愛妾の離別
「殿下がお休みになってくださらなければ、わたしが休めません」
シャルル王が倒れてから、三日が過ぎた。
未だ昏睡状態に陥っている彼は、医者の見立てによれば、もう長くはないとのこと。
アンリは今、一睡もせずにシャルル王の寝室にて、彼の目覚めを待ち詫びていた。
「私のことは気にしなくてもいい。君だって、全然寝ていないではないか」
「気にかけてくださるなら、まずは殿下がお手本を示してください」
疲労が限界に近いにもかかわらず、二人の会話はいつもと変わらない。
死の淵に立つ、シャルル王を前にしても。
「……仕方ない。ここは私が、折れるとしようか」
「つまり、ようやくお休みになられるのですね」
「いや? 君にも付き合ってもらうことにしただけだ」
僅かにクロエは声色を明るくさせたが、それを裏切るようにアンリが軽い口調で告げた。
その癖のある長い前髪の下は、きっと悪戯に成功した少年のような笑みを浮かべているに違いない。
そう思ったクロエだが、すぐに思い直す。
宿願を果たすまで、アンリ=オーギュスト=ド=オルレイアが真に笑うことなど、あり得ない。
そんなこと、彼女は分かり切っていたのだから。
すると。
「シャルル陛下のご容態は、いかがですか……?」
悲痛な表情で寝室を訪れたのは、愛妾のエミリー。
彼が崩御すれば、この宮殿で居場所を失う女性。
「……一向に目を覚ます気配はありません」
「そう、ですか……」
エミリーの侍従がベッドの傍に椅子を用意し、彼女は腰かけ、シャルル王の寝顔を見つめる。
心の中で今、彼女は何を思っているのだろうか。
「エミリー殿はこれから、どうなさるおつもりですか?」
アンリが、おもむろに尋ねた。
既に一度、愛人契約を結ぶという、エミリーの提案を断っている。
この問いかけには、以前と答えがいささかも変わらないことを、暗に秘めていた。
「……酷い御方ね。でも、いつかはこの時が来ることは、最初から分かっていましたもの。それなりに、準備はしておりましたわ」
「そうですか……」
やはり彼女は、最後まで強かだったようだ。
そうでなければ、生き残ったままシャルル王の愛妾など、務まるはずもない。
「であれば、早々に宮殿を出たほうがよろしいかと。……これから騒がしくなると思いますので」
「ええ、そのつもりですわ。ここへ来たのも、陛下と最後にお別れができればと思ってですもの」
そう言うと、エミリーは髪をかき上げた。
どこか清々しささえ窺えるその表情から察するに、既に未練とは別れを告げ。次へと進んでいるように見える。
「では、ごきげんよう」
軽く会釈をしたエミリーが、王の寝室から去ろうとして。
「エミリー殿」
「何かしら?」
「保養されるのであれば、ハイリグス帝国がお薦めですよ」
「……ええ、是非参考にさせていただきますわ」
アンリに呼び止められ、エミリーは僅かに表情を緩めるが、すぐに寂しい微笑みに変わる。
ひょっとしたら、まだ彼と一緒になる可能性があるのではないか。そんな希望を見出してしまったのかもしれない。
それも、彼の今の提案で潰えてしまった。
そして――エミリーは、今度こそ出て行った。
その様子を、クロエは静かに見守る。
灰色の瞳に、憐みとほんの少しの嫉妬を湛えて。
クロエは思う。
やはりアンリは、優しい人であると。
彼女にハイリグス帝国を薦めたのは、そこに行けばそれなりの便宜が図られるということなのだろう。
彼とネスレとの関係、そしてネスレの背後関係を踏まえれば、その答えに行き着くのは難しくない。
ただしそれは、全てを見てきたクロエだからこそ分かるのだが。
「なんだったら、クロエも家族を連れて行ってきてはどうだ。私のほうから手配しておくが」
「ご冗談を。帝国に行くには、暇をいただかなければ無理です」
「そう言っているのだが……」
「その間、誰が殿下のお世話をするというのですか。ただでさえわたしがいなければ、満足に食事もしないですのに」
その声に呆れを交え、クロエが辛辣に告げる。
本当に、どこまで優しいのか。
優しくて、責任感が強くて、頑固で、我儘で、心が荒んでいて。
心の奥底に、へどろのように溜まる鬱屈とした思いと『呪い』を抱える、そんな人。
そんな彼の真の姿を知っているのは、世界で彼女――クロエ=フォンタニエ、唯一人。
だから。
「残念でしたね。侍女のわたしは、最期まで殿下のお傍におりますよ」
「……それは、困ったな」
クロエの誓いに、アンリは振り向きもせず、そう呟やく。
ほんの少し肩が震えているようだが、見なかったことにしよう。
その時。
「あ……う……っ」
シャルル王がかすれた呻き声を上げ、ゆっくりと目を開けた。
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