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赤龍亭と天井桟敷の人々  作者: now here man
第一章 迷える子羊編

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キッシュとライ麦パン

「今日のおすすめはキッシュ。」

ルーシーに勧められるままに注文する。

カティとヨシュアも同じものを注文。


「ヨシュアの修行はどうなんだ?」

俺の問いに、ヨシュアは微笑む。

「どうやら僕は神聖魔法が向いているらしいんだ。」

「魔法使いの中でもごく僅かしか適性がない神聖魔法。こやつはそれに適性がある。」

カティが肩をすくめる。


「へえ、大したもんだな。」

ヨシュアは少しだけ間を置いてから、

「…そうかな。」

と、どこか上の空で答えた。


ルーシーが料理を運んできた。一旦会話は中断だ。

背中とお腹がくっつく前に、今日のオススメを平らげよう。


ナイフを入れると、サクッと乾いた音がした。

軽い。だが、その軽さの奥に、生地の層の密度がある。


断面から覗く黄金色のアパレイユが、ゆるやかに揺れる。

崩れそうで、崩れない。さすがマスターだ。


「いい音じゃの。」

カティが、覗き込む。

「人のを見るだけじゃなくて、自分のを食べろ。」


フォークで一口分を切り分ける。

ベーコンの脂が滲み、チーズがほどける。


口に運ぶ。

まず、パイ生地が軽やかに崩れる。

卵と生クリームのコクが舌を覆い、

そこへベーコンの重い塩気が割り込む。


…美味い。修行で疲れた体に染み渡る。


遅れて、青い香りが抜ける。

アスパラの瑞々しさ、ほうれん草のほのかな苦み。

全体を引き締めている。


「止まらんな、これ。」

「ほう。」

カティは面白そうに俺を見る。

ヨシュアは手を止めて、俺たちを見つめている。

皿には、ほとんど手をつけていない。


俺は気にせず、添えられたライ麦パンを手に取る。

ずっしりとした重み。


噛む。

ザクッと力強い歯応え、穀物の風味が広がる。

キッシュの濃厚さを受け止め、また次を呼び込む。


そこで葡萄酒を一口。

口の中がリセットされる。

…そしてまた、キッシュに戻る。


「…これは、ワインが足りないんじゃない。」

グラスを傾けながら、俺は呟く。

「キッシュが足りない。」

「欲張りじゃの。」

カティが軽く笑う。

その目は皿ではなく、ヨシュアを見つめていた。


皿の上のキッシュは、少しずつ減っていく。

満足感と一緒に、妙な感覚が残る。

…何かが、少しだけズレている。


俺は首を振り、その感覚を意識の外へ追いやる。

…気のせいだろう。


厨房から、鍋が一度大きな音を立てた。


「みんなに知恵を借りたいんだが。」

厨房から、手を拭いながらマスターが出てきた。

「赤龍亭が出来て十五年目のお祝いに目玉料理を作りたいんだが、いいアイデアはないか?」

カティは腕を組んで天井を見つめている。

ヨシュアが口を開く。

「最近、近くでコカトリスが出るって言う話を聞いたよ。」

ヨシュアは無表情に、ゆっくりと喋る。


「コカトリスで料理を作るのか?」

俺は、少し驚いた。

「それもいいな。モンスターの食材は最近なかなか手に入らないんだ。」

マスターは俺のグラスに葡萄酒を注ぎ出す。


マスターが、俺を見ながらニヤリと笑う。

「これは本職の出番じゃないのか?」

俺は頭を掻きながら答える。

「そうだな、新しいクロスボウの具合を確かめるのも、悪くない。」

「ジョニーさん。僕も行くよ。」

「そうじゃの。修行の成果を見せてもらおう。」


俺達は翌朝、日が出る頃に胡桃の木下で待ち合わせることにし、赤龍亭を後にした。


空には、うっすらと二つの月が浮かんでいた。

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