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第5話 瞬殺

 さっきまで巨大だと思っていた尖った岩が、そのドラゴンのそばにあると、ただの小枝のように見える。俺のキャラクターなんて、比べることすらばかばかしい。


「でっ……か」


 口の中が乾いていた。


 ゲームで巨大なボスは何体も見てきた。でも、こいつは格が違う。画面越しでも、その場の主だということがはっきり分かる。この空間は、こいつのためにある場所なんだ。


 これが、富士深淵ダンジョンのボス。


 そう理解した瞬間、ふと、ある考えが頭に浮かんだ。


 現実の富士深淵ダンジョンは、今では立ち入りそのものが禁止されている。それより前だって、一番奥まで辿り着いた人は一人もいなかった。


 ということは、だ。


 このボスの姿を見た人間は、現実にはまだいないんじゃないか。


「……もしかして、これ見てるの、世界で俺だけ?」


 口に出してみたら、急に心臓がうるさくなってきた。


 いや、分からない。このゲームのボスが、現実の富士深淵にいるボスと同じ姿をしているかどうかなんて、確かめようがない。ただのゲームの演出かもしれないし、全然違う可能性だって十分ある。


 それでも、もし本当に同じだったら。


 日本中の探索者が誰も辿り着けていない場所の、誰も見たことのないボスを、俺は今、自分の部屋のパソコンで眺めていることになる。


 そう考えるだけで、なんだかとんでもなく特別なものを見ている気がしてきた。徹夜明けの頭が勝手に盛り上がっているだけかもしれないけど、この興奮は嘘じゃない。


 ドラゴンは、まだ眠っているように動かない。


 ここまで来て、見ているだけで帰るなんてできるわけがなかった。


「よし。せっかくだし、一回戦ってみるか」


 勝てるとは思っていない。でも、どんな攻撃をしてくるのか、どれくらい動くのか、それくらいは見ておきたい。


 俺はマウスとキーボードに手を置き直し、キャラクターをドラゴンのほうへ一歩踏み出させた。


 その瞬間、ドラゴンの目が開いた。


 首が持ち上がる。


 何かが来る、と思った。


 思っただけだった。


 ドラゴンの顎が開いたと認識したときには、画面はもう炎で埋め尽くされていた。炎が吐き出されて、こっちへ向かってくる。そのはずの途中が、まるごと見えなかった。口が開いた次の瞬間には、もう目の前にあった。避けるとか、防ぐとか、そういうことを考える時間すらなかった。指が動くより先に、画面のすべてが赤とオレンジに塗りつぶされる。


 そして、暗転。


 黒い画面の中央に、白い文字が浮かび上がった。


━━━━━━━━━━━━━━━━

GAME OVER

━━━━━━━━━━━━━━━━


「…………は?」


 ほんの数秒後には、画面は元の世界地図に戻っていた。さっきと同じように、富士深淵ダンジョンのアイコンが静かに表示されている。


 俺はマウスを握ったまま、しばらく固まっていた。


 今、何が起きた?


 一歩、前に出ただけだ。ドラゴンが起きて、首を上げて、口を開けて。そこまでは見えた。そこから先が分からない。気がついたら炎が画面いっぱいに広がっていて、気がついたら死んでいた。


「何だったんだ、今の……」


 戦闘、と呼べるようなものですらなかった。


 剣を一度も振っていない。キャラクターを一歩動かした、それだけだ。始まったと思った瞬間に終わっていた。


 あまりにも呆気なさすぎて、怒りよりも先に困惑が来る。


 でも、困惑が少し落ち着いてくると、じわじわと別の感情が湧き上がってきた。


 何もできなかった。


 負けたのはいい。Lv.1で最高難度のボスに挑んだんだから、負けて当然だ。でも、何もできないまま終わったというのは、ゲーマーとしてはちょっと悔しい。せめて、どんな攻撃だったのかくらいはちゃんと見ておきたかった。


「……もう一回」


 二回目は、最初から構えて挑んだ。


 ボスの空間に入った瞬間、俺はキャラクターを横へ走らせた。ドラゴンの正面に立っていたから直撃したんだろう。なら、最初から正面を外して動けばいい。


 ドラゴンの首が持ち上がる。今度は、そこまではしっかり見えていた。キャラクターはまだ走っている。間に合え、と思った次の瞬間には、また画面が炎に呑まれていた。


 暗転。GAME OVERの文字。世界地図。


「いや、速すぎだろ……」


 三回目は、逆に最初から距離を取ろうとした。入った瞬間に、ドラゴンとは反対の方向へ全力で下がる。


 結果は同じだった。下がり始めたところで、背中から炎に呑まれた。


 四回目。


 横へ逃げても、後ろへ逃げても駄目だった。走って炎から逃げ切るのが無理なら、炎を直接受けなければいい。


 ボスの空間に入ってすぐのところに、尖った岩が一本突き出している。根元が太く、キャラクターの背丈の何倍もある岩だ。あの陰に入れば、炎は岩が受け止めてくれるかもしれない。距離は、ほんの数歩しかない。


 画面が切り替わった瞬間、俺はキャラクターを岩へ向かって走らせた。


 ドラゴンの目が開く。首が持ち上がる。そのときにはもう、キャラクターは岩の根元へ滑り込んでいた。岩を背にして止まると、ドラゴンの姿は岩の向こうに隠れて見えなくなる。


「入った……!」


 初めて、思いどおりに動けた。今度こそ――


 そう思ったところで、岩の向こう側が真っ赤に染まった。


 炎が来たのだと、それで分かった。今度も、飛んでくるところは見えていない。岩の両脇から、赤い光があふれ出すように広がっていく。


 そして、目の前の岩が溶けた。


 黒い岩肌が一瞬で赤く光り、表面がどろりと流れ落ちる。太い根元が細くなり、鋭く尖っていた先端が、形を失って傾いた。そう見えたときには、もう岩は岩の形をしていなかった。


 盾にしたはずのものが、炎の前では何の意味もなかった。


 崩れた岩の向こうから、炎がなだれ込んでくる。岩陰にいたキャラクターごと、画面がまた赤とオレンジに塗りつぶされた。


 暗転。GAME OVER。


 世界地図に戻った画面を前に、俺はしばらく黙り込んだ。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

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