宮廷変革
小さくなった叛徒たちは貴族連合軍といたちごっこの小さな戦闘を繰り返している。貴族たちの間に意見の対立が見られたようだった。利害や長年の恨みがぶつかりあい、仲間うちで連携らしい連携がとれなくなる。そうなると軍隊はもはや軍隊だと言えない、は言い過ぎか。だが、寄せ集めの軍隊に起こる困りごとのほとんどすべてが起こっているらしいことは確かだった。
日和って逃げ出す小さなグループに、戦闘そっちのけで商売を始める輩、だらだら長引かせて報奨金をせしめようとする傭兵部隊、嘘の戦死報告と負傷は名誉目当て。まともに相手をしていられない。彼らは王杓や机への一撃で黙るほど小さな肝っ玉をしていないのがやっかいである。
現場にいるフィリクスの心労を思うと、アレクシアの口は自然と引き結ぶ。
(やっぱり常備軍を、国軍を形成しなければ。近衛騎士団だけではなく、国全体の軍事力を手に入れないと。全貴族を支配下に置くために……)
名誉に基づく忠誠ではなく。忠誠は人の心だから、目に見えないものだ。アレクシアは商人の娘として、目に見えない名誉ではなく目に見える金の流れの方を好む。
「陛下」
と声がかかった。振り返ると密命を下した護衛騎士本人である。アレクシアは虎が喜びに唸るように笑った。
――深夜であった。アレクシアはひっそりと王宮を抜け、家紋をつけていない馬車に乗り、同じくひっそりとひっそりと郊外にやってきた。誰にも言わず、誰からの援助も受けず、相談もしなかった。
郊外の屋敷にたどり着くと、門扉のところでメイドが一人、夏の夜風に震えながら待っていた。小さなともしびがひとつ揺れている。
「シディー、ありがとう」
とアレクシアはいい、シディーはぎこちなく一礼する。ぎこちないのは感情的な理由ではなく、ひたすら寒いからだった。
シディーはかつてフュルスト商会に勤シディーた婚約者をテトラスで失った娘である。アレクシアの即位以降、フュルスト商会に雇用されメイドとして勤めていた。
屋敷は朽ち果てていた。少なくともそう見えるよう偽造されていた。玄関先で出迎えたのは古くからフュルスト卿に仕える老爺である。
「じいや、ありがとう」
「お嬢様、立派になられて……頼っていただけて嬉しいですぞ」
アレクシアは笑顔で屋敷の中へ入る。ひんやりした空気に笑みはすぐ消えた。
ものものしい気配が充満していた。フュルスト商会の実働部隊と言われる戦闘員の男と女たちが合わせて十名ほど、いる。
「近衛騎士たちを連れてこられなかったのですか?」
じいやの問いにアレクシアは首を横に振った。
「彼らは信用しきれないのよ。誰がどの貴族につながっているか、千差万別複雑怪奇なの」
「なんと。国一番の騎士たちがそのような」
それだけではない。アレクシアは即位以来、意識してフュルスト商会との接触を断った。父を、母を、みんなを巻き込みたくなかった……。
古い屋敷の一番奥へ、アレクシアは進んだ。張り詰めた緊張感に背筋がピンとまっすぐになり、まろい額に冷や汗が滲み、それでも足取りは軽い。
過去を清算しなければならなかった、のが、ここに来た理由だった。
そしてたどり着いた部屋で、椅子に座る男はひどく衰えていた。縮んで見え、か細く見え、茫漠として見えた。
「タリオン殿」
とアレクシアは言う。前王は振り向いた。暖炉の明かりがパチッと跳ねてその髭を落とした顔を照らした。
「女王陛下」
と言ってぺこりと頭を下げ、タリオンは再び炎を見る作業に戻ってしまう。不敬とは思うまい、彼にはその権利があるだろう。
アレクシアは彼の向かい側の椅子に腰掛ける。じいやがすぐ斜め後ろに、フュルスト商会の者たちがばらばらと壁際に沿って二人を取り囲んだ。
「王妃と王子は?」
「隣の部屋です」
アレクシアはことりとも音を立てない隣室を見つめ、つくづくと前王を見た。
――彼ら三人を叛徒の手に渡すわけにはいかなかった。彼らが旧王統の復活を大義名分に掲げれば、アレクシアに反目する貴族軍が合流するだろう。行き着く果ては内戦だ。国土の蹂躙だ。国力の弱体化だ。……侵略の糸口を隣国に与えるようなものだ。混乱するドレフ帝国からは多くの領土を欲する総督たちが、代替わりしたばかりのテトラスのグリムヴァル王、そして南国ファーテバの氏族長連合もまた野心を隠さない。
ゆえに、アレクシアは彼らを秘密裏に都アリネスへ移送させたのだ。決して人目につかないように、元侯爵夫人を隠れ蓑にして。
「私が憎いですか?」
「いいや」
思った以上にはっきりした声音である。
「むしろよくやっていると感心しているよ」
「そう」
「あのときはすまなかった」
突然、前王は深々とアレクシアに頭を下げた。彼女は困惑する。
「あのときですって?」
「あなたが子供の頃のことだ。ガイガリオン伯爵家に招かれたとき。あなたの実の父親が、母親ともどもあなたを罰するなどとはりきったのは、私のせいなのだ」
アレクシアの中で記憶が弾けた。コインに刻まれた王の横顔、助けを求めて伸ばした手、殴打、母の悲鳴。
すう、と息を吐いて呼吸を整える。アレクシアは動揺しているのだろうか? それとも激昂している? どちらとも言えない。感情がまぜこぜだ。
もし彼があのときは正気ではなかっただとか、王としての責務に押し潰されそうだったからとか、言い訳じみたことを口にしていたら素直に怒鳴りだしていただろう。だが彼はそうしなかった。敗者だからだ。彼と家族の生殺与奪をアレクシアは握っている。ここまでしてようやく、前王と彼女は対等の関係になれたのだ。
憎しみと悲しみなどもう霧散したと思っていた。復讐を果たしたのだから。何もかも終わったのだから、これからは晴れやかな気分で生きられるはずだった。今更、こんなドス黒い感情に支配されたくなどなかった。
じいやが気遣ってアレクシアの顔を覗き込んだ。
「お嬢様……」
「ん。平気」
と、手を振って気を取り直す。
「もう終わったことです」
それだけをなんとか、言った。
「そうかね」
「あなたには南へ向かってもらいます」
「コトル運河のほとりにかね? フュルスト商会の勢力圏か。お父上の力を借りて私たちを対抗勢力から隠そうという算段か。……ふむ。貴族どもにばれたら大変だ」
ははは、と酷薄に笑う声は昔の通りだった。やはりこの前王は暗愚ではなかった。やり方があまりに性急すぎ、部下に恵まれなかっただけで。
「あれらは王のすることなすこと邪魔をするぞ。決して認めまい、あなたのことも、私のこともね。――ところで、妻と息子に合わせてもらえんかね?」
「残念ながら、それはできかねます」
「ふむ。まあ、そうだろうね。では私と対面してくれた本当の理由はなんだね?」
アレクシアの顔色を見て、前王ははにかむように微笑んだ。
「何、不思議に思って当然だろう。私たちを移送するなら静かにそうすればよかったんだ。あえてそちらから会いにきたのだから、当然何か聞きたいことがあったのだろう?」
他人に見透かされるのは好きではない。というか、こんなに不愉快だとは思わなかった。
「クローネ・ウィンスレットをご存じで?」
「いや。名前からして魔法使いかい?」
「魔法学院の研究員だそうです。未来視の魔法を持っています。彼女が世界の滅亡を予言しました。何かご存じでなくて?」
「……【雪花の誓い】の制約がいずれ破られる、という話なら聞いたことがある」
始祖王はこの世界から戦乱がなくなることを望み、この世界を立ち去る精霊たちと【雪花の誓い】を交わした。そのときから人間の死体から魔物が湧くようになったという。
「それ以上のことは、何も」
「そうですか。わかりました」
現状、何もわからないということがわかった。それだけでも収穫だった。
アレクシアは席を立ち、屋敷を立ち去った。彼女の足音を聞きつけたのか、隣室に軟禁された前王妃が姦しく騒ぎ立てる声を背中に受けながら。
前王、前王妃、前王子。彼らはこれからコトル運河の川べりにある湿地帯に移される。ひどく質素な石づくりの館の一階と二階と地下にそれぞれ入れられ、生涯家族の顔を見ることもないだろう。湿気は胸の病気を呼ぶから、別れは案外早いのかもしれなかった。
(そうね。その方が、助かるわ)
女王としてアレクシアはそう思う。すとんと納得が胸に落ちた。
(誰だって、そう。愛するべきものを愛してそうではないものは邪険にする。目に入ったすべてのものを愛することはできない)
アレクシアが女王である限り、彼女はリュイスという国と臣民を愛する。そして愛するがゆえに、選んだ者にその他を守るため死ねと命令する。
かつて七歳の彼女が切り捨てられたことは、悲しい思い出である。過ぎ去った過去である。彼女はこれから本当の意味で加害者になるのだ。
思えばとっくの昔に覚悟はできていたのかもしれなかった。




