貿易商ローランド
「今日の昼、例のローランド氏がやって来るから、よろしく頼む」
ミシュラン宰相との会合から、ちょうど一週間。
朝食の席で、お茶を注ぐクロエにアンリは告げる。
「……そういうことは、せめて前日に言っていただかないと困るのですが」
表情に変化はなく、淡々とクロエが答えた。
だが、その瞳は明らかに抗議の色を浮かべていた。
「いや、私もまさかこんなに早く到着するなんて、思わなかったんだ……」
ジョナサン=ローランドの本拠であるブリント連合王国の首都〝ロンディニア〟から、ここルーテシアまでは海路と陸路を経由して、およそ二週間の距離。
先日の会合から今日までの期間を踏まえると、到底あり得ない早さだ。
「ふう……仕方ありませんね」
「本当に、すまない」
「心にもないことを言わないでください。……それより、新しく殿下付きとして侍女が配属になるというのは本当ですか?」
僅かに声に怒りをにじませ、クロエは尋ねる。
滅多に感情を見せないだけに、彼女の態度をアンリは意外に思った。
「ああ。王太子なのに侍女が一人しかいないのは体裁がよくないと、ミシュラン宰相から提案されて、な」
これまで彼に対して興味がいないどころか嫌悪感さえ示していたのに、ここにきてそのような提案をしたミシュラン宰相。
おそらくこれは、先日の会合によってアンリへの評価を改めたことによるものだろうことは、想像に難くない。
ただし――王太子にかける期待の表れなのか、それとも、優秀な一面を見せた彼への警戒なのか。
いずれにせよ、今後はより注意深く行動する必要がある。
「その侍女、長続きするといいですね。どうせ嫌気がさして、すぐに辞めるとは思いますが」
「そうかもしれないな」
やはり彼女は、新しい侍女が気に入らない様子。
それは、十年もの間アンリの侍女をただ一人続けてきたことへの矜持か、あるいは、それとはまた別の感情によるものか。
いずれにせよ。
「ま、君がその侍女と仲良くする必要はないが、私の邪魔をされることだけは避けたい」
「……かしこまりました」
クロエは低い声で答えると、深々とお辞儀をした。
◇◆◇◆◇
「ローランド殿、さあこちらへ」
わざわざ王都の入り口で出迎えたアンリとともに、ローランドはカルディナル宮殿に到着する。
門から玄関までの道の両側には、オルレイア王国が誇る騎士団が整列し、正面には大臣達が待ち構えていた。
その中には、どこかそわそわした様子のミシュラン宰相のほか、これから罷免されることになるだろうデュバル財務総監の姿も。
「これは……このように盛大にお出迎えいただき、感謝に堪えません」
「何を言われますか。君ほどの人物を迎えるのだから、これくらいは当然だ」
それはまるで、国賓を迎えるかのような歓待ぶりだった。
感極まるローランドに、アンリは当然とばかりに答える。
「それより、まさかこんなに早く来てくれるとは思ってもみなかった」
「は、はい。たまたま〝カレル〟の港で取引をしておりまして、そのためルーテシアには予定よりも早く到着できたのです」
「そうだったのか」
アンリは、感心した様子で頷く。
「それで、その……今回、わたくしのような者をお呼びいただいたのは、どのような理由で……」
「心配しなくてもいい。ただ君は、オルレイア王国の未来について、思うところを大いに語ってほしいだけだ」
「そうですか……」
安心させようとアンリは努めて明るく告げるが、それが逆にローランドを警戒させる。
実はアンリは、まだ彼に本題を伝えてはいなかったのだ。
「では早速、シャルル国王陛下に謁見していただこう。陛下も、今か今かとお待ちかねなので」
「っ!? は、はい……」
シャルル王の名前が出た途端、ローランドは緊張のあまりぎこちなくなる。
それを見て、ミシュラン宰相を除く他の大臣達は怪訝な表情を浮かべた。
(本当に、この男は大丈夫なのか?)
彼らがそのように思っていることは、その顔を見ればすぐに分かった。
そして。
「して……そちがローランドであるか」
謁見の間で玉座に座るシャルル王が尋ねる。
小さな老人の姿はどこか頼りなく見えるが、ローランドに向ける眼光はいささか衰えていない。
シャルル王健在。そう思わせるには充分だった。
「お……お目通りに預かり、恐縮至極に存じますっ! ロンディニアで小さな商いをしております、ジョナサン=ローランドと……」
「堅苦しい挨拶はよい。それで、宰相のジュールが申すには、お主は商才に長けているとか」
緊張した面持ちで名乗るローランドを制止し、シャルル王は早速本題に入る。
「め、滅相もない! わたくしなど、精々が小銭を稼ぐ程度……」
「首都ロンディニアに留まらず、ローランドはブリント連合王国おあらゆる港に国外との取引の窓口を持ち、さらには相場を読むことにも長けているとか」
「ほう」
またもや言葉を遮られたローランド。
ただし、今度はアンリによって。
息子の説明にシャルル王は興味を持ったようで、肘置きに手を掛け、身を乗り出す。
「既に彼の資産は、ブリント連合王国の国家予算を大きく上回っております。彼ならば、我が国の窮地を救ってくださるでしょう」
「え……?」
立て続けにそのようなことを言われ、ローランドは寝耳に水といった様子で目を丸くした。
「ならば、我がオルレイア王国の財政を安定させることも容易いということか」
「おっしゃるとおりです」
「え? え?」
訳が分からないまま話だけが勝手に進み、ローランドは困惑するばかり。
一方、王の問いに頷いてみせたミシュラン宰相はしたり顔。
つまりこのやり取りは全て、最初から仕組まれた茶番に過ぎなかったということ。
何も知らないローランドを、置き去りにして。
「相分かった。ならばこの者を財務総監に任命し、王国の財務を委ねるとしよう」
「はっ! ……ですが、そのような重責を平民に任せるというのは、いささか問題があるかと」
「ならばこの者に、伯爵位を授けるとしよう。これで文句はあるまい」
「わ、わたくしを……伯爵、に……!?」
貴族位とは、本来は世襲制。つまり、平民の出で貴族になることなど普通はあり得ない。
もちろん、類稀なる功績を上げればそれもあり得ることは否定しないが、ローランドは王国にとって何ももたらしておらず、そもそもオルレイア王国の者ですらない。
だから、ローランドが貴族位を授かるということは、まさに奇跡だった。
「どうした。伯爵では不満か?」
「っ!? いい、いいえ! 滅相もございません! このジョナサン=ローランド、シャルル国王陛下のため、オルレイア王国のため、見事ご期待に沿えてみせますッッッ!」
「うむ」
小首を傾げるシャルル王に、ローランドは床に額を擦りつけ、拝命する。
気づかれないと安心しているのか、その顔にこれ以上ないほどの笑みを浮かべて。
商人として富も名声も手に入れたローランドが、持っていないもの。それは、高貴な身分。
ブリント連合王国もまた、オルレイア王国と同様に貴族位は世襲制。それに準ずるものは、騎士爵しかない。
金で買えればそれに越したことはないのだが、残念ながらどうすることもできなかった。
なので彼は、貴族の身分を手に入れることを諦めていたのだ。
ところが。
オルレイア王国に招かれたと思えば、いきなり『太陽王』シャルル=デュードネ=ド=オルレイアとの謁見に始まり、財務総監の任命。そして、伯爵位の授与。
ローランドはこの時――平民として、誰も到達し得ない頂へと登り詰めた。
「ふ……くく……っ」
今も平伏したままの彼は、嗤いを堪えることができない。
何せこれから、西方諸国でも一、二を争う列強国において、平民ジョナサン=ローランドは高貴な身分を手に入れ、その辣腕を振るうことになるのだから。
「では、期待しているぞ」
「ははっ!」
シャルル王は立ち上がり、侍従を引き連れて謁見の間を後にする。
残されたのは、ミシュラン宰相以下大臣達と衛兵達、突然罷免され困惑するデュバル前財務総監。
そして、喜びに震えるローランドのみ。
……いや、一人忘れていた。
正しくは、忘れ去られていた、だろうか。
「…………………………」
喜びに震えるローランドを冷ややかに見つめる、日陰者の王太子のことを。
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