表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第三部完結】どうやら私は悪役のようですね。それで?【書籍化】  作者: 重田いの
外伝 フュルスト

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

104/143

風車の夫婦

 


「そんではやらせていただきますが。……本当によろしいんですね?」

「ええ、お願いしますよ、バンテ君」

 フュルストが笑う。目の前に広がる広大な砂漠じみた塩田は、まるで稲穂の海のようだった。


 バンテは背が低く、肩幅があるリュイス人の男だった。手が分厚く、大きい。指の節々や手のひらに無数の古傷があり、日に焼けた肌は同じ年頃の貴族の子弟とはまるで違う。くせのある黒髪を無造作に後ろで束ね、大きな丸眼鏡をかけている。洗いざらしの作業着の上、太いベルトに工具が光る。


 フュルストを見ておずおずと微笑むところなど、いかにもパトロンに媚を売り慣れていない学者らしさだった。

 トテトテと小柄な影が歩いてくるのが見えた。

「ああ、あれが」

「はい、妻です」

 バンテが誇らしげに答える。


 バンテ夫人はその夫より頭ひとつ分低く、細身だった。浅黒い肌に、大きな青い目、勝気さを現わす吊り眉とまろい頬。艶のある黒い巻き毛が耳の後ろで緩くまとめられている。仕立てのよいブラウスの袖口にはインクのしみ残っていた。


「ジークうー」

 と、彼女は夫に手を振ったが、すぐそばにフュルストがいるのを見てぱっと目を見開いた。視界に入っていなかったらしい。


「あ、はじめまして」

「はじめまして、バンテ夫人」

「クロエって呼んでください、フュルスト卿」


 夫人は恥ずかしそうにスカートをいじくった。大きな帽子に小さな丸い顔が隠れてしまい、はにかむ愛らしさは無意味になる。だが侮ってはいけない。この夫人は発明家であり、設計家の夫君より数段頭がいいのだ。


「なぜ私がフュルストだと?」

「だって、ジークがいつも言ってます。お人形みたいに綺麗な顔した男の人だから、見ればすぐわかるよって」

「クロエ!」

 バンテが悲鳴を上げた。フュルストは苦笑いした。


 塩辛い風が吹いた。目の前には天然の干潟を利用した塩田が広がっていた。作業する組ごとに畝で分けられ、人夫たちが海水を汲んでくると、まずは砂の上に流し込んで水分を蒸発させる。


 数日経てば塩分を含んだ砂が取れる。白っぽい水分を含んだ重たい砂を籠に集め、さらに内陸に入ったところに建つ小屋へ運ぶ。いずれも大きな小屋が十戸は下らない。


 彼らはそこのことをごく簡単に塩小屋と呼んだ。塩小屋には大きな釜があり、常に火が焚かれ、女たちが中をかき回している。こちらも数日間絶えずかき混ぜ続けてようやく、塩の結晶が取れる。


 男は荷運び、女は灼熱の小屋での釜の番。いずれも背骨を曲げるほどの重労働だった。これがアプカ公国の塩づくりを支える下層の労働者たちの実態である。


 ジーク・バンテは夫人に合図を出した。クロエは作業のため雇った人夫たちに向かって白い旗をさっと振り上げる。よいしょ、よいしょと彼らは声を合わせて部品を運び、組み立て始めた。


 あっという間にくみ終わったそれは、風車である。風車による海水の汲み上げを行う、その試作品だった。


 バンテは天才と呼ばれるたぐいの技術者だったが、同輩に憎まれリュイスを追われた。同じくクロエもまた天才だったが、貴族でもない女性の境遇はなおのことひどい。二人とも才能を潰されかけたところ故郷を捨て、もはやリュイスに未練はないという。


「不思議なものですねえ。リュイスを追い出された僕たちが、こうしてリュイス人のあなたの事業のお手伝いをしているだなんて」

「全く名誉なことだと理解していると、バンテ君」


 フュルストは重々しく頷いた。

「君がいなくなったことで、我が祖国はすさまじい損失を出した。次の世代には決してこんな間違いを犯してはならない」

「ありがとう。お世辞でも嬉しいです」

 バンテははにかんだ。


 本当のことだ、とフュルストは思う。リュイス人は保守的で、豪華さと華やかさを好み、気まぐれで、隣国テトラスをはじめ他国を見下す一面がある。その性質はそのまま、彼の娘にも当てはまった。


(アレクシアなら、きっとこんな手段は取らないだろうな)


 と思う。こんな、正面切ってアプカ公国を挑発するような行動を、あの子は取らない。蛇のように陰湿に狡猾で、虎のように激昂する娘のことだ。彼が今画策している計画を実行するにしても、あくまで表面上は優雅な態度を崩さずに公王や公子を唆すことだろう。


 ――フュルストが企んでいるのは、塩田の改良計画だった。この広大なばかりの塩田には、実のところ水路が設計されている。人力で海水を運ばねば塩ができないかに見えるのは、水路が奥地にまで届いていないのが原因だった。


 塩田には区画ごとに所有者がいる。塩主と呼ばれる彼らは塩づくりの小屋と先祖伝来の塩田区画、人夫たちや塩を煮出す役目の女性たち、出来上がった塩を運ぶ荷馬車を持つ。


 本当であれば塩を天日で乾燥させることができる土地は、干潟のごくわずかな部分にすぎなかった。潮の満ち引きによって自然に取り残された海水を元に塩を作っていたのだ。水路はそのためにあった。


 だが今は、その水路だけでは足りない。アプカ公国が国策として塩づくりを提唱し、許可証を広く乱発したせいで、元々塩づくりに向かない土地まで塩田として干拓された。新参者の塩主たちは古参に比べて生産量が上がらず、かといってより海岸沿いの土地を今手放す者はいない。


 この国がなかなか発展できないのはひとえにこうした古いしがらみが人を縛っているからだった。


 フュルストは新しい技術を導入し、土地を買い求め、そして塩の生産と流通を一手にするつもりだった。いずれ彼ら全員を雇えるだけの一大企業を設立する。そのために、今はじわじわとこの国に侵入し、食いつき、離さない。


 風車が立ち上がった。平たい白い帆布の翼に潮風が辺り、それ受けて風車はゆっくりと回り始める。ぎいぎいと軋む音が塩田に響き、やがて規則正しい水音が続いた。海水が管を伝って汲み上げられ砂の上に流れ出す。


 人夫たちがどよめいた。クロエが小さなこぶしを天に突き上げた。

「ジークううう! 動いたあー!」

「うん、うん!」


 バンテは眼鏡を取ってシャツの裾で顔を拭う。そこにクロエが飛びついて、ぴょんぴょん跳ねた。夫婦は手を取り合ってくるくる踊った。

 フュルストはそっと視線を外した。こういう瞬間に第三者がいるのは野暮というものだ。


 しばらくして、はっと正気に返ったバンテが咳払いをする。

「……失礼しました」

「いいえ」

「設計に三年かかりまして」

「知っています」

「リュイスにいる間、ずっとこれの図面を引いては次、次と改良を重ねて。試作品用の資材も足りなくて。それが、それが……」

 とバンテは言った。静かな声である。クロエは風車を見、夫を見、花開いたばかりのひまわりのように笑っている。


 夫婦は動力としての風車の研究者だった。風車にはいくつも利用方法がある。粉ひき、製材や製紙、種子からの油絞りなど、人力の代行は大抵できると言っていい。風車をより効率的に、より強力に進化させていくことで、危険な作業で人が死なないようになる――というのがその目的である。


 だが、現実は厳しい。すぐさま儲けに繋がらない技術に金を出す者は貴重である。


(彼らがリュイスにいる間にうちの商会に繋がっていたら)

 と思わないでもない。おそらくフュルストは彼らを雇用しただろうし、アレクシアも興味を示しただろう。……妻と双子のことはいったん置いておくとして。


 バンテは目を潤ませながら続けた。

「図面を描いては出資者にボツにされ、また描いて、また取り上げられて。クロエが計算を手伝ってくれなかったら、とっくに諦めていたと思います」


「バンテ君」

「はい」

「お世辞じゃあないよ」

「え?」


 フュルストは風車を見上げた。

「決して、お世辞ではなく――君とご家内は、当世一の技術者だ」


 バンテは大声で笑い出した。大きな手で眼鏡を押し上げ、また風車を見る。クロエが人夫たちに指示を飛ばしている。


「あっ、そこそこ。もうちょっと西に向けて、西に」

 彼女の大きな帽子は今にも潮風に飛ばされそうだ。


「いい風ですね、今日は」

「ええ」


「この調子なら、当初の見込みより早く稼働できるかもしれません。クロエの計算が正しければ、ですが」

「クロエ夫人の計算が外れたことは?」

「一度もありません」

「では早く稼働できるだろう」


 バンテはまた笑った。今度は声に出して、気持ちよさそうに。フュルストも口の端を上げた。


 塩辛い風が吹き続けた。風車は止まらなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ