蕩尽王の末路
「あ……う……っ」
シャルル王がかすれた呻き声を上げ、ゆっくりと目を開けた。
「陛下、お目覚めですか?」
顔を覗き込み、アンリは穏やかな声で尋ねる。
「う……あ、ああ……」
「陛下?」
「あー……うう、うー……」
何かを必死に訴えようとしているが、シャルル王は上手く喋ることができない。
どうやら、倒れた際に言語能力が失われてしまったようだ。
卒倒した後、このような症状が見られることは稀にある。
「無理してお話しいただかなくても大丈夫です。陛下、私の言葉が理解できるのであれば、瞬きを一つしてください」
アンリがそう告げると、シャルル王は瞬きを一つした。
どうやら言葉は理解できるようだ。
「どうか心穏やかにお聞きください。……オルレイア王国は、正式に財政破綻いたしました。これを受け、ハイリグス帝国が、この国へ査察に入るとのことです」
「っ!?」
目を見開くシャルル王。
身体を起こそうとするも、思うように動くことができず、その姿はまるで蠢く芋虫のようだった。
「あまり動かれると、お身体に障ります。……とにかく、そのようなこととなりましたので、大臣以下多くの貴族がこの国から逃げ出そうとしておりますが、おそらく無理でしょう。彼等もまた、例の新大陸の開発事業によって財産を失っていますから」
表情は前髪に隠れよく分からないが、その声はとても柔らかい。
まるで、小さな子供を優しく諭すかのように。
「エミリー殿ですか? 彼女なら、既に王国を去りました。陛下がお眠りになられている間に、最後のご挨拶もなされましたよ」
「あ……あー……っ」
シャルル王が、口惜しそうに顔を歪める。
その表情はとても醜く、恨みがましい。
「ですが、このような結果を招いてしまったのは、ひとえに陛下です。彼女を恨むのはお門違いかと」
急にアンリの雰囲気が変わり、シャルル王は怒りと戸惑いの入り混じった、複雑な表情を浮かべた。
その琥珀色の瞳は、『この男は一体誰なのか』と、問いかけているように見える。
「ご心配なく。私はあなたがよくご存知の、無能な日陰者の息子、アンリ=オーギュスト=ド=オルレイアです。有能な二人の兄をあなたが殺したせいで、たった一人遺された無能な日陰者の、ね」
アンリは口の端を三日月のように吊り上げると、雄弁に語り出す。
この世に生を受けて三十九年の間に溜め続けた、様々な負の感情とともに。
※※※※※
『太陽王』と呼ばれ国の内外から讃えられたシャルル=デュードネ=ド=オルレイアは、周りから承認されることを誰よりも欲し、自分以上の存在を許さない、王国……いや、世界で最も矮小な男。
それが、あなたの本当の姿。そうですよね?
否定はさせませんよ。
だってあなた、そのために私を除いた王族を、残らず殺害したわけですし。
そのことをまだ幼かった私は、第一王子の〝ルイ〟兄上からお聞きしましたから。
最初の殺害は、あなたの二人の兄と、三人の弟でしたっけ。
時には讒言で先王の不興を買うように仕向け、またある時はありもしない謀反の罪を着せたと伺っていますよ。
その結果、ほとんどのご兄弟が処刑。運よく幽閉に留まった方も、こっそり毒殺したそうですね。
そこまでして、王の座を誰にも取られたくなかったんですか。
ええ、分かっています。
本当は、自分の才能に自信がないから、不安だったのですよね。
だからいずれ自分の地位を脅かしかねない目障りな者は、どんな手を使ってでも排除する。
きっとあなたのことですから、先王の死にも関わっているんじゃないですか?
おや、そんなに私を睨むということは、やはり図星だったわけだ。
そうやって肉親を蹴散らし分不相応にも王位を手に入れたあなたは、今度は自分の地位を確固たるものにするため、ひたすら国民に媚びを売りましたね。
……ああ。その前に、悪事は全部先王に押しつけたんでしたっけ。
例えば、平民達による国民議会の廃止、とか。
わざわざそのために、先王の死を一年間も隠し、その間に自分にとって都合の悪い政策は全て廃止する。
そうすれば、悪いのは全て先王。自分は悪くないという寸法です。
そうして次にあなたがしたことは、政に反対する貴族達の排除だったでしょうか。
今は亡き、ミシュラン宰相に指示して。
おや? どうしてそんなことまで知っているのか、そう言いたげですね。
ですからそれは、最初に申し上げたじゃないですか。
あなたの悪事の全てを、ルイ兄上からお聞きした、と。
まあ、兄上は色々知りすぎてしまったせいで、あなたに殺されてしまいましたが。
そう……全てはルイ兄上が、有能過ぎたが故。
ルイ兄上が王となれば、きっとあなたが積み上げてきた功績など、かすんでしまう。そう思ったのですよね?
九歳の私に、ルイ兄上が寂しそうに微笑んで最後の挨拶をしてくれた時のことを、今でも覚えています。
ルイ兄上に謀反の罪を着せ、処刑したのも束の間。
今度は第二王子の〝フィリップ〟兄上に、あなたは矛先を向けたんです。
フィリップ兄上は、常々言っていました。『次は、自分の番だ』と。
だからいつも、私に言い聞かせてくださったんです。
爪を見せるな。目立つ真似をするな。日陰のような存在であれ。
私はその言いつけを、守り続けましたよ。
三十九歳となった、この時まで。
おかげで、こうして私は生き延びることができましたが、助言してくれたフィリップ兄上は、あなたの命を受けたミシュラン宰相によって、毒殺されてしまいました。
私の目の前で血を吐き倒れた光景が、今も目に焼き付いています。
そんな二人の兄上は、死ぬ間際に同じことを私に言い遺したんですよ。
『この国を、頼む』
矛盾していますよね。
目立たず、日陰者として生きるよう助言しておきながら、こんな無理難題を頼むなんて。
とはいえ、想いを託された王子は、私一人。
なら、遺言を果たさないわけにはいかないではないですか。
ですが、ご存知のとおり私は兄上達のように優れていない。
せめて彼等の半分でも才能があれば、もっと上手くやれたはずなんです。
ああ、もちろん暗殺なんてことも、当然考えたりしましたよ。
ですが、それでは意味がないんです。
だってそうでしょう?
ただあなたを殺しただけだと、シャルル王という存在はただの矮小な暴君のくせに、『太陽王』と誤った評価をされたまま、後世に伝えられてしまう。
それだけは、どうしても認められない。
結果、この出来損ないの頭で思いついたのは、あなたの寿命が尽きるまで長く生きること、そして、あなたよりも力のある者にこの国を委ねること。
そうすれば、少なくともあなたが王である間よりは、この国も良くなるはずですし。
これなら、兄上達の願いを叶えることができる、と。
※※※※※
「……ですので私は、人脈を作りました。留学先の、ハイリグス帝国で」
アンリが留年して一年長くハイリグス帝国に滞在していたのは、この国を任せることができる者と関係を構築するため。
だが三歳年下の現ハイリグス皇帝〝フリードリヒ=フォン=ハイリグス〟の入学を待つためには、予定よりも一年長く滞在するほかなかったのだ。
もちろん、国賓として公式の場でフリードリヒ皇帝と接触することは可能だったが、それでは胸に秘めた策を実行することができない。
故に、恥を忍んでの留年。
「そのおかげで、フリードリヒ皇帝陛下とも友誼を結ぶことができ、留年という失態を犯したことで、王国では無能の烙印を押された。無能の日陰者として、あなたの不興を買うことなく、しかも帝国との関係を疑われることもない、というわけです」
「う……う、う……っ」
話を聞き終え、シャルル王は声にならない声で呻く。
保身のために血で手を染めてきたことが、こうして裏目に出るとは思いもよらなかったのだろう。
しかも、最も無害だと思っていた、日陰者の王太子の手によって。
「もちろん、妻を娶り子を成すといった愚を犯すこともいたしません。もし我が子が才気に溢れでもしたら、殺されてしまいますからね」
「…………………………」
やはり図星だったようで、シャルル王は忌々しげに睨む。
もちろんアンリはそんなもの、どこ吹く風だが。
「その後のことについては、今さら説明するまでもないでしょう。要はハイリグス帝国がこの国を簒奪するための、大義名分を用意したまでのこと。わざわざこんな国を手に入れるために、無用な血を流す必要もないですので」
もはやシャルル王は、失意で身動き一つすることも、声を発することもできない。
そしてこの国は、滅ぶ以外の道が残されていないことを悟った。
「……ただ、私の才能がないが故に、あなたが自ら首を絞めるのを待つことしかできないというのが、歯がゆくて仕方がなかったですよ」
アンリは苦しそうにそう言うが、王国内で彼の味方はクロエのみ。
仮に他の誰かを引き入れようとしても、そのような真似をすればすぐに手を打たれてしまっただろう。
シャルル王と、その側近のミシュラン宰相に。
彼に打てる手立ては、ただその時を待つことしかなかったのだ。
かといって、先も言ったとおり、暗殺などという短絡的な方法で打倒しても、それでは意味がない。
この男は全てを失った上で、終わらなければならないのだから。
そうでなければ、殺された二人の兄も浮かばれない。
これまでの人生の全てを犠牲にしてきた、彼自身も。
「ああそうだ、大事なことを忘れていました」
たった今思い出したとばかりに、アンリがわざとらしく手を叩く。
「当然ながら、大国オルレイア王国を愚かにも滅亡させた我々は、その後の歴史において永遠に糾弾され続けることになるでしょうね」
「っ!?」
その言葉で、シャルル王は再び目を見開いた。
彼は王として世界中から賞賛を得たくて、手段を選ばずここまで来たのだ。
イスタニア王国への、度重なる遠征も含めて。
かの地を併合できれば、その偉業が後世まで讃えられると信じて。
「差し詰め、陛下は『太陽王』改め『贅沢王』でしょうか。いや、『蕩尽王』のほうが相応しいかもしれません」
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ッッッ!」
必死にもがき、シャルル王は獣のような醜い声で訴える。
そんな汚名を着せられるなど、許せない。許せるはずもない。
我こそは、誰もが認める『太陽王』なのだと。
「我儘を言わないでください。所詮あなたは、この国を駄目にした無能なのですから」
「ん゛ん゛ん゛゛ーーーーーーッッッ!」
どれだけ絶叫しても、評価は変わらない。
オルレイア王国史上、最も隆盛を極めたと思われていたシャルル王は、その実、滅亡へと導いた愚王なのだ。
「ご安心ください。後始末は、同じく無能のこの俺がいたします。……だから貴様は、絶望に打ちひしがれて惨めに死ね」
「が……か、ひゅ……っ」
極度の興奮により、シャルル王は苦悶の表情を浮かべ、顔色が赤から青紫へと変化してゆく。
そして――。
――オルレイア朝第九代国王シャルルは、日陰者の王太子の冷め切った視線に見守られ、息を引き取った。
奇しくも、七十六歳の誕生日に。
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