夜這い③
噂は宮殿を飛び出して変形し、当代一の名座であるラグス座をはじめとする数々の劇団に題材にされ、いつの間にやら女王の弟ライアンダーが望まぬ婚姻を強いられた令嬢を救い出し、二人して女王の元へ駆けこむ駆け落ち劇に改変されていた。
「あの子が主人公ねえ」
正直言ってかわいそうである。が、ライアンダーは光の魔力を持つ希少な魔法使い見習いだ。学院側も手放さないだろうし、女王の弟ということで否が応でも注目される。彼は自分の力で自分のせいではない事態に対応しなければならない。――もうそろそろ大人なのだから。
議会が終わり、議会堂から貴族官僚たちが戻ってくるにつれ王宮は通常業務に戻る。ブレインフィールド伯爵は徐々に態度を軟化させていった。
一つには、アレクシアが暗黙の了解を守りカレンナの醜聞について肯定も否定もしなかったこと。これは事実上ブレインフィールド伯爵家を咎めないと公言したことになる。もう一つには、これ以上女王と対立し続ける益がないこと。いい加減革新の女王と伝統の議会という枠を超えて、歩み寄りをすべきときだった。
ドレフ帝国の支配体制は崩壊の一途をたどり、幼帝エリシアスの命令は各地の総督たちに無視されている。総督が自前の軍事力をもって互いに攻撃し合い、群雄割拠の時代はほど近い。テトラス王国でも新王グリムヴァルが弟エドレッドを幽閉したり、長年の婚約者との婚約を破棄したりときな臭い。国内で相争っている場合ではなかった。
「ところで女王陛下、学校の計画というものをお伺いしても?」
と、伯爵が言い出したのは各地の水路と街道の補修に関する予算案を検討し終えたときである。昼日中の執務室のひとつ。十分以上に広く、大きな黒板と書類棚がある。漆黒になるまで磨き抜かれた巨大な円卓、同じく黒い革張りの椅子が十数個。執務というより会議用に整えられた部屋だった。
アレクシアは顔を輝かせ、侍従に合図した。エマと違って何をどこにしまってあるか把握するのにやや手間取りながら、彼はエマより早く書類を引き出しから見つけ、アレクシアへ手渡した。
「女学院の計画ですの。貴族の子女を中心に、学費が支払えるのであれば平民身分でも入学を認める方針にするつもりです」
アレクシアは書類を広げ、ブレインフィールド伯爵をはじめとする官僚たちに見えやすくする。彼らはいわゆる議会派の面々で、伯爵が手ずから教育し地位に就けた者たちだ。アレクシアの暴走を止めるのが自分の役目だと自負しているというか、若き女王のことを口先だけの理想論者と矮小化する傾向が強い。それはひとえに、敬愛する伯爵の愛する伝統を彼女が蔑ろにして見えるからだろう。
(頭ごなしに命令を通すのはたやすい――)
けれど、それでは頭をなくしてのたうつ蛇のように危険な存在を作り出すことになる。
(まずは、わかってもらわねば)
と、アレクシアは考える。説明が始まった。土地と建物を確保して女学院を作り、女性に教育を与える。産婆、秘書、会計係、治療師、魔力が開花した者がいれば魔法学院に渡りをつけ編入させ、それから――教師への道を開く。
「教師? 神官がいます」
途方に暮れた声を出した青年へ、アレクシアは力強く微笑みかけた。彼はぽっと頬を染め、そうした自分を恥じるように咳払いした。
「ゆくゆくは彼女たちに各地へ赴任してもらいます。初等教育の専門家として。彼女たちを通じて子供たちはリュイス語の正しい発音を知り、綴り方を習い、神々の教えを知ることでしょう」
「農民の子供が?」
嘲りを隠そうともしない中年の官僚のまなざしは冷たい。
「ええ、そうですとも。優秀な者は農民の子であっても上の学校へ進学できる仕組みを作ります。かつて農夫の子であった魔法使いがいるなら、農夫の子が官僚になっても不思議はありません」
男は虚を突かれて黙り込んだ――もとい、女王の気が触れたと思って恐る恐るブレインフィールド伯爵を振り返った。
伯爵は綺麗に刈った髭を撫でて考えこむ風情である。
「女王陛下は身分の別をなくそうとしていらっしゃる?」
「いいえ、国を治めるにあたって身分制度は重要ですよ」
それ以上、アレクシアは答えない。あらかじめ複写しておいた女学院の資料がその場にいた全員に与えられた。
帰り道の長い廊下を歩きながら、ブレインフィールド伯爵一派の官僚たちは囁き声を交わす。女王はすでに土地と建設の手配までを終えていたから、我らへの相談もなしに……と苦々し気に言う者もいた。
「でも、この計画に国家予算は使われていないようですよ」
と恐々指摘したのは、先ほどの青年である。眼鏡を押し上げながら小声で、面々の顔ではなく首元を眺めながら言う。
「女王陛下の個人予算と、ほら、お父上の商会があるでしょう。そこからの株の配当をあてるようです。個人的な貯金も」
さらに小走りになって付け加えた。
「無駄遣いをしているわけじゃ、ないと思うんですよね……」
彼らはだんだん青年から視線を外し、ブレインフィールド伯爵の背中を見る。彼は前を見て進み、配下たちの噂に加わる気はないようだ。
「なんで……こんなことするんだろう。名声を上げたいのか?」
一群は押し黙った。誰もが困惑していた。アレクシアのしようとしているのはそういうことだった。




