第十一話 惨劇
『ウソよぉ! そんな! こんなのいやあ!!』
泣きじゃくるミーシャに、数歩前に立つカイルが、振り向きもせずに怒鳴る。
『ミーシャ!! 泣いてねえでナディーンに治癒魔法をかけろ!!』
しかしミーシャは何度も首を振って拒絶する。
『なんで……なんでそんなこと言うのよ! 今スーを治してるじゃない!』
その言葉の通り、ミーシャは倒れたスーに治癒魔法をかけ続けている。
カイルは邪竜に剣を向けたまま、ふり返る。
『よく見ろ! スーは……スーはもう助からねえだろ!!』
その指摘は正確でないと、レンはうまく働かない頭の片隅で、いやに冷静に考える。
ミーシャの前で仰向けに倒れているスーは、胸から下を喪失していた。
邪竜の攻撃を受けてしまったのだろう。
助からないどころか、既に絶命している。
『そんなはずないってば! もっと治癒魔法かければ助かるからぁ!! だからもうちょっと待ってよぉ!!』
ミーシャは完全に錯乱している。
無理もないとレンは思う。
ミーシャはスーを妹同然に可愛がっていた。
こんな無惨な死に様を前にしては、正気でなどいられまい。
『くっそ……ミーシャ、頼むから――』
『カイル!!』
どうにかミーシャを落ち着かせようとするカイルの声を、離れたところに立つナディーンが遮った。
彼女は左腕と額から血を流している。
特に左腕からは折れた骨がとび出しており、少なくとも今は、まともに動かせそうにない。
それでも、彼女は邪竜を牽制するように身構えている。
『ブレスだ! 来るぞ!』
ナディーンの声を受け、カイルはミーシャに向けていた顔を前へ向けると、短く呪文を唱える。
『〝魔障壁〟!!』
パーティーの仲間達が薄緑に光る魔力の壁に包まれた直後、邪竜の口から炎が放たれた。
灼熱の息は洞窟内を這うように広がり、一面火の海となる。
ただし、カイルの魔法に包まれた三人にダメージはない。
『くっそ……なんて熱量だ……それに、い、息が!』
急速に周囲の酸素が失われたため、カイルは喉を押さえて喘ぎながら、続けて魔法を使う。
『〝空烈破〟!!』
突き出した掌から前方広範囲に向け衝撃波が放たれ、炎が消し飛ばされると同時に、洞窟内の空気が攪拌され、カイルたちが酸欠状態から解放される。
しかし、呼吸を阻害された状態で魔法を唱えたカイルは、その場に膝をつく。
『かはっ! ぜっ! ぜひゅぅ!』
カイルが蹲る間にも、邪竜の口の端から、続けて吐き出そうとしている炎が漏れ出ている。
「やばい」
レンがつぶやいた直後、ナディーンが大きく跳躍する。
『させない!』
ナディーンの蹴りが顎を捉え、邪竜の頭が大きく跳ね上がる。
彼女の体術は対魔獣用に練り上げられたもので、闘気を纏って放たれる技は、岩をも粉砕する。
急所に喰らって無事でいられるはずがない。
だから、ナディーンはそのまま邪竜が仰のけに倒れると確信し、一瞬油断する。
『左下だナディーン!』
カイルが叫ぶも、ナディーンが反応するよりも速く、邪竜の手が彼女の体を掴む。
『ぐっ!』
邪竜はナディーンを握り潰そうと手に力を込める。
竜の握力であれば、人間の体など柔らかな果実のようなものだ。
が、ナディーンは歯を食いしばって耐える。
闘気を全身に漲らせ、肉体の頑強さを極限まで高める、〝剛体〟という技術だ。
『よし! そのまま耐えてろ! すぐに――』
ようやく回復して立ち上がりかけていたカイルは、ナディーンに向かって張っていた声を途切れさせ、仰け反った頭を戻す邪竜を見て息を呑む。
その開いた口が、赤々と光を放っている。
『だめだ! ナディーン逃げ――』
炎のブレスが、邪竜の拳から覗くナディーンに直接吐きかけられる。
「ああっ!!」
レンの〝全能視〟は、炎の中で瞬時に炭化するナディーンを捉える。
その目に涙が溢れるが、〝全能視〟によって視界が滲むことはない。
『……そんな』
ブレスが途切れた直後、立ち上がりかけていたカイルは、ふたたび膝をつく。
邪竜の手に握られていたナディーンの上半身は、ほとんど燃え尽き、原形を留めぬ炭屑がぼろぼろと崩れた。
邪竜は手の中に焼け残ったナディーンの体を投げ捨てると、カイルを見下ろし口角を釣り上げる。
嗤っているのだと、レンにはわかった。
『くそっ……よくも、ナディーン……を?』
憤怒の形相で邪竜を見上げるカイルは、敵の周囲の変化に気付いて怪訝な顔になる。
『……これは』
邪竜の足元から、触手のような影が無数に生える。
影は邪竜に絡みつき、その動きを止める。
『ミーシャ!』
カイルが弾かれたようにふり向くと、ミーシャが自分の掌にナイフを突き立てていた。
『〝呪縛影〟』
ミーシャがナイフをさらに深く突き刺し血が溢れると、さらにたくさんの影の触手が邪竜を縛り上げていく。
その様子を見て、レンは無意識につぶやく。
「……裏祈祷」
本来、祈祷師のミーシャは治癒や支援のスペシャリストであり、魔力を攻撃に使うことはできない。
しかし、祈祷の効果を反転させる〝裏祈祷〟という技術を使えば、敵を害することもできた。
ただし、神聖なる力を呪いへと裏返すためには、術者が強烈な痛みと憎しみを同時に感じている必要があり、根明なミーシャの性格もあって、レンの知る限り実戦で使ったことは今まで一度もなかった。
カイルは邪竜の状態を確認すると、ふたたびミーシャに顔を向ける。
『いいぞミーシャ! そのまま奴の動きを封じてろ! その間にオレが――』
『カイは手を出さないで!』
『なっ!?』
思ってもいなかった言葉を返され、カイルは戸惑う。
『なに言ってんだ!』
『私の裏祈祷の方が、苦しめて殺せるから』
『ばっ!? そんなこと言ってる場合か!』
『スーとナディーンは姉妹も同然だった! それをこいつは……普通に殺したんじゃ気が済まないよ!』
ミーシャはナイフで掌を貫いたうえ、深く抉り込む。
左手から血を噴出させたまま両手を突き出すと、洞窟内に澱む闇が蠢く。
『〝喰屍蠱〟!』
影が白い蟲を大量に吐き出し、洞窟の地表に溢れる。
蟲の正体は魔界の蛆と言われている。
人界のそれとは比較にもならぬほど貪食であり、巨大なモンスターであろうと群体で集り、骨まで平らげてしまう。
『食らい尽くせ!!』
蛆の群れが、一斉に邪竜へ向かう。
邪竜は首を上向けたまま影に縛られ、炎で焼き払うこともできない。
『あはっ! あははは! これであんたは蟲のエサぁ!!』
ミーシャが裏返った声で嘲笑うと、邪竜は上向いたまま唸り声をあげる。
洞窟に響くその音に魔力が込められていることに気付き、カイルは警戒して身構える。
『気をつけろミーシャ! なにか――っ!?』
突然、地面から棘状の水晶が生える。
至近距離から矢を放たれたような勢いで伸びるそれを、カイルは身を仰け反らせて躱す。
『こ、れは!!』
さらに足元から次々と生える棘を、カイルはバク転を繰り返して躱しつつ、邪竜を横目で窺う。
『〝晶針破〟だと!? 人間の魔法をどうして!? まさか、過去に自分を討伐に来た人間の魔法をパクったのか!?』
最後に生えた巨大な棘をバク宙で躱したカイルは、着地と同時にミーシャの方へ振り向く。
『ああ!!』
ミーシャは全身を無数の棘に貫かれ、立ったまま息絶えていた。
『ミィシャァァァアアア!!!』
影が消え、束縛から解かれた邪竜は、即座にブレスで地上を焼き払う。
邪竜の足元まで迫っていた蛆の群れは瞬時に焼き払われ、洞窟内は一面火の海となる。
その炎を突き破るようにして、跳躍したカイルが窪みの上へ降り立つ。
防御魔法が間に合わなかったのか、全身が炎に包まれているが、体が焼かれていることになどかまわず、頭を抱えてゆっくりと首を振る。
『…………オレが、間違っていた』
ゆっくりと下ろした掌の上に視線を落とし、カイルは声を震わせる。
『レンだけじゃねえ……スーも、ナディーンも、ミーシャも……みんな連れて来るべきじゃなかった』
視線を上げ、邪竜を睨みつける。
『オレひとりで来てりゃあ、誰も失わずに済んだのに!!』
邪竜は長い前肢を振り上げ、カイルに振り下ろす。
洞穴前の広場はその一撃で半分程が崩落するも、カイルは跳躍して躱している。
飛び散った岩の破片を蹴り、邪竜の方へ跳びながら、カイルは吠える。
『〝失独の勇躍〟!』
カイルの全身が山吹色のオーラを帯び、なにもない空を蹴り、宙を跳ね回る。
その動きに翻弄され視線を彷徨わせる邪竜に、カイルはオーラを通した剣を振り下ろし、間合いの外から放った光の斬撃が直撃する。
〝失独の勇躍〟とは、勇者の切り札とも言える能力だ。
使用者の能力すべてを大幅に引き上げるが、闘いの中で仲間をすべて失うことでしか発動できない。
当然、レンが見るのは初めてだ。
よろめいた邪竜に、カイルは剣を持っていない左手を突き出す。
『〝榴散光爆雨〟!』
カイルの掌の前に展開された魔法陣から、大量の光の散弾が放たれ、邪竜に命中すると炸裂し、洞窟内は光の明滅に包まれる。
凄まじい熱気と爆煙が立ち込め、視界が塞がれたまま、カイルは剣を頭上に掲げる。
切っ先から放たれた光が、巨大な刃を形成する。
『〝輝刃斬〟!!』
邪竜の気配だけを頼りに振り下ろされた光の刃が、カイルの前方を断ち割る。
『次でとどめだ……』
カイルは剣を鞘に納めると、右の手刀を突き出し、左手を肘の先に添えて支える。
全身に漲るオーラが手刀の先に集まり、周囲を白一色に染めるほどの閃光が放たれる。
『光よ打ち払え――』
手刀の前の光が一点に収縮し、極小の光球となる。
『〝輝煌閃〟!!!』
光球が弾け、凄まじい光の奔流が放たれる。
崩落の危険性にまったく配慮していない攻撃により、洞窟内は魔力の乱流にかき回される。
定まらぬ視界の中、カイルは地面に降り立ち、俯けた顔を歪める。
『スー……ナディーン……ミーシャ……すまねえ……』
喪った三人を悼むように、カイルは目を閉じ口を引き結んでしばしの間黙祷する。
その腹を、衝撃が貫いた。
『ごはっ!?』
驚愕に目を見開いたカイルは、未だ収まらぬハレーションの向こうから漆黒の刃が伸び、己の鳩尾を抉っているのを認める。
それは、刀のように鋭く尖った邪竜の尾の先端だ。
カイルはそれを引き抜こうと両手で掴むも、突き刺されたまま体を高く持ち上げられ、苦痛のうめきを漏らす。
『ぎっ! づぅぅぅぅううううああああああ!!!』
邪竜が尾を引き寄せたことで、光の中から現れた相手の姿を視認し、カイルは激痛に全身を震わせながら目を見張る。
『かっ……ば……バ、カな……無傷、だと!?』
未だ収まらぬ光の中に浮かび上がった邪竜は、魔法が直撃したことで鱗が赤熱しているものの、傷といえるような損傷はどこにも見当たらない。
バフをかけたうえで放った〝勇者〟の奥の手の威力は、生き物が耐えられるものではないはずだった。
ここに至りカイルは、邪竜がただ凶悪なだけのドラゴンではないと悟る。
痛みに途切れそうになる思考を巡らせる間に、邪竜は両の手を串刺したカイルの上半身と下半身に伸ばす。
『ぐっ……う、あ!』
カイルは必死に逃れようともがくも、身を貫く尾の先はかえって深く沈む。
そして遂に邪竜の手がカイルを掴む。
『〝魔……障壁〟!』
苦し紛れに防御魔法を使うが、それはカイルの絶命までの猶予を数秒程度延ばしただけだった。
『あ……が、ぎぃいぃぃ!!』
邪竜が両手に力を込めると、カイルは貫かれた部分から肉と骨と臓腑が断裂していく感覚に身を痙攣させ、口から断末魔を漏らす。
『ぃいいぃあっ……ぐぅっ……そっ…………ち、くしょ……ぉおぉあぁああぁあぁああぁあぁああああああああああああああああ!!!』
ぶちぶちと耳障りな音を響かせながら、カイルの体が上下に引き千切られる。
それぞれの手の内に収まった勇者の半身を握り潰し、邪竜は洞窟が震えるような咆哮をあげた。




