必ず猟犬が放たれましょう。そして、連中の機動力を鑑みるに、陛下が追跡を振り切って逃げ込める場所は……おそらく二カ所」
近衛団長は壁に貼られた地図を乗馬用の鞭で指し示して説明する。
「まず西の砦。軍事施設であり、山の上に建てられていることから籠城には向いていましょう。ただし反乱軍の本隊が到着すれば、陥落までもってせいぜい三日というところかと。もう一カ所は、東の都市バレンヌ。王都と同様に城郭に囲まれておりある程度の防衛力とお抱えの騎士団も有しておりますが、それでも王都よりは脆弱でしょう。なにより、街を治める参事会は日和見主義者の集まりゆえ、反乱軍に寝返り、陛下を捕えて引き渡すかもしれません」
「き、貴公らが残って反乱軍を迎え撃てば、陛下の脱出を気取られずに済むはずだ! さすればさらに遠く、たとえばベニリアまで辿り着けば、海路で同盟国へと渡ることもできよう!」
唾液を飛ばしながら反論する内務卿から一歩下がって距離をとりつつ、メレディスは首を振る。
「私がカヴァーディルであれば、とっくに王都近郊に斥候を潜ませております。脱出して気取られぬはずがありませんな」
「なら夜闇に紛れれば!」
「辺境伯軍の斥候であれば暗視魔法ぐらい間違いなく使えるでしょう」
「も、もうよい!」
王の声に、皆の視線が一斉に集まる。
「脱出は、せぬ。元より、王都の民を見捨てて逃げるなど、気が進まなかった」
内務卿は食い締めた奥歯をギリと鳴らし、近衛団長に忌々しげな視線を向ける。
メレディスは気付きながらも無視する。
内心では、王と一緒に逃げ出したかったのだろうが当てが外れたなと、せせら笑っている。
「だが、それならどうすれば良いのだ」
「使い魔を放ち、あらためて諸侯に救援を打診したうえで、門を閉ざして防衛に徹するほかありますまい。援軍が間に合えばそれでよし。どうにもならぬようであれば――」
メレディスは一度言葉を区切ってから続ける。
「降伏しかないかと」
王が深く肩を落とし、側近たちの口からため息が漏れる。
「ただ降伏といっても、立ち回り次第でこちらに有利な条件を引き出すこともできましょう。たとえどんな犠牲を払うことになろうと、陛下の助命だけは飲ませましょう」
王はゆっくりと首を振りながら顔を上げる。
「カヴァーディルはそんな甘い男ではあるまい。降伏したとして、余の首を差し出すことだけは譲らぬであろうよ」
メレディスがなにか言いかけるのを、王は手を挙げて遮る。
「良い。既に覚悟は決めた。ただし、ヤール王家の血統だけはなんとしても残したい。もしもの時は、息子らだけでもなんとか生かしてほしい」
「……辺境伯は殿下らの顔を知りませぬ。すぐにでも影武者を用意させ、混乱に乗じてどうにかお逃げいただく算段を立てましょう」
宰相が応じると、王は力なく微笑むが、すぐにふたたび頭を抱える。
「なぜ……なぜこのようなことに」
まったくだ、とメレディスは思う。
隣国と広く国境を接するカーンベイル辺境伯領を治める、ルパート・カヴァーディルが挙兵したのが五ヶ月前。
辺境伯は各地に檄文を送り、主に僻地の武家や野武士のような輩を自軍に吸収しながら王都へ兵を進め、討伐に向かった各地の騎士団、そして王国軍をも退け、破竹の勢いで王の喉元まで迫っていた。
カヴァーディルという男は、子爵家の五男であり、軍学校を出て士官候補として王国軍へ入った後、国境付近の山で銀が採掘されたことをきっかけに始まった隣国との戦に出て大きな武功をあげた。
ヤール王国の勝利で戦が終ると、その類稀な軍才ゆえに王国軍の将軍に推す声もあったが、野心の強さを危惧した軍首脳部の意向もあり、辺境伯として隣国と国境を接する地域の守護を任されることとなった。
権力を持ち過ぎぬよう、中央から遠ざけるための差配だが、同時に異例の出世でもあった。
功名心の強い男ではあったが、慎重さも持ち合わせていた。
よもや王を弑して国を乗っ取ろうとするなど、そこまで大それた真似をするとは思いもよらなかった。
否、仮に今回のような暴挙に及んだとして、何故このタイミングなのかがわからない。
メレディスが物思いに沈みかけていると、宰相の秘書官が足早に玉座の間へ入って来て、宰相に何ごとか耳打ちした。




