王の寵妾
「私の知り合いから教えてもらったのですが……是非とも推薦したい人物がございます」
「ほう……推薦したい人物、とな?」
白い顎鬚をさすり、シャルル王は興味深そうに尋ねた。
「はい。二十年以上前にハイリグス帝国に留学していた際に知り合った友人からの紹介で、〝ジャック=ネスレ〟という者がおりまして。聞いたところによると、その者もローランド卿と同じく、金融に精通しているとか」
「ならば、後任としてうってつけというわけか」
「そのとおりです。ただ……」
「む、何かあるのか?」
「その者は、新教派を唱えている平民だそうで……」
オルレイア王国では、〝ロムレス市国〟にある『法王庁』が主導する正教派が主流となっている。
特にシャルル王は、ブリント連合王国の宗教革命家が興した新教派を忌避しており、そのことを聞いた彼が、露骨に顔をしかめてしまうのもやむなしだった。
「ですが、能力は折り紙付きとのことです。……いかがいたしますか?」
「……よきに計らえ。じゃが、いくら病に臥せているからとはいえ、財務総監が二人いることになってしまう。かといって、あれだけの功績を上げたローランドを、罷免するわけにもいくまい」
既にローランドが国外逃亡していることを知らないシャルル王。
無用な心配をする姿が滑稽に見えるが、自分達の都合のためにわざと報告していないのだから、これも仕方ないというもの。
教えるつもりがないのは、このアンリも同じ。
「ではこうしたらどうでしょう。ローランド卿には引き続き財務総監の職に就いたままにして、ネスレという男には『財務長官』という別の肩書を与えては」
「なるほど、それはよい」
アンリの提案に満足し、シャルル王は破顔して膝を叩く。
「よし、アンリよ。すぐにそのネスレなる者を招聘するのじゃ」
「かしこまりました」
アンリは恭しくお辞儀をして席を立つと、そのまま退室しようとして。
「待て」
突然、シャルル王に呼び止められ、扉に手をかけたまま止まる。
その声色と、背中に向けられる視線に、ひりつくような感覚を覚えて。
「……何でございましょうか」
「まさかお主が、これほどまで有能だとは思ってもみなかったぞ」
アンリは悟る。
シャルル王が、自分を警戒していることに。
「ご冗談を。私がしたことなど、友人から教えてもらった人材を陛下にご紹介したことと、宰相の必要性について以前から疑問に思っていたことを申し上げたまでのこと。私自身は、何も成しておりません」
振り返り、どこか軽い口調で答える。
まるで道化師のように。さりとて王の気分を害さない程度に。
「それに、私が無能であることは、陛下が最もご理解されているかと。物覚えは悪く、空気も読めず、留学先のハイリグス帝国において、王族にあるまじき留年を経験しているのですから」
オルレイアの王族がハイリグス帝国に留学することは百年来の慣例となっているが、アンリは成績が芳しくなく、落第してしまった。
その結果、通常は三年で帰国するところ、四年も帝国に滞在していたのだ。
「……そうであったな。そのことを、すっかり忘れておったわ」
「誠にお恥ずかしい話ですが、あまり期待されますと、重圧でどうにかなってしまいます」
アンリがおどけてそう言うと、ようやくシャルル王から向けられていた緊張が緩む。
「それでは、失礼いたします」
「うむ」
再び深々とお辞儀をし、アンリは今度こそ部屋を出た。
◇◆◇◆◇
「ふう……」
シャルル王との会談を終え、アンリは廊下の壁に寄りかかり、深く息を吐く。
先程の会話で、取りつけたことは二つ。
ミシュラン宰相の後任を置かないこと、そして、国家の財政を担う新たな人材を招聘すること。
今回の会談を受け、シャルル王と大臣達との間にはますます溝が生まれることだろう。
おそらくシャルル王は、強権を振りかざしイスタニアへの遠征を強引に推し進めようとするはず。
一方、王国の財政事情を理解している大臣達は、それを全力で阻止しようとするに違いない。それも、真実を隠したままで。
永遠に双方の意見がかみ合うことはなく、軋轢ばかり生じることになるのだ。
そう考えたアンリは、口の端を僅かに持ち上げる。
すると。
「アンリ殿下……」
現れたのは、侍女を連れたシャルル王の愛人、エミリー。
どこか儚げな表情と薄く濡れた紅い唇に、ほとんどの男はそれだけで虜になってしまう。そんな魔性を秘めた女だった。
「これはエミリー殿、このようなところでお会いするなんて、奇遇ですね」
胸に手を当て、にこやかに返事をするアンリ。
といっても、長い前髪によってその表情は窺い知れないのだが。
「ですが、エミリー殿からお声をかけていただけるとは思いませんでした。……というより、この七年間で初めてのことでは?」
つまりエミリーがシャルル王の愛人となって、七年の月日が経つということになる。
この間、アンリの言葉どおり公式の場で言葉を交わすことは数回あったものの、エミリーから話しかけたことは、一度もない。
「そこは私の事情を汲み取っていただけると嬉しいですわ。……軽々しく、他の殿方と口を利くことは憚られますもの」
「確かにそうですね、失礼しました」
エミリーの言葉に、アンリは謝罪する。
もし彼女が他の男と会話でもしようものなら、きっとシャルルは嫉妬して許さないだろう。
溺愛されている彼女はお咎めがないかもしれないが、相手の男に待っているのは、破滅に違いない。
「……にもかかわらず、こうしてお声をかけていただいたのには、何か理由があるのでしょう?」
そう言うと、アンリは侍女を見やる。
つまり、エミリーに人払いをしろと告げたのだ。
「あなた、先に部屋に行って、陛下をお迎えする準備をしてちょうだい」
「……かしこまりました」
侍女は何か言いたげだったが、エミリーから指示された以上、従わないわけにはいかない。
恭しく一礼し、侍女はこの場を去った。
「それで、どのようなお話でしょうか?」
「ここではちょっと……東側のサロンに行きませんか?」
「ご用件だけでしたら、ここでも差し支えないと思われますが」
人払いしたとはいえ、さすがに密室で王の愛人と二人きりになるなどという愚を、アンリは犯すつもりはない。
少なくとも人が往来する通路でなら、仮に見られたところでいかようにも言い訳ができる。
「うふふ……意外にも、身持ちが固いのですね」
「お恥ずかしながら、伊達に独身を貫いてはおりませんので」
「そうでしたわね」
アンリの軽妙な口調に、エミリーも思わず笑みが零れた。
だが、すぐに姿勢を正すと。
「よろしければ、私と契約いたしませんか?」
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