反乱の続き④
会議は夜半まで続いた。リュイスの半分以上の貴族たちが自軍を出すことを承知し、都アリネスを通って東方辺境まで出征することになる。頭が痛いのは王直属の兵力をどれだけ出すかだった。多すぎれば弱気を疑われ、少なすぎれば貴族に負担を押し付けたと謗られるだろう。
リュイス王の近衛騎士のうち、騎兵は二千人。ドレフ人の傭兵からなる近衛隊は千五百人。ただしこのうち前王にあまりに近しかった者たちはすでに解雇済みである。残りの歩兵連隊は四、五千人いるものの、彼らは儀礼の行進したり式典の護衛をこなすための衛兵で、実戦から引退してもうずいぶんになる。
アレクシアの持つ軍事力のうち、本当に戦闘に特化した者は女王の身辺警護をする精鋭近衛騎士は二百人といったところだ。十分多いが、反乱鎮圧の遠征に向かわせる人数としては少ない。
さて、夜中近くになってアレクシアはアーモンドの木のところへ行った。葉が生い茂り、短い花の季節はすでに終わっていた。儚く散った花びらが地面を白く染めている。リュイス王宮の奥深く、ここはかろうじて人として息ができる場所と言えた。
約束を交わす必要を感じなかったし、事実、それは必要なかった。フィリクスがやってきたのは彼女が到着した直後。鎧を脱いで着替えただけらしい、髪の毛が四方八方に跳ねている。
彼女は挨拶もなしに彼に駆け寄った。
「で、誰にやられたの」
色素が落ち着いて黒い痣になりつつあるそこをアレクシアは撫でる。フィリクスは苦笑した。
「知らないな。わけもわからないうちにわあーっとやられちまって」
「嘘おっしゃい。下手人も命令した奴のことも知ってるんでしょ? 教えて」
「女王が率先して復讐するのか? 命じた奴を殺せたとして、次はどうする。俺が殴られるたびに同じことをして、国の秩序を乱すつもりか?」
そう言われれば言い返せない。アレクシアはため息をついて木の幹にもたれかかった。
「……疲れたわ」
爺どもに侮辱されるのはいい、慣れている。言うことを聞かない貴族どものことも、いい。この程度だろうとわかっていたから。
ただ疲れ切っていた。アレクシアは自分のために即位した、それは事実だ。だが民のためを思って政治を見てきたつもりだった。都アリネス、コトル運河流域のフュルスト商会の商業圏には、女王への根強い支持がある。だが辺境の土地までは及んでいない。それをまざまざと見せつけられた気分だった。
「お疲れさん」
大きな温かい手がアレクシアの両頬を包んでふにふに揉んだ。子ども扱いに怒る必要はないと思った。彼がそうしたいなら、させてあげよう。
風が吹いてお菓子の香りが強くなる。ふと、子供の頃のことを思い出した。白猫がいて、双子はまだ赤ん坊で、お母様とお父様がいた……。
遠くに来てしまった。とても遠くに。次いつ家族に会えるかもわからないところまで。
リュイス王国の貴族たちがそれぞれ歩調を合わせつつ派兵した兵力は反乱軍の倍から三倍。陣頭指揮は貴族当主自らが執る場合もあれば、嫡男、戦術顧問、代々仕える傭兵団の団長などさまざまである。珍しいところでは女当主自らが馬に乗り剣を携えて戦場に出る例さえあった。
――農民相手に大仰な、という声もある。枢密院や議会のお歴々は出ないのか、自分たちだけ安全な都でくつろいでいるのか、という怨嗟もある。
だがアレクシアは最初の宣言通りここですべての反乱を叩き潰すつもりだった。前の反乱時は首謀者に死なれてしまった。今回こそ扇動者を捕まえて目的と手段、組織の詳細を吐かせる。
(拷問してでも)
リュイスを内乱の国にしないために。時代が散発的で小規模な農民反乱に留まっているうちに、確実に芽を摘む。アレクシアはそう決めた。
軍勢を送り出してしまうと、あとは戦果を待つだけである。反徒たちはとうとう施しだけで自分を養いきれなくなり、街道沿いの村々を略奪し始めた。その中に相当数のドレフ人が混じっていることを、アレクシアはフィリクスにどう伝えればいいのか考えあぐねている。
「あのね、聞いてほしいことがあるの」
「うん」
「反徒たちの中には……ドレフ人がいるわ」
「そうか。――そうだと思った」
アレクシアは顔を上げた。フィリクスの両手が外れ、ぬくもりを失った頬がしんしんと冷たい。
「行動が妙に的確だもんな。街道を占拠、沿道沿いの村を襲い、近隣の国有森で狩りをして火をかける。やってほしくないことをしてくる敵だ」
アレクシアは頷いた。
「あなたには傍にいて欲しい。でも、ドレフ帝国のやり方を知る指揮官が必要だわ」
「わかった。出征するよ」
彼は本当にのほほんとそう言った。まるで夕方のおつかいに出される子供のようだった。アレクシアは唇を噛み締める。
「あなたは私の……女王の近衛騎士だもの。指揮官の地位を与えるわ。たぶん陰口を叩く者は多いと思う。会議で意見が通ることはほとんどないかもしれない」
「はたから見たら完全に愛人だもんなあ、俺。まだ一度も寝室に入れてもらえてないんだけど」
ぽんぽんとアレクシアの肩を叩いて彼は笑った。どこか獰猛さを秘めた笑顔を無理やり引っ込めようとしたような中途半端な口の角度で、彼女の背中を撫でる。それから一瞬、ぎゅっと抱きしめられた。
「ありがと。もうこれで褒美はもらったから、行ってくるよ」
「あなたの友達を連れていっていいわ。報奨金は出すから」
「助かるよ。やっぱり気心の知れている兵がいい」
「帰って来てね」
「当たり前じゃないか」
それで話は終わった。
翌朝、アレクシアは国王直属軍から出征する兵たちの内訳を発表した。総大将は古い貴族の血筋の男が担当し、フィリクスは十五人いる指揮官のうちの一人である。勝算はある。だが辛い戦いになるだろう。貴族たちはそれぞれの家のやり方で戦闘を進めたがるだろうし、総大将は己の手柄と女王の威信を守ることだけに能力を割くだろうから。
だがこれ以上の人選はできなかった。時間も人材も足りなさ過ぎた。前王が要職を身内だけで固めていたのを追放・解任した弊害だ。アレクシアの治世はまだ整いきれていない。
旅立ちの式典は豪奢に絢爛に執り行われた。都アリネスの民がこぞって出てきて、反徒討伐へ向かう兵たちに花を投げる。香りが都に満ちる。王宮の門に幾重にも守られながらアレクシアは去っていく行列を見送った。半身がもぎ離されたように痛んだ。錯覚だ、錯覚だと拳を握ってもあとからあとから痛みが湧いてくる。
気づくとアレクシアは寝台の上に座っていた。
「それでは女王陛下、私どもはこれで……」
と礼をする侍女たちに、ええ、と頷いてみせる。
「ご苦労でした。おやすみなさい」
「おやすみなさいまし」
口々にそういって裾をひきずり退室するさまは、妖精の群れのようだった。アレクシアはふと、彼女たちの夫や父や兄弟のうち何人が反徒鎮圧に向かったのかと考えた。ぞわっと冷たいものが背筋を走った。――もし双子の弟たちや父が前線に立つというなら、そしてその相手が今回のような有象無象の農民と難民ではなく、どこかの国の訓練された正規兵だったとしたら? アレクシアは必要とあればその命令を出さねばならない。たとえ家族だろうが好きな男だろうが、死ねと言わなければならないのだ。
わかっていたはずだ。すべて飲み込んだ上で女王の地位を求めたはずだ。王家の血に連なる娘として、貴族を打ち負かし民衆の支持を得て即位することが夢だった。
寝台に倒れ込んでふう、と息をついたところで、飛び上がる羽目になった。
「あの、陛下……」
「――カッ、カレンナ嬢。いたの……」
「はい。すぐにお声がけしようと思ったのですが、思い悩んでおいででしたので。申し訳ございません」
「構いませんよ」
アレクシアは言いながら、土色の髪を背中に放り投げる。侍女の群れの中で一人、下がらなかったのはカレンナ・ブレインフィールドだった。侍女見習いの制服は夜でもパリッと糊が効いて清潔だったが、表情は浮かなかった。
「何のお話? お言いなさい」
「クローネ・ウィンスレットをご存じですか? 魔法学院に百年引き籠って研究しているという、未来視の魔法使いなのですが」
アレクシアは首を横に振った。寝間着の衣擦れがさらさら音を立てた。
「私は魔法学院で予言の、あ、つまり未来視の授業を受けました。その際ウィンスレット師に師事しておりました。今朝、彼女から手紙がきました。――これから世界に悪いことが起こる、というのです」
「悪いこと?」
「世界が終わるようなことが、起きると……」
もしかしてものすごく疲れていたのかもしれない、アレクシアは危うく笑いそうになってしまった。だってあんまりにもいきなりだ。世界が終わる? そんなことは前世で読んだこの世界の小説でも書かれていなかった。
「わかっています。戸惑われるのも当然です。でも、ウィンスレット師はタロットカードや水盆を使った未来視に優れたお方です。本当に、当代随一の腕前なのです。人嫌いで、ずっと学院に引きこもっていました。その人が学院を出た私に手紙を寄越すくらいなら、本当に大事なんです」
カレンナは跪かんばかりである。アレクシアは両手を上げた。
「ええ、言いたいことはわかったわ。でも今は、国にとって大事な時だし」
「……はい。わかっています、女王陛下。お手を煩わせて申し訳ございませんでした」
「でも少しくらい時間が作れないこともなくてよ」
カレンナははっと顔を上げ、アレクシアのまだ若い、目の下に隈を作った顔を見つめた。
「あなたがそこまで言うのなら、信じて差し上げなくてはね」
「女王陛下、そんな」
自分の幸運が信じられない、とばかりに瞬きを繰り返す少女をアレクシアは眺めた。
「ライアンダーと私はよく手紙のやり取りをしていたの。彼、卒業式の夜にあなたをダンスに誘うのをもくろんでいたみたいよ」
カレンナの頬が一気に朱色に染まる。光源を絞った魔法灯にもそれは露わだった。アレクシアは今度こそ笑い声を響かせた。
「弟の大事な人ですもの。叶えられることならそうしてあげたいし、――ブレインフィールド伯爵のご息女が嘘をついて女王を惑わせるはずがないもの」
カレンナは居住まいを正し、氷色の目に真摯さを滲ませ固い声で一礼した。
「我が一族は常に王家からのご信頼にお応えしたいと思っております、女王陛下。それがブレインフィールドの誇りです」
「わかったわ」
アレクシアは囁く。
「信頼する」




