反乱
最初の反乱は、まだ雪の溶け残りが街道を埋める冬のうちに起きた。
「偽りの女王に神々の鉄槌を!」
「商人の娘に尼僧院を!」
「王冠と王杓を正統なる女王に!」
「タリオン王万歳!」
と気炎を上げて道を埋めた男たちはその数、二千。彼らは東方辺境と呼ばれるミレタ地方の農民たちだった。
東方辺境には、元王妃フィルセナの実家である男爵家がある。そして元王妃は王妃となって以来、ミレタ地方に国の財源を援助の名の下注ぎ込み続けてきた。新女王を引きずり落とせばこれまで通りの援助を受け取れるだろうと考え、実行する者が出てくるほどに。
だが、あまりに場所が悪かった。
翌日、同じく東方辺境、リュイス王国の国境線を守るオニキス騎士団が王命により出陣。レイヴンクール公爵嫡男ジークフリート率いる正規軍に農民反乱が勝てるわけもなく、あっけなく蹴散らされた。
反乱軍が道を歩けた時間は半日にも満たなかった、という。
リュイスの都アリネスにある宮殿で、アレクシアはその報告を聞いた。
王の間、と呼ばれる、国王が臣下に布告をなすときに用いられる広間だった。百人が入ってもまだ余るほどの巨大な部屋に設えられた玉座は、象徴的なものだったがそのときは実際に女王が座っていた。
反乱の報告にやってきたのはレイヴンクール公爵家の騎士で、声はといえば淡々としたものであった。身なりもまた、戦場から駆けてきたので砂埃にまみれてはいたが、どこも壊れても血飛沫もない。
戦闘が短時間のうちに終わったというのは誇張ではなかった。
「叔父様……」
まだ即位して一ヶ月にも満たない新女王は、その場で叔父ジークフリートに英雄勲章を授与した。
反逆者への刑はまだ執行されていない。
「女王陛下のお許しがあればすぐにでも」
と、寡黙な性質なのだろう騎士は言う。
「いいえ、待ってください。よく調べねばなりません」
首謀者はミレタ地方の土着の神を崇める中年の神官だった、という。
アレクシアは首謀者への刑を据え置きし、仲間の神官たちへの鞭打ちを命じた。
「農夫たちは従っただけです。家に戻しておやりなさい」
お優しい、と誰かが言った。揶揄の声だった。
アレクシアは立ち上がった。眼前に臣下たちが身構えていた。壁際に等間隔に居並ぶ護衛の騎士たちの中には、フィリクスがいる。彼女はそれを知っている。それで十分だった。
「皆様の忠誠心のおかげでしょうか、これを持ちまして王国を襲った不埒な悪ふざけは終焉を見たようでございます。まずはお礼を申し上げます」
スカートを持ち上げて丁寧に頭を下げる女王に、あちこちから賞賛と慰めの声が上がった。時刻は夕暮れ時で、たそがれの光が大きな窓から入り込みアレクシアを照らす。土色の髪はつやつやと膝下まで流れ、燃えるような赤と金に煌めいた。
「モデロー伯はいらっしゃいますか?」
顔を上げたアレクシアは真っ先に聞いた。目が笑っていないことには彼女自身気づいていた。進み出てきた男へ、彼女はにこやかに頷きかける。
「ミレタ地方はあなたの代理人が治める土地で間違いありませんね?」
「はい、女王陛下」
「今すぐ領地へ飛び、このおかしな出来事の原因と詳細を調査してきてください。そしてわかったことはすべて報告してください」
「は。すぐさま」
「頼みましたよ」
彼女は再び玉座に腰掛け、ぐるりと辺りを見回した。リュイスの玉座はテトラスなど他国のそれと違い、臣下と王の位置に階段を設けない。わずかばかり、一段の段差が玉座の台座としてあるけれど、アレクシアが腰掛けてしまえば臣下たちが彼女を見下ろす形になる。
これがリュイスのあり方だった。王は皆のまとめ役であり、見下ろされ、監視される立場なのだ。それだけの権力を持つ者なのだから。
「さて、次の報告をお願いします――」
わらわらと名前も知らぬ下級貴族たちが湧いて出たのはそのときである。
「女王陛下、恐れながら少しお休みください」
「そうですとも、このようなお耳汚しのことなどお忘れください」
「庭に席を用意いたしましょう。侍女たちとお茶などいかがです?」
「御身が動く必要はございません、お早く……」
「何だよ、お前たち! 女王陛下に近づくな」
叫んで前に出たのはデルマンスだった。彼もまた護衛騎士の一人として警護に当たっていたのだが、おそらく個人的に我慢できなかったのだろう。テトラスから離れ、異国の景色を見、彼の中で一区切りついたらしく、デルマンスはアレクシアのことをどこか遠くからやってきたもののように崇拝するようになっていた。
それはそれとして、出しゃばりは困る。フィリクスが止めようと動き始めた瞬間、アレクシアは手にした王杓でダンと床を突いた。
「誰ですか?」
玉座の裏側に控える侍女たちがビクッと飛び上がった気配。エマがきらきらした目でアレクシアの背中を見つめているのを感じる。
「私がするといったことを否定しようとするのは誰ですか? 名乗り出なさい」
しん……と場は沈黙した。前に出てきていたのは皆、若く才気あふれる官僚たちだった。アレクシアは微苦笑を浮かべ首を傾げた。若い男に諫められれば言うことを聞くとでも思われているのかしら?
「皆さんが私の肉体の弱さゆえに心配してくださるのはわかっていましてよ。ありがとう。でも、平気ですわ」
「でも……」
と声を上げた美男子の一人に、アレクシアは虎のような一睨みをくれてやった。牙があるものなら出したかったし、爪があるなら同じくだった。
「王がよいというのならよいのです。さ――時間がもったいないですわ。次の報告を」
それで、そのようになった。
王の間には安堵の雰囲気が流れ、それと一線を引いた向こう側に、老獪なる貴族たちが彫像のようにたたずんでいる。アレクシアが書記官の報告を聞き、指示を出す間もずっと。彼女の価値を計ろうとしている。
彼らこそがこれから始まる議会の中心であり、リュイスにおいて本物の権力を握る青い血の持ち主たちだった。前王が追い払おうとして追い払えなかったもの。生きている伝統。悪にも善にもなる、国とともに生きる者たちだ。
(今に見ていなさい)
微笑みながら、彼女は腹の底に渦巻くものを押さえ込む。
(今に――観察していられなくしてあげるから)
そうすると決めたなら、きっとそうなる。アレクシアは自分をそう定義している。
報告が終わり王の間から出る間際、アレクシアはフィリクスへ目配せした。彼は頷いた。デルマンスは――まあ、ちゃんと理解する脳はある子だろう。
やってきた夜、コルセットの紐を解くエマの手つきは震えていた。
「なんなんですか、あの人たちは。女王に向かって偉そうに!」
「しぃっ、エマ」
「いいえ、言わせていただきます。アレクシア様は歓呼の声に応えて即位なさった女王様なんですよ。民に選ばれたんです。それを彼らは、古い貴族の血筋だからって」
声は泣かんばかりである。アレクシアは鏡ごしにエマと目を合わせた。薄い金髪の華奢な娘は、今や泣く子も黙る女王の侍女である。――であるからには、相応の振る舞いを覚えてもらわねばならない。
「ねえエマ、私を歓迎してくれたのは都アリネスの人たちだったわよね?」
「それが、何か……?」
「テトラスに家族や知人がいて、戦争から逃れられたことを喜んでくれた人たち。結局戦争は起きなかったけれど。ねえエマ、この国は広いわ。つまり、テトラスなんて行ったこともないような田舎の人たちもいるのよ。その人たちにとって私は前王を追い出して玉座を奪った新しい支配者で、どんな重税や無茶苦茶な法律が待っているか息を飲んでいるところなの」
アレクシアはため息をついた。
「ミレタ地方についてはもっと早く対応すべきだったわ。これは私の失態ね」
ミレタ地方に注がれていた大金については、すぐに書類を確認していた。確かにこれだけあればいくらでも発展できるだろうという金額が、フィルセナが王妃であった期間だけ闇に消えていた。道を修繕するでもなく、村に柵を立てるでもなく。
つまりは誰かの懐に消えたのだ。そしてその悪人は農民をそそのかし、脅して反乱に参加させた。首謀者の神官はただ矢面に立たされただけだろう。彼には彼なりの流儀があったのかもしれないが、そんなものは国の法を前には一瞥もされない言い訳でしかない。
「そんなことありません! アレクシア様は十分やっておられますよ。夜中に寝て明け方に起きて、十分寝ることもできないくらいなのに。私たち侍女より寝ていませんよ。そもそも大臣たちが悪いんじゃないですか。ナントカ卿ナントカ卿って敬称付けで呼ばれているくせに、その実全然働いていない。お偉い方々のはずなのに、ぜんぜん、アレクシア様のためになってないんですもの」
エマはきいきい声で言う。全幅の信頼、心からの尊敬。今のアレクシアには痛いほどだ。彼女の純粋さは女王の不純さ、不完全さ、力不足を透過してしまう。いたたまれない。
アレクシアは足を延ばしつつ、何気なさを装って言った。
「ねえエマ、あなた、少し修行してみない?」
「修行? ですか?」
「ええ」
愛らしい少女へアレクシアは目を細める。これは必要なことだ、と割り切った。
翌日、レイヴンクール公爵の騎士は嫡男の叙勲メダルを箱に収め、故郷へ戻ることとなっていた。早朝、使者である騎士がそれを携えてアリネスを立つときに、二人の人物が同行した。エマと、デルマンスである。
「おじい様にはお手紙書いたから。ぜひ鍛え直してもらってらっしゃい」
とひらひらハンカチを振るアレクシアに見送られ、二人は東方辺境へ旅立っていった。何事にも経験が必要だった。エマにはもう少し感情を抑え、貴族社会で渡り歩くすべを覚えてほしい。デルマンスにはいかにも田舎の若者じみた短気を直してほしい。どちらも今、アレクシアのそばにいては学べないことだろう。彼女は手いっぱいだし、宮廷人に依頼なんてしてみたら彼らを台無しにされてしまう。
ここは思った以上に敵の多い場所だった。




