第十二話 希望
虚空を見つめて惚けていたレンが、突然、悲鳴をあげて椅子から転げ落ちたため、ソフィーナは麦酒を呷るのを中断し、身を傾けテーブルの下を覗き込んだ。
「レンさーん? 〝未来視〟終わったんですかぁ?」
ソフィーナからの問いにレンは反応を返さず、蹲って嘔吐する。
「ちょ、レンさん!? 私と違ってあなたはお酒一滴も飲んでないでしょ!? なんで吐いてんです!?」
やはりレンは応じず、激しくえずきながら胃液まで吐き切ると、声をあげて泣きはじめる。
その無様な姿に、周囲のテーブルの客たちが一瞬蔑みの視線を向けるが、酒場では飲み過ぎて吐く者も泣き上戸も珍しくないため、皆すぐに興味を失い、自分の酒と肴に向きなおる。
空いた皿を運んでいる若い女の店員が、レンを横目で見て露骨に顔を顰める。
「あ! そこ行くお姉さん、これを!」
ソフィーナが親指で弾いたコインを、店員は片手で器用にキャッチする。
手を開いて確認すると、銅貨ではなく小銀貨だと気付き、店員は目を丸くする。
「床を汚した迷惑料です。後で手ぇ空いたら片しといてもらえます? あと、麦酒の追加をくださいな。大ジョッキで」
店員はコインをエプロンのポケットに落とすと、口元に抑えきれぬ笑みを浮かべ、会釈し足早に厨房へ向かう。
ソフィーナは軽く溜息を吐くと、席を立ってレンの傍に屈む。
「ほらレンさん、とりあえず席に戻ってください」
ソフィーナは、レンの左腕を肩へまわさせ、左手で手首を掴み、自分の右腕を背中へまわして脇を支え、強引に立たせる。
「う、重っ……ほぉら寄っ掛かってないで、自分で歩いてくださいよぉ……椅子はすぐそこなんですからぁ」
床の反吐を避けてよたよたと歩き、ほとんど放り投げるようにしてレンを席に座らせる。
「……うっ……ううっ……」
レンはテーブルに突っ伏すようにしてうな垂れ、嗚咽を漏らし続ける。
ただ、ふたたび椅子から転げ落ちる様子はないと確認し、ソフィーナは自分の席に戻る。
「大の男がしらふで、人目も憚らずに泣くなんて、いったいどんな未来を視たというんです?」
レンは大きく身震いし、口を開けぱくぱくと動かすも、掠れた息ばかりが漏れる。
ソフィーナはレンから視線を外し、嘆息する。
「……お友達は邪竜討伐を失敗したのですね」
レンは涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を上げ、ソフィーナに問う。
「…………ど……どう、して」
「そりゃ今のレンさんの様子を見れば私でなくたって察しますよ。単に失敗したばかりでなく、相当無惨な最期だったってことまでね」
「あ……あんなの……なにかの間違いだ……カイルは〝勇者〟だぞ? それがあんな…………あんな、一方的に……うっ」
仲間たちの凄惨な死に様を思い出し、ふたたび胃の中のものが喉元までこみ上げ、レンは青褪めた顔で口を押さえる。
「まあ〝勇者〟といってもけっこうピンキリですからねえ。それに、仮にそのお友達が〝勇者〟の中でも上澄みだったとして、相手がドラゴンなら歯が立たなくても不思議はありませんよ。冒険者がよく相手にする亜竜なんかとは違って、あれは本来人の手に負える存在じゃありません。だから災害指定なんですよ」
反論する気力もなく、レンは大きく肩を落とす。
「ひどく気落ちしているようですが、レンさん……〝未来視〟で視た光景はあくまで未来に起きるはずの出来事だってことを忘れていませんか?」
「…………え?」
ソフィーナがなにを言いたいのかわからず、顔を上げたレンは怪訝な顔になる。
「今はまだ、お仲間の皆さんは生きてるじゃないですか」
「それって――」
レンは大きく目を見開き、声を震わせる。
「もしかして、まだカイルたちを救えるってこと?」
ソフィーナは肩を竦めながらも否定はしない。
「先程お伝えしたように、〝未来視〟も自分の未来だけは視ることができません。未来を知った時点で、未来が変わってしまうからです。つまり、未来は変えることができるんです。レンさんの視ることのできる未来というのは、すなわち、レンさん自身がなにも影響を及ぼすことのなかった未来、というわけですね」
レンが勢いよく席を立ったため、座っていた椅子が後ろに倒れた。
「そ、それなら、すぐにカイルたちに知らせなきゃ! 今からでも邪竜討伐を止めさせれば、四人は助かるんだ!」
「落ち着いてくださいレンさん。今現在、彼らがどこにいるかもわからないでしょう?」
「あ、そ、そうか、そうだよね!」
「まずは座ってください」
レンはソフィーナに促されるまま、椅子を戻して腰を下ろす。
「では、いま一度〝千里眼〟を使って皆さんがどこにいらっしゃるのか視てみようじゃありませんか。それと、今回は〝全能視〟の最後の能力も併用してみましょう」
「最後の?」
ソフィーナは席を立つと、レンに歩み寄り肩に手を置く。
「視覚の共有です。〝全能視〟はその行使に際して、肉体的に接触している相手に、レンさんと同じものを視せることができるのです」
「そう、なんだ……でも、今あんたがオレと一緒にカイルたちを視る必要ある?」
「言ったでしょう? 能力の確認までが私の仕事だって」
この緊急時になにを悠長なと、一瞬反感を抱くが、ソフィーナに〝全能視〟のレクチャーを受けていなければ、カイルたちが自分を追放した真意も、四人が死ぬ未来も知り得なかったのだから、不平を口にするのは筋違いだと思いなおす。
「よし、じゃあ今四人がどこにいるのか視るよ! ちょっと目眩がするから、倒れないように気を付けて!」
「わかりました」
ソフィーナの返事を聞いた直後、レンの視界は酒場を飛び出し、凄まじい速度で景色が流れる。
酔いそうになるのを耐えていると、視界の動きが急激に緩やかになり、レンは目の前に木造四階建てほどの建物を認める。
「これは……宿屋か」
入り口をすり抜け視界が建物へ入ると、カウンターで宿の職員と話しているナディーンと、少し離れたところで話しているカイルたち三人を発見する。
「み、みんな!」
四人の無事な姿を確認し、レンの視界が滲む
そのまま仲間たちに声をかけようとするも、思いとどまる。
視覚を飛ばしただけの己では、話しかけることなどできない。
一方で、四人の声はレンに届く。
どうやらミーシャが不平を口にしているようだ。
『あーもうサイアク! 女子三人でシングルとか!』
『仕方ねえだろ、今さっき街に着いたんだからよ。部屋があっただけマシだろうが』
『レンくんが居た頃はこんなことなかったのに!』
『あいつはいつも街へ先乗りして宿をとってくれてたからなぁ。いなくなるとありがたみを痛感するよな』
自分のことを話題にしていると気付き、レンの口元が綻ぶ。
〝過去視〟で視た通り、自分は役立たずだから疎外されたわけではなかったのだ。
『そんなに狭いのが嫌なら、ミーシャはオレと相部屋にするか?』
『はあ!? 絶対嫌だし! てかカイはひとりで娼館でも行ってくればいいじゃん!』
『オレだって旅で疲れてんだから宿でゆっくり休みてえの』
カイルたちの会話を聞きながら、レンは視線を彷徨わせる。
その目が、カウンターの奥の壁にとまる。
表彰でもされたのか、賞状のようなものが額縁に入れられ飾られている。
「役場公認、ダカン最優良ホテル……ダカンか」
たしか、クレタ山の最寄りの街であるフェニムラより、少し手前に位置する宿場町の名だ。
予想通りだとレンは思う。
「これで、みんなを――」
呟いた瞬間、視界がぼやける。
目当ての情報を得たことで、〝千里眼〟が解除されようとしているのだとわかった。
不平を言うミーシャを適当にあしらうカイル、おそらく街の露店ででも買ったらしい果実飴を齧っているスーたちの方へ、チェックインを済ませたナディーンが戻って来る。
仲間たちの姿を目に焼き付けようと刮目していると、視界がホワイトアウトし、次の瞬間には元の酒場が目の前に広がっていた。




