反乱④
「不満そうね」
笑いを含んだ声でフィリクスを詰ると、彼は肩をすくめ閉じたばかりの隠し通路を見る。
「女王の部屋に出入りできる入り口は、あと何個あるんだ? 彼らがそれを悪用しないという証拠は?」
「大丈夫よ。彼らは――リュイスに仕え、守ることこそ彼らの使命だもの」
「だからといってはなから信頼してしまうのは危険すぎる。頼むから彼らと会うのは俺がいるときだけにしてくれ」
「あら、あなたは彼らより信頼できて?」
フィリクスがあまりに傷ついた、捨てられた犬のような顔をしたのでアレクシアはくすくす笑った。
「……そりゃ、まだ会って一年にも満たない俺より王家の影か。ふん。そうだろうよ」
「拗ねないで。悪かったわ」
アレクシアはミリエルの情報の中身を検分した。おおかた、メイドの少女の言ったことと相違ない。違うのはわずかな言葉尻だったり、表情や身振り手振りについても記載があることくらいだ。
ミリエルは一族の正式な一員であり、少女はそうではない。いざという時切り捨てられる側が少女で、その判断をするのがミリエルだ。そもそもミリエルという名前自体、本名ではないだろう。
フィリクスは腕組みをしてうろうろと歩き回った。ぶつぶつ、口の中で何かしら文句を言っている。どうにも腹に据えかねるらしい。アレクシアとしては、彼ら一族を利用しているつもりなのだが、彼の目には逆に見えているようだ。
紙片の内容はといえば、まあ揉めている。武門の家は戦功を理由により名誉ある職を求め、爵位を金で買った商人上がりは関税を下げる大切さを切々と語り、下級貴族たちは税を下げろと言う。宮廷に伺候する大貴族たちは伝統を守れと言い、神官たちが後押しする。
アレクシアは紙束を暖炉に投げて焼いた。テーブルの上の果物籠から大きな桃を掴む。細かい産毛が手のひらに心地よかった。歩み寄って彼の手に握らせてみると、彼女の手には余るほどだった果実は実に小さく見える。
「あなたと私はたぶんなんらかの魔法で結ばれている。まだ解明されていない絆で。そうでなければ場所を超えて感応したりなんかしないわ」
テトラスで出会った魔法使い、ムズのことを思い出しながら言うと、フィリクスは桃ごと彼女の手を両手で包んだ。
「ああ。俺は――俺は君のためになんでもしてやりたいと思う。気持ちに嘘はないよ」
「熱烈ね」
「信じてくれなくていいさ。騎士に取り立ててくれたこと、感謝している」
アレクシアは軽く手を上下に振って、するりと抜いた。彼の手は大きく温かく乾いていて、アイロンで暖めた毛布に潜り込むようにグズグズとだめになりそうだ。
「信じてる……私を信じてくれる?」
「信じるよ。どんな状況でもね。俺を使い潰してくれていいよ」
「そんなことしないわよ」
「どうしようもなくなったら、そうしろ」
彼は苦く笑った。父フュルスト卿が母の容体が悪いのを知ったとき、こんな顔をしていた気がする……。
扉がノックされ、侍従の声が来訪者を告げた。二人は手を離し、フィリクスは騎士にふさわしい壁際へ。アレクシアはゆうゆうと椅子に座りオッドマンを足蹴にする。
「お入りなさい」
そして、ブレインフィールド伯爵をはじめ主立った議会の面々が入室した。堂々たるものだった。何しろ全員、貴族院の世襲議席を保持する家の当主たちである。つまりはリュイスの保守派の代表たちだった。
王位にある者に直に謁見できる特権をも保持する立場である。
「此度の議会での進捗をご報告に上がりました、女王陛下」
「ご苦労様でした。では、お願いします」
伯爵は文句の付け所のない優雅な仕草で微笑み、報告が始まる。
前王がもたらした臨時特権法はすべて撤回され、それに伴い官職や領地を得ていた者たちは政治の現場から追放されたこと。官僚たちの評価が正しくなされた結果、政務もまた円滑に回り出した。何もかもが前王登極以前に戻っていくようである、と彼らは言う。すべてが、正しい位置に。
救貧法および義務教育制度の制定に話が及ぶと、伯爵の後ろに居並ぶ重鎮たちはそれぞれ表情と態度で若い女王に己の意見を伝えた。――すなわち、そんな金がどこにあるまったくこれだから女というものは世間知らずで夢物語ばかり追いかけて。中に壁に仁王立ちするフィリクスの美貌と体格を見て、これみよがしに鼻を鳴らす者までいる。二人の間には何もないとアレクシアは明言できるが、そこはそれ、女王が私室への入室を許す若く見てくれのよい騎士というだけで邪推されるに十分である。
「――このようでございますからには、陛下、やはり現状通り弱者救済は神殿に一任し、また平民の子供たちの教育なども若い神官見習いたちに任せるべきかと。餅は餅屋と申します」
「いいえ。救貧も教育も国が行うべきですわ」
アレクシアは頬杖をついたまま、気取った様子で爪をひけらかした。テトラスから帰ってきて以来伸ばしっぱなしのそれは、毎夜侍女たちによって整えられ、磨かれ、色を塗られてキトキト輝いている。
もちろん挑発である。あーらわたくし、あなたたちが議論している間オシャレして楽しんでいますわよ? ということだ。だからって甘く見ないで頂戴、という意味を上乗せして。
「陛下。……お優しいのは結構ですが」
「あら? 私が優しさからこんなことを言い出したと思っておられますの、方々?」
伯爵は沈黙した。柔和で優しげな目をしょぼしょぼさせて、姪っ子が言い出した我が儘にどうすればいいのか困り果てた叔父さんといった風情である。
「陛下? それはどのような……」
「現状、そのような福祉は神殿に一任されております。神官たちが手ずから子飼いを養育するのを許しているということです。それぞれの神殿で養育された子供たちの中で優秀な者はいずれ神官になり、魔力があれば魔法学院の学生になります。――そうですわよね、ブロンズ卿?」
名前を呼ばれた白い髭の紳士は同じく柔和に答えた。リュイス魔法学院の経営陣である魔法使い連盟に親戚が多い、けれど自身は魔力がなかったため家を継いだ男である。魔法使いの家系の異端者だった。
「さようでございます、陛下」
「彼らは自身が育った神殿の神を崇拝し、魔法学院でもその信仰を元にして魔法を使うというそうじゃありませんか。神官たちはもちろん玉座を尊重してくれていますけれど、それは彼らの崇める神々に祭祀を執り行う役目を王が負っているからですわ」
アレクシアは立ち上がった。身長が低いなりに堂々と威厳のある立ち姿で、だが男たちの前に立てばどうしても視線は上向きになる。だが視線を外すことはしなかった。彼らの目を順繰りに見つめながら、彼女は言葉を続けた。
「神々を間に挟んだままでは、彼らは真の意味で私の臣民とはいえません――げんに、つい数か月前に神官が反乱を起こしたじゃありませんか」
かすかなどよめきが議員たちの間に走る。彼らは老獪な視線を互いに送り合う。若い女王の言動は果たして神々への侮辱にあたるか、異端か? それとも? と目が言う。
「勘違いなさらないでね。私は不信心者ではありません。常にあらゆる神殿に参り、神聖集会にも出席しています。でも――神殿で育った方々って、どうしても頭が堅くていらっしゃるでしょ?」
蓮っ葉な嘲りを含んだ笑いに緊張が解ける。
「そうではなくて。国が経営する学校で読み書きを習い、神々の言葉が入らないかたちで歴史を習った子供たちは、きっと我が国により愛着を持ってくれますとも」
――そうすれば、田舎の小さな祠の前でボケかけた爺神官に叩かれながら習った子供たちはいなくなる。自分の名前しか書けない大人はいなくなる。誰もが同じ教育を同じくらいの練度の教師から受けられるようになれば、彼らは優秀な市民となる。
「福祉と教育の画一化。それによりこの国はもっと栄えますわ」
「しかし、あまりに予算が足りません」
「ええ。まずは私の個人予算を使って第一の学校を建てるところから、始めたいと思っていますの」
議員たちは苦笑した。女王の夢を応援しますよ、と言いたげに頷く者と首を横に振る者。
ブレインフィールド伯爵は胸に手を当て腰を折るお辞儀をする。
「それでは、ひとまずは陛下の福祉事業の結果が出ることを待たねばなりますまいな。何分前例がありませんゆえ」
「ええ、わかっていますわ」
アレクシアはつんともたげた顎に手の甲を沿わせた。
「ご報告ありがとう。どうぞお下がりなさい」
そしてそのようになった。
扉が閉まるとどっと疲労がやってきた。すでに夕暮れ近かった。
「お疲れさん」
「――今に見ているがいいわ。きっと成立させてみせるんだから」
フィリクスは何も言わず、椅子に座り込んだアレクシアのかたわらに寄り添った。茶でも淹れてやりたい、と彼は思った。やり方を知らない。
だが彼女の土色のつむじを眺めているうちに、習えばいいと気づいて破顔した。
「何を笑ってるの?」
「いや。――俺も頑張るよ、俺なりに」
「そう?」
虚を突かれたような顔でアレクシアは彼を見上げる。きょとんとした子供っぽい表情だった。夕暮れのオレンジ色と暖炉の赤色に染まって、全身が神々しく金色に染まっている。
フィリクスは土色の髪をひとすじ取って口づけた。彼が捧げることができるのは、少なくとも今はこのくらいだった。




