二人に幸あれ
次回で最終回です。
20時過ぎに更新します。
シャルル王の死。
その報は、瞬く間に王国内を駆け巡る。
だが驚いたことに、彼の死を知って嘆き悲しむ者は、ほとんどいなかった。
その日を生きることに精一杯の国民にとって、王の死になど興味はない。
何より、度重なる遠征によって重税を課し、苦しい生活を強いたのは、まさしくシャルル王なのだ。彼等からすれば、むしろ怒りしか湧いてこないのが実情。
結果、大きな混乱もないまま、アンリの即位が行われた。
もちろん、誰もこの日陰者の王太子……いや、王に期待する者などいない。
そして。
「皇帝陛下におかれては、はるばるご足労いただき、恐悦至極に存じます」
オルレイア王国の玉座に座る皇帝フリードリヒに対し、臣下の礼を取るアンリ。
この国の位置づけとしては属国以下なのだから、これが正しい作法となるのだろう。
そこに、誇りも外聞もない。
「うむ、面を上げよ」
「ははっ」
フリードリヒの言葉を受け、傅くアンリはゆっくりと顔を上げた。
「それにしても……西方諸国中に轟くカルディナル宮殿の謁見の間だというのに、寂しいものだな」
「面目次第もございません」
あれほどいた大臣や警護の騎士達は、ほとんどいない。
彼等の大半は、国外へと逃げていた。
王国側でこの場にいるのは、アンリのほかネスレ財務長官と僅か数名の大臣、そして申し訳程度の人数の騎士のみである。
「よい。……それで、今後についてだが」
「既に覚悟はできております」
フリードリヒを見つめ、アンリが告げる。
長い前髪から覗くその瞳に、迷いは一切感じられない。
「ほう? 覚悟とな」
「はい。この命をもって、皇帝陛下に償いたいと存じます。ですので、どうか罪のない国民には寛大な処置を」
意味深に尋ねるフリードリヒ。
アンリはきっぱりと頷き、そう告げた。
その瞬間。
「ふざけたことを申すなッッッ!」
「っ!?」
謁見の間に、皇帝の怒号が響き渡る。
王国の処遇については、国王のアンリが全責任を負い、その命をもって償う。
元々、そのような手筈だったはず。
予想だにしない展開に困惑するアンリは、フリードリヒを見やる。
その隣には、同じく怒りに満ちた表情の書記長テオドルと、視界の端には笑いを堪えるネスレの姿も。
「貴様の安い命など、なんの償いにもなるか! 生きて償ってこそ、意味があるのだ!」
「それ、は……」
フリードリヒ皇帝に見透かされ、アンリは押し黙る。
そう……彼は死んで償いたかったのではない。
ただ、死んで楽になりたかっただけ。
だというのに、フリードリヒの叱責を受け、安堵する自分もいた。
それは、まだこの世に未練があるということ。
唯一人傍にいてくれた女性と共にありたいという、たった一つの望みが、いつしか彼の胸の中に息づいていたのだ。
「ふう……よいか、死ぬことはまかりならん。最期の時まで生き恥を晒し続け、全てを償え。余にも、オルレイアの民にもだ」
「……かしこまり、ました」
アンリは平伏し、床に額を擦りつける。
複雑な思いを、胸に抱えたまま。
「それにしても、どちらの陛下も素直じゃないですね」
「ネスレ?」
肩を竦めるネスレに、テオドルが胡乱な目を向ける。
だが彼は、お構いなしに話を続けた。
「皇帝陛下は、最初から唯一無二の親友に死んでほしくないのだと、そう申し上げればよろしいのに。国王陛下も国王陛下で、未練がおありなのですから素直に喜べば、それで済む話では」
「ネスレ!」
とうとう溜まりかね、テオドルは叫んだ。
彼もまた、特待生として平民の身でありながらアンリやフリードリヒ、テオドルと共に帝立学院で勉学に励んだ者。
二人の気持ちを知っているからこその気安さとこの言葉なのではあるが、空気を読まないこの男は、昔からテオドルによく叱られていた。
「……よかろう。ならばジャックよ、貴様には引き続き、オルレイア王国の財務管理を任せる。王国の負債が完済されるまで、帝国の土は踏めないものと思え」
「っ!? それはご無体な!?」
テオドルはおろか、フリードリヒの逆鱗に触れてしまい、無理難題を押しつけられたネスレ。
彼が帝国に戻る日は、果たしていつになるのか。
「皇帝陛下のおっしゃるとおりですな。王国としても、彼には昼夜を問わず働いてもらうことにいたしましょう。……ネスレ長官も、早く帰国したくば分かるよな?」
「アンリ陛下まで!?」
結局この謁見において、最も割を食ったのはネスレ。
頭を抱える彼を見て、かつての親友達は身分も立場も忘れ、苦笑した
そして。
「お疲れさまでした、陛下」
謁見の間が開け放たれ、待ち構えていたのはクロエ。
アンリの姿を見るなり、彼女は深々とお辞儀をした。
「……結局これからも、生き恥を晒すことになったよ」
そう言って彼は、頭を掻く。
その拍子に前髪がかき上げられ、その表情が露わになると。
――アンリは、確かに微笑んでいた。
それは、彼が二人の兄を失ってから初めて見せる、心からの笑顔。
「ようやく……ようやく、笑ってくださいました、ね……っ」
クロエもまた、微笑みで応える。
侍女として彼に仕えて、十年。
アンリの心に触れ、彼が笑顔を取り戻すまで決して笑わないと誓ってからの、初めての笑顔。
たとえ灰色の瞳が、涙で溢れていても。
たとえその美しい顔が、くしゃくしゃになっていたとしても。
それでもクロエは、再びその笑顔を見せることができたのだ。
この――ずっと愛してやまない御方に。
「その……これから色々大変になると思うが、それでも俺に、ついて来てくれるか?」
「仕方、ありませんね……わたししか、陛下のお世話をする者は、おりませんから……っ」
涙を拭い、クロエは憎まれ口を叩くと。
「クロエ」
「はい……」
アンリから差し出された手を取り、クロエは二人並んで歩く。
これから先、二人にはたくさんの苦難が待ち受けているだろう。
それでも――。
「ですが……やはりご自身のことを『俺』とおっしゃるのは、違和感を覚えますね」
「前みたいに、『私』と言ったほうがよかったか?」
「……いいえ。慣れるまでの時間は、これからたくさんありますから」
――アンリとクロエの二人に、幸あらんことを。
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