夢幻の如く
イスタニア王国への遠征に向けた準備は、着々と進められた。
兵士の雇用及び訓練、武器、弾薬、軍馬、兵糧の確保など、昼夜を問わず行われている。
これらにかかる費用の全ては、ハイリグス帝国に本来支払われるべき借金の返済分が充てられた。
つまり、この期に及んで大臣達は、未だ真実をシャルル王に打ち明けられずにいるのである。
「ここまで来ると、むしろ滑稽だな」
兵士達が訓練に励んでいる光景を眺め、アンリが呟く。
「果たして彼等は、無事イスタニアへの遠征が叶うのだろうか」
「もちろん無理でしょうね。王国の使者がハイリグス帝国に返済の延期を頼みに行ったようですが、当然ながら門前払いをされたそうですよ」
「だろうな」
隣に立つ財務長官のネスレと顔を見合わせ、アンリは苦笑した。
「それで、向こうの準備は?」
「滞りなく」
「それは重畳」
実はこの二人が前々から繋がっていることなど、大臣達はおろか、シャルル王も知らない。
もちろん、日陰者のアンリはともかくとして、彼等もネスレには常に目を光らせている。
だが彼自身の役割は、王国の財政を救うことでも、王国に不利益を与えることでもない。
――ただ現実を、知らしめるだけ。
「これでオルレイア王国は、全ての道を断たれましたね」
「ああ……前に進むことも、ましてや退くこともできない」
借金を反故にして捻出したお金は、全て今回の遠征費で溶けた。
もう王国に、明日を維持するお金すら残っていない。
「先のジョナサン=ローランドの失策によって、王国貴族のほとんどが没落寸前。領地の維持もままならないとか」
「よく知っているな。……それで、件の彼は息災か?」
「帝国の避暑地で、呑気に過ごしていますよ」
そう……ローランドは王国から逃亡後、ハイリグス帝国に保護されていた。
アンリに彼を紹介したのは、帝国だったのだ。
「まさか帝国には、詐欺師までもが配下にいるとは思わなかったがな」
「ご冗談を。本来の彼が凄腕の商人であることは、あなたもご存知でしょう?」
事実、ローランドは貿易商を複数所持しているだけでなく、金融や小売りなど、西方諸国内のあらゆる国で様々な商売を行っており、莫大な利益を上げている。
ミシュラン宰相や大臣達を信用させたほうの事業も、そのうちの一つに過ぎない。
「ただ、王国を陥れるためとはいえ、販路の一つを潰すことになって、相当怒っていますがね。彼に会う機会があったら、小言の一つや二つ、覚悟してくださいよ」
「……なら、その心配はいらないな。そのような機会は、永遠に訪れることはないのだから」
「…………………………」
寂しく微笑み、アンリはかぶりを振る。
その姿を見つめるネスレの瞳は、悲しみの色を湛えていた。
それは、二人を後ろから無表情で見つめていた、クロエも。
◇◆◇◆◇
「……イスタニア王国への遠征の準備は、順調に進んでおります。もう間もなくすれば、全て整うでしょう」
ネスレが財務長官に就任してから三か月。
軍務大臣が、重々しい口調で報告した。
「うむ。……ということは、朕の生誕祭までに間に合いそうじゃの」
「はっ」
シャルル王は顎鬚をさすり、満足げに頷く。
おそらくは今回の遠征について、その生誕祭の場で大々的に発表を行うつもりなのだろう。
「シャルル国王陛下」
「む。ネスレよ、いかがした?」
「王国の財務状況について確認が終わりましたので、ご報告をしてもよろしいでしょうか」
ネスレは挙手して名を呼ばれると、シャルル王の前に出て跪く。
なお、報告内容については事前に大臣達と口裏を合わせてある。
財政については、何一つ問題はない、と。
「構わぬが……ローランドが主導した事業によって潤っている、といったところじゃろう?」
シャルル王が、少し悪戯っぽく告げる。
琥珀色の瞳に、期待を滲ませて。
「誠に残念ながら、王国の財政は破綻寸前……いえ、既に破綻していると言っても過言ではない状況です」
「っ!? ネスレ殿!?」
表情も変えず、淡々と告げるネスレ。
それを見た大臣の一人――ネスレと口裏を合わせようと交渉した者が、思わず声を上げた。
「どういうことじゃ……?」
「ネ、ネスレ財務長官は、何か勘違いをされておられるようですな! ひょっとしたら、ローランド卿の財務総監就任以前の頃の話をされているのでは?」
まるで理解できず、不思議そうな顔で首を傾げるシャルル王。
別の大臣が身を乗り出し、慌てて言い繕った。
「いいえ、勘違いなどではございません」
ネスレは大臣を無視し、そのまま報告を続ける。
新大陸の開発事業は早々に失敗し、王国のみならずほとんどの貴族も財産を失ったこと。
隣国のハイリグス帝国に、莫大な負債を抱えていること。
事態を引き起こした張本人であるローランドが、既に国外逃亡してしまっていること。
「そ、それはおかしいではないかっ! イスタニアへの遠征の準備は万端と聞いておるのだぞ!? 先立つものがなくば、それも叶わぬであろう!」
「ハイリグス帝国に返済するお金を、遠征費に充てておりますれば」
「そ、そんな……」
これまで聞かされていたこと全てが砂上の楼閣であったと知り、シャルル王は力なく玉座の背にもたれる。
あまりの衝撃に、その顔は土色になり、大量の汗が噴き出していた。
そして。
「揃いも揃って、朕を謀ったということか……っ」
シャルル王が憤怒の表情となり、肘掛けを強く握りしめ勢いよく立ち上がると。
「責任として大臣全員の首を刎ねよッッッ!」
「へ、陛下、お待ちください!」
「どうかご容赦を!」
謁見の間に怒号が飛び、大臣達は一斉に床に平伏して許しを請う。
そんな中、アンリとネスレは立ったまま、その光景を冷めた目で眺めていた。
「わ、悪いのは全てミシュラン閣下です!」
「そ、そうだ! ローランドなどという怪しい男を連れてきたのも、全て彼が……!」
「ぬうう……っ!」
そもそも最初にローランドをミシュラン宰相に紹介したのは、他ならぬアンリ。
その事実は、宰相が自らの功績として掠め取ったため、その彼亡き今、誰も知る者はいない。
オルレイア王国において、責任を負うべき者がどこにもいないのだ。
「おのれ……おのれえぇぇぇぇ……っ!」
目を見開き、歯噛みするシャルル王。
だが。
「っ!? 陛下!? 陛下っ!?」
「は、早く医者を呼べ!」
全ての幻想から醒めた彼は、意識を失い、床に崩れ落ちた。
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