満月の宴
バンテ夫婦の試作風車が成功した日から三日後。満月の夜だった。フュルストは小さな宴に招かれていた。ここでは何もかもが小さい。小さな邸宅、小さな広間、小さな宴。
だが食事ときたら見事なもので、大魚にふんだんな香辛料を振りかけ、にんにくと唐辛子が効いたペーストを詰めて揚げたもの。新鮮なハーブが乗った細かいパスタの山。貝の身と野菜を一緒に蒸したものに唐辛子入りの赤いソースがかかる。焼いた大ぶりの海老に添えられた山ほどの柑橘。小魚丸焼きがぐるりと踊るように円を描いて大皿に盛りつけられ、その中央にはドレフ帝国からの輸入品である米が品よく丸く盛り上がる。
公王はにこにこと酒杯をフュルストに向かって差し出す。
「ささ、まずは一献」
「恐れ入ります」
「さてさて、まずはご賞味あれ」
と言われるがまま、その通りにする。
「本当に美味ですね。海老も魚もよく太っています。滋養の高さがうかがえますな」
こればかりは本心の誉め言葉だ。フュルストの横で大人しくしているエトゥーも何度も頷き、手が止まらない。
アプカ公国では貧民は手で食事をとるが、公王ともなれば金の食器が用意されている。リュイス式を意識してか知らずか、彼の知るマナーの順番通りに出してくれたのがありがたいことだった。もっとも、手で食えと言われればそうするのがフュルストの信条である。
人心地ついたあたりで、公王は太った手に魚の骨を持ったまま切り込んだ。
「我らの海に妙なことをされては困りますぞお」
「妙なこととは、何かご迷惑をおかけいたしましたでしょうか?」
「いやはや、そう逃げられるとな。――海岸の塩田に何か見慣れないものができたそうではないか」
「はい。風車でございますね」
フュルストは平焼きパンに乗せた海老と緑の唐辛子ソースを皿に置いた。
「私がもくろんでいるのは、つまり海水を汲み上げる役目を風車に代行してもらおうということなのです。決して魔術や呪術ではございませんよ」
「ふむ。風車。それを使うとすると、どうなる?」
「陽の光に当てられて死ぬ者がいなくなります」
フュルストは断言する。隣のエトゥーはその通りだと手を叩く。
「他にも、塩主への借金が返せず親子代々海水汲みしかできないような家系がなくなります。いえ、そのような者たちをひっくるめて、我がフュルスト商会が雇用しましょう」
フュルストは皿の上の平焼きパンを指差す。パンを皿のふちに立てかけて、緑のソースが皿の中央に流れるに任せた。
「ちょうどこのように、塩田に傾斜を付けます。海岸から内陸へ向けてゆるやかに下っていくように。砂の表面に粘土を張り、流れださないようにします。風車の動力を用い、この傾斜へ海水を汲み上げるのです。内陸へ向けて海水は流れ、日光に炙られてだんだん塩の濃度を増していきます」
海老の腹を流れるソースに向けて並べる。一尾、二尾。ソースはパンと海老と海老でできたあわいに溜まる。
「現在、塩主たちの小屋が集まる区画に枝条架を置く予定です。ご存じの通り、枯れた木の枝を編んだものですね」
ちらり、フュルストはスカフェン公王を見る。丸い太鼓腹をかきながら、公王の目は眠たげに見えた。
「枝条架に海水をかけ、日光と風力によって蒸発させます。それを従来通り塩小屋へ運び、煮出して塩を抽出できます」
フュルストの持つ金のフォークが緑色を皿の上に引き延ばす。薄くなった部分がアプカ公国の夜の風に干からびる。
「これまでのように男たちが大量の砂と塩を運ぶ必要はなくなります。また、風車は風さえ吹けばいつでも使えますから稼働日も増えるでしょう。作業効率はよくなり、より大きな利益が得られるかと」
「男たちはどうする?」
公王は静かに言った。厚い瞼の垂れさがった目が油断なくフュルストを見据えている。
「仮にその装置が完成し、うまくいったとしよう。荷運びが使命であった男たちの仕事は取り上げられる。こんなことを許すわけにはいかない」
「いいえ、公王様。ご心配には及びません」
フュルストは微笑んで首を横に振った。
「塩は運ばなければ価値を産みません。私の方で独自に運送業を立ち上げます。今は他社やアプカ公国公社に委託していますが、いつまでもお手を煩わせるわけにはいきませんから。トランパニッタ港をより大型船が立ち入れるように整備し、各国の商船団を誘致しましょう」
「そして、積出税を徴収するのか。儂に代わって。ふはは」
公王はがりがりと頭を搔く。賭け場で負け進退窮まった男が自暴自棄になったようにも、まだ巻き返せると無謀な取引に挑むかにも見えた。
「やられたなあ」
「決して、公王様に盾突くつもりでは。越権行為と思われましたなら謝罪いたします」
「港から商船に積み出すにも人出がいる。職にあぶれた塩づくりの男たちを人夫とする運送屋がそれを手伝ってくれれば、まあ対価を払う奴もおるだろうさ。そんで、あんたのところの塩を買うわけだ。アプカ産の塩ですよと言って。やれやれ」
彼は遠い目をした。窓の外では月が光っている。深い苦労が潮風と一緒になって彼をもみくちゃに、小さく、太らせてしまった年月が見えるようだった。
「儂はなあ、兄弟が皆早死にしてしまったので楽々とこの座に就いたのよ。若いうちにな。今の息子たちより若かったわ。その皺寄せが今来ているのかもしれんなあ」
ぐびり、と酒杯を傾ける。気づけば給仕の侍女たちは皆追い払われていた。エトゥーが銀の皿と揃いの模様の銀の水差しから次を注ぐと、公王は小さな目を瞬いてお礼を言った。
彼は――よい人である。これからこの人を追い詰め、追い落とし、彼が当然持っているべき権利やものや人を略奪することを思えば、すでに人以下の所業をそうとも思わなくなったフュルストとて、良心が疼く。
「我が民たちには何を用意してくれるつもりなのだ?」
「塩主たちには塩田区画の専属契約を引き続き延長しようと考えています。代わりに彼らの持つ労働者たちをもらいます。そして彼らには住宅と医療を提供します」
「そして彼らはどこにも行けなくなるわけだ。まさしくリュイス人のやり方よの。あんたがたは農民を領主に縛り付けてどこにも引っ越せなくする。貴重な労働力だからな」
「ご随意にお受け取りください。とにかく――買い取った土地も人も、すべて悪いようには致しませんことを信じていただきたい」
「アプカの民は元々、海の民だ」
公王は眉をへの字に下げた。
「自由と自主を求む。土地から動けなくなるようではアプカ人ではない」
――その割に、塩主と借金にがんじがらめにされ船さえ手放した漁民は多いのだが。
アプカ公国は貧乏な国だ。干し魚と塩では残念ながら国力は上がらず仕舞いである。隣国シュガルツは借金と同盟により傭兵を雇い入れ軍事力を増強し、内陸国境の領土を掠め取る。その上フュルストによる私掠船戦略のせいで、寵臣であるフェンネロッタ卿を失った。
フュルストは公王の敵だ。金によって国を食い荒らす寄生虫だ。だがそれでも、長年の敵対関係により憎悪にまみれたシュガルツの傭兵たちより、南大陸中央部を蹂躙する神聖連合の狂信者たちより、はるかにましな虫だ。
公王は何かを言おうとした。小さな広間の出入り口にかけられたタペストリーごと、扉が蹴破られたのはそのときである。
「何事だ!」
公王は吠えた。さすが為政者であると感心するほど威厳ある声だった。
「……父上をお助けに参りました」
と言ったのは、細身の青年。いっそ華奢だと言えるほど骨が細くシルエットもか細く、病的に頬がこけていた。ぎょろり、大きな目を剥いて彼はフュルストを睨みつける。微笑んで胸に手を当てる商人へ、曲刀が突きつけられた。
「これは、これは悪です。父上。アプカの神々はこれを望んでません。国から追い出し、妙な新しい塩田を壊してしまわないと」
「……ヴァガッテ」
公王はがくりと肩を落とす。
「我が国にとって重要な客人だ。刀を下せ」
「だめです父上。だめです」
「誰かおらんのか!」
衛兵たちが雪崩こんできた。
「離せ、離せ、無礼者!」
と痩せた公子が連行されるのを見ようともせず、フュルストはお茶を啜った。砂糖入りで、果汁が入っていた。
カップが空になる頃には部屋は静かになった。公王は唸るように言った。泥沼に入り込んで出られなくなった水牛のように低い声だった。
「笑っておるだろうな。笑ってくれ」
「いいえ、我が家も似たようなものです。どれほど言い聞かせてもしたいことをするのだと言って、わき目も降らず飛び出していく子供がいます」
「それはそれは、そのようなご子息がいれば心配しつつも安泰でしょうな」
「実は、娘なのです」
「なんとまあ」
公王は乾いた笑い声をあげた。フュルストは礼儀正しく微笑んだ。




