反乱の続き⑤
ちょうど、王宮外に出る用事がいくつかあった。練兵場での閲兵、郊外の貴族の邸宅で開かれる決起集会への顔出し、王宮前庭で開かれる遅れて出征する軍人たちのための式典への出席。主に軍人たちと関わることの多い日だったこともあって、魔法学院へ行けるのはある意味息抜きでもあった。
もちろん、女王が姿を消すなど大事である。よってアレクシアは抜け道を使うことにした。
「シュトリ・オルカ寺院での祈祷を所望します。反徒鎮圧が首尾よくいくように」
と言い放ち、壮麗な寺院へ入っていった。お供たちは慌てふためくが、いったん聖なる領域に入った女王を引きずり戻せるはずもない。寺院は常に万民に対して開かれ、祈祷室で一人祈るのも自由である。
シュトリ・オルカ寺院には円形の庭がある。神々の像が等間隔に並び、その間をアレクシアはすり抜けた。女王の金色のマントは丘の上から麦穂の海を見るように艶やかに広がる。その上にさらに翻る土色の髪は黄金色に染め上げられ、進む足取りは滑らかだった。
侍女がひとりだけ、同行していたことに同輩たちはざわめいた。
「ブレインフィールド伯爵令嬢だわ」
「新入りのくせに、生意気だこと」
「どうせお呼ばれしてもいないのに手を上げてついていったのでしょ」
「いいえ、下手したら無理やり……」
「恐ろしいことですわ、議長の娘なら何やってもいいんですの」
「こんなことならついていけばよかった」
……と、雀の巣をつついた騒ぎである。衛兵たちは目を見交わし沈黙を選ぶ。
怖。
関わらんどこ。
そうするうちにアレクシアは庭を通り抜けた。旅の安全と商売繁盛の神、家庭円満と炉の神、豊作を喜ぶ神、健康と病を運ぶ神、結婚と離婚の神、食物の神、労働の守り手の神……。神々の彫像は黙したまま彼女を見送る。彼らは都アリネスの人々から信仰を捧げられ、それを受け取る役目だ。助けてはくれない。
巨大な大理石の柱のあわいから神殿内部に入ると、出迎えてくれる神々の性質がやや変わる。より世界の法則を崇める方向へ。秩序と混沌、太陽と月、生命と死、知識、災厄、出産、戦争と自然の神……。もちろん助けてはくれない。言葉をかけてもらえるはずはないことをアレクシアは知っている。
柱の手前に形作られた神々の像は、彼らを地上に押し留めて加護を願う人間の傲慢が生み出したもののように見えた。出迎えに出てきた神官にアレクシアは頷いた。金色のマントと、白いドレス。青い目が大理石と同じ温度で煌めく。
後ろに傅くカレンナが甲斐甲斐しくマントを整える。大理石の青白い空間に女王は光り輝くように立っていた。
「祈祷をお願い致します。神官様」
「こちらへ」
神々への信仰を持つ者はたとえ女王といえども平等である。神官はしきたり通りに彼女を祈禱室へ案内した。
小さな細長い部屋だった。祭壇とそこにかかったみごとなレース飾りがなければ独房だと思ったかもしれない。高い位置に天窓があり、陽光が降り注ぐ。そこには小さな始祖王の像があった。神々の紋章も祭壇に刻まれている。
アレクシアは振り向き、神官に金貨を手渡した。彼は動揺したものの、目を逸らしながら立ち去った。鍵をかけないまま。
アレクシアは金のマントを脱ぎ棄てる。それから、邪魔になる腰紐やそれにぶら下がった飾りの裳裾も脱いでしまう。
「行きましょう、カレンナ。案内してちょうだい」
「はい、女王陛下」
カレンナはきらびやかな衣装をすべて並べ終えると、強張った口元をぎゅっと引き結んで目を伏せた。自分の肩にかかる灰色のローブを女王に着せる。
狭い廊下を行くカレンナと、灰色のローブで顔を隠した女王の姿――おそらくこちらから見えないところから監視する目がある、とわかっていても、彼女たちは先を急いだ。
そんなことは慣れっこだったから。
寺院から魔法学院は近い。馬車に乗ればすぐである。昨夜のうちにはアレクシアは辻馬車を拾うつもりだったが、カレンナが泡を食って反対した。女王に行きずりの者が悪心を起こさないとも限りません、と叱られて、アレクシアは目を白黒させながらもっともだと頷いた――彼女はまだ、自分がなんという地位にいるのか理解しきれていないのかもしれなかった。
さて、賄賂を駆使しつつ抜け出した寺院の裏手にはカレンナが手配したブレインフィールド伯爵家の馬車が停まっている。家紋は隠れていたのでお忍び用と知れた。カレンナと顔なじみらしい御者はかわいそうにオドオドしながら手綱を握る。
「お嬢様、勘弁してくだせえ……これっきりにしてくだせえよ」
「わかってるわよ。本当にありがとう。ほら、ね? 取っておいて。ね?」
と小金を(平民にすれば大金を)握らせる手慣れた仕草に、先に席に乗り込みながらアレクシアは苦笑した。
「あなたこうやって抜け出すの初めてじゃないでしょう」
「……うふふっ」
黒髪の少女は愛らしく小首を傾げて笑う。やれやれ、まったく。
御者の腕は確かだったらしい、馬車はあっという間に魔法学院に行きついた。シュトリ・オルカ寺院の裏口から出て、国立中央公園とその周辺の貴族の雅やかな邸宅の列を通り過ぎ、魔法学院にはさぞ生徒たちが行きかっているだろうと思ったが、案外閑散としている。校庭にも正門へ続く並木道にも人っ子一人いない。アレクシアが疑問を口にすると、カレンナはころころ笑った。
「そりゃ、今は授業中ですもの」
「そっか。そうよね」
授業中。授業中ねえ。
異世界の言葉に聞こえる単語だ。
魔法学院には翼のような壁があり、日差しや外からの目を遮っていた。白亜の壁だ。とても人間が造設できたとは思えないほど、つるりと継ぎ目のない。
「ライアンダー様にお会いになりますか?」
「いいえ。時間がないもの。先を急ぎましょう。魔法使いクローネ・ウィンスレットはどこに?」
「学舎の奥です。研究棟があります」
二人はそのようにした。急勾配に傾いた壁の上、どうして崩れないか不思議なほど薄い屋根が白く光る。箒に乗って飛ぶ授業なんて一年生でやるっていうのは本当かしら? アレクシアはそれを見てみたくてたまらないけれど、ただ灰色のローブを目深かぶって顔を隠すだけだ。
「ここはいいところね」
足早に先を急ぎつつ、アレクシアは囁いた。ぱっと明るい表情で振り返ったカレンナは嬉しそうに両手を合わせる。
「はい。ここは、……ここは、自由があります。うまく言えませんけれど、貴族の子女はこの学院に入ってようやく自分の身の回りのことを自分でするようになるんですよ。それまでは使用人がしてくれていたことを。私はそれこそが自由だと思いました。今まで恵まれていた癖に何を言うのかとお思いでしょうが」
「ええ、わかるわ」
アレクシアは白亜の壁と、壮麗な学舎を見晴るかした。何の飾りもない、ただの白い箱のような建物だ。だがどんな貴族の邸宅よりも、王宮よりも美しい。
ここでは身分の差なく、魔力を持つ者であれば望む限りの知識を授けられるという。素晴らしいことだ。魔法学院はリュイスの宝だ。アレクシアはそう、実感した。
研究棟は学舎よりも一回り小さく、さらに飾り気のない建物だった。そうと言われなければただの物置小屋だと思って見過ごしていただろう。
「一研究者に一つ、建物が与えられるんです。本人と、鍵を与えられた弟子たちだけが中に入れます。学生のうちに弟子に選ばれるのは名誉なことですし、卒業後に功績を認められて弟子にしてもらうのはもっと名誉なことです」
とカレンナは説明した。




