夜這い
アレクシアの元に珍客が現れたのは、数日後のことだった。
「カレンナ嬢、と――ライアンダー?」
「はい、女王陛下!」
「お久しぶりです、姉様……女王陛下」
ライアンダー、アレクシアの双子の弟たちの片割れは照れ臭そうに片手を上げた。銀髪がきらきらと眩しい。カレンナ・ブレインフィールド伯爵令嬢は優雅にスカートの裾を持ち上げた。背中に流した長いまっすぐな黒髪と、きりりと吊り上がった目元が涼しい。
カレンナはかつてアレクシアの異母弟、この世界を元にした小説の主人公であった男の婚約者にさせられていた少女だった。前王の無理強いはブレインフィールド伯爵家にも及び、家族は涙を呑んで少女を差し出すしかなかったところ……アレクシアが乗り込み、馬鹿馬鹿しい婚約破棄劇を潰し、救い出したのだった。
ブレインフィールド伯爵はそれを恩義に感じて、アレクシアの即位を助けてくれた。今は敵対する立場でも、アレクシアは彼の能力を買っているし、その娘であるカレンナに好感を抱いている。あんな男に引き合わされても絶望せず、糾弾に立ち向かった強い少女だ。好きにならない方がおかしい。
「本当に久しぶりだこと……」
と言ったきり、アレクシアはぼうっとしてしまった。
カレンナを見て、これまで過ぎ去った時間を再度実感したとでもいうべきか。最後に見たあの卒業式の夜に比べて、少女は少し大人びていた。
家族にはずっと会っていなかった。戴冠式の席にいるのを確認したのが最後だ。アレクシアはすでにリュイスの女王である。王宮に住む身である。商人にすぎない父を宮廷に入れれば癒着を疑われるだろうし、母の社会的地位はいまだ宙ぶらりんだ。
そう――彼女が無理やりにでも実績を作り、法律を通そうとしている理由の一つに父母のことがあった。母とガイガリオン伯爵家との婚姻を無効化し、父と合法的な再婚を認めさせることが、生涯の目的の一つであったのだ。
アレクシアは二人を応接間に通した。広いバルコニーがある上等の部屋だ。白い絨毯と色とりどりのタペストリー、こぢんまりとした家具がある。最近暖かくなってきたので暖炉に火の気はない。代わりに壁に備え付けられた魔法灯が、夜になればぼんやりとオレンジ色の光を放つだろう。
ライアンダーは部屋の隅に控えるフィリクスに気づいてかすかに眉を寄せた。彼が鎧姿ではなく、帯剣はしていても略式の制服姿であったのも関係していたのかもしれない。
席に着くなり、姉を見て困った声でフィリクスを指差す。
「噂になってるよ、この人と」
「知ってるわよ。それで?」
「それでって……やめなよ姉様、独身なのに」
「言いたい人には言わせておけばいいの。私は女王よ」
言い放つとスッキリした。だってアレクシアはこういうことが言いたくて、この地位を求めたのだ。前王がおかしくなって、貴族たちを弾圧したのも理解できる気がした。これほどの地位、生活、彼女よりよほど優秀な人々に頭を下げられる日々。それは快感である。
弟は呆れた様子で黙ってしまった。隣のカレンナ嬢が諫めるべきか、否かと逡巡する気配。侍女がお茶のセットを用意して立ち去ると、アレクシアは背筋を伸ばしたまま問いかける。
「それで? あなた方はいったいどういう用件で?」
もう一人の弟ルルシエルは今、南大陸で父フュルスト卿と修行中である。商会の南大陸の拠点を彼に任せるらしいと母は手紙でいっていた。その母も南国ファーテバの屋敷で悠々自適に流通を捌き、帳簿を管理し、お茶会に慈善バザーに神聖集会にと社交に精を出している。
ライアンダーは都アリネスの魔法学院に在籍中の身だ。身内とはいえ、女王になった姉に会うのが危険だというのはわかっているはずだった。それが、こうしてやってきた。女王と緊張状態にある議長ブレインフィールド伯爵の娘を連れて。相応の理由があるに違いない。
「就職願いです、女王陛下」
カレンナは凛々しく言った。アレクシアは目を瞬いた。
「率直に申し上げて女王陛下――我が父はあなた様と政争をするつもりでおります。ブレインフィールド伯爵家の願いは、王の代理人として権勢をふるうこと。伝統と格式を重んじ、先祖伝来の土地を耕す農民のよりどころとなり、戦争が起きれば武装して出陣する。そういう世の中が永遠に続くことを願っております。だからこそ、それを奪ったタリオン前王を決して許さなかった。その点であなた様と利害が一致しました」
きらり、彼女の氷のように薄い青い目が煌めいた。アレクシアも、ライアンダーもごくりと唾を吞むほどの輝きだった。
「でもわたくしは、それではいけないと思いますの。だってあなたはわたくしを望まぬ婚約から助けてくれた。恩があります。父はそれを踏み躙ろうとしています」
「仮にそうした恩があったとしても、すでにお返しいただいていますわ。私の即位のときに」
アレクシアが返すと、カレンナはいいえと首を横に振った。ライアンダーが死んだ魚のような目をしている。
「そんなことありません。父にとってはそうだったとしても、わたくしにとってはそうではありませんでした。――隣国テトラスのグリムヴァル王とあなた様の結婚を扇動しているのは父です。気づいておいででしょう?」
アレクシアは思わずフィリクスと目を見かわした。二人の距離が遠いのもあって、視線はかなりの弧を描く。ライアンダーが頭を抱える。
「わたくし、私、私は……許せないんです!」
カレンナはがばりと立ち上がった。ふわりと制服の黒いスカートが舞い、ライアンダーの膝を打つ。そういえばこの子の骨格、ずいぶんしっかりしてきたわあ、とアレクシアは現実逃避ぎみに考える。
「私があいつとの婚約で死ぬほど苦しんでいたのを知っているのに、アレクシア様には似たような事故物件を押し付けるだなんて!」
「事故物件」
「グリムヴァル王は多情です、愛人がいっぱいいます、不潔ですっ」
あー、そういえばそういう情報もあったような、とアレクシアは金髪の王の甘やかな美貌を思い出した。まあそのくらい、王侯貴族の嗜みと言い張れそうな数とお相手であったが。
「若い娘にとって結婚がどれほど一大事かわかって、おもちゃにするだなんて。国のためと言いつつ自分のために!」
がっと拳を握り、カレンナは高らかに言い放った。
「だから私、学院を辞めてきました!」
「はい?」
「んん?」
アレクシアとフィリクスの声が揃った。姉は弟を見る。彼は小さくなって青い視線から逃れようとする。
リュイス王立魔法学院は、魔力をもつ貴族の子女が集められ教育を受ける国の高等教育機関である。卒業すれば魔法使いの資格が得られる。魔法使いは貴重であり、とくに土属性や水属性の魔法は農業に活用できるため引く手あまただ。
カレンナ嬢は水属性だったはず……ということは、つまり。
「将来を投げ捨てたようなものですわよ、それは!」
「はい! あとライアンダー様と同衾いたしました」
「ハァ!?」
「誤解だ!!」
アレクシアは立ち上がり、ライアンダーはばっとソファを飛び降りて床に足を揃えて座る。賢い弟である。怒り狂った姉の所業は幼少期に身に染みている。
「違う! 思ってるのと違うから! 朝目が覚めたらカレンナ嬢が部屋の中にいたの!」
「男子寮のみんな、見ていました! 証言者には事欠きません! 退学届もすでに提出済みです」
カレンナは自信満々に言い放った。びしっとアレクシアに片手を差し出し、ほぼ直角に頭を下げる。
「ことは実家にも伝わったでしょう。名誉は失われ、もう、家に戻れません。戻りたくありませんし、戻ればどんな目に遭わされても文句は言えませんから。――だから、お願いします、雇ってくださいアレクシア女王陛下! 父の企みや派閥の内情は大体知っておりますもの。お役に立ちます!」
くらくら。よろめいたアレクシアは、気づくと素早く駆け寄ったフィリクスに肘を支えられていた。
こんな場合ではないのに、床の上でライアンダーがむうっとした顔をする。姉を取られたとかなんとか言ってる状況じゃない。
「こ、こっの、このっ」
「はい! ライアンダー様の名誉を傷つけて、申し訳ございません。一生をかけて償う覚悟です」
カレンナは言う。きらきらした瞳で。まったく、普通それは男が女に言うセリフだ。
「こ、この! この、十代ーッ!!」
アレクシアはフィリクスの腕の中にひっくり返った。




