ほんの五十年ばかり
アプカ公国の宮殿は宮殿とも言い難い、リュイスであれば古い田舎屋敷というべき邸宅だった。大きいことは大きい大理石づくりだが、この程度の家なら王族と言わずちょっとした小金持ちの貴族でも手に入れられそうである。
アプカ公王スカフェンは、それこそが質素倹約の証だと信じているようだった。
フュルストは、違うと思う。上に立つ者にはそれなりの見栄と財力が求められる。家などそれを目でわからせる格好の象徴ではないか。彼が口を出すことではないが。
公王は髭を蓄えた小太りの小男だった。アプカ式に絨毯の上に座り込み、突然訪れたフュルストに嫌な顔ひとつせず歓待した。確かにそこのところは度量の大きな男である。使用人がお茶を出して下がるのもそこそこに、演説をぶち始めた。声も態度もよく言えば寛大、悪く言えば引き際がわかっていない田舎者。
「塩というのは食料確保の生命線なんですぞ、フュルストさん!」
「なるほど、確かに」
「軍隊にとって干し魚や干し肉は必需品。供給部隊だって生肉を荷馬車で運ぶわけにはまいりませんからなあ」
「然り然りでございますな、公王陛下」
「ニシンだのマグロだのは捌いていくはなから腐っていくのです。内陸のリュイスの人にはわからんでしょうがな」
「ええ、ええ。加工に不可欠ということですね」
「そうとも。であるからには、我が国家アプカが塩税を独占するのも然りとわかっていただけましょう」
「まったく、ごもっとも」
フュルストは品よく胡坐をかいた足の上で銀のカップを弄んだ。
「公王様のおっしゃることはまことにもってごもっとも。むしろこちがこそが汗顔の至りでございます。代々保持してこられた特権を要求するのですから」
「うむ」
公王はふさふさした髭を撫でる。彼のそれは胸まで届き、頭に被った王冠付きの頭巾と相まって異国情緒を搔き立てる。
「ときに、私どもの戦費融資はお役に立てましたでしょうか」
「うん、実にありがたかった」
王はにかっと笑うと、ざっくばらんに頭を下げた。
「かたじけない。恩に着る」
「とんでもありません。公国のお役に立てましたなら、幸いでございます。しかしこのままですと――今まで通りのご融資は致しかねまする」
王がにこにことフュルストの顔を覗き込んだ。同じくにこにこと、商会長は胸に手を当て方をすくめる。
「これ以上のご融資は、私どもの屋台骨すら傾きます」
「そこをなんとか」
「いやいや」
「そこを」
「ご冗談を」
「では――こんなご提案はいかがでしょう?」
フュルストは身を乗り出した。彼のさらさらした銀の髪はこの国にはないものである。公王はいささかぎくっとしたようだった。見慣れないものは不吉なものだ、世界のどこでだって、そういう考え方は普通のことだ。
「塩の生産と流通について、我が商会と独占契約を結んでください」
「……ふむ。というと?」
「何も未来永劫とは申しません」
フュルストは苦笑しつつ身を引き、間近にスカフェンの目をじっと見つめた。きちんと身繕いをしたリュイス人の商人と、威厳満ち溢れる髭もじゃの公王と。どちらが優位に立っているかなど子供でもわかるはずなのに、ただ唯一、金の命脈を握っているという一点で、年でも地位でもはるかに身を低くすべきフュルストの方が自信を保っている。
「ほんの五十年ばかり」
「五十年とな!? それはあまりに傲岸不遜が過ぎるぞ、フュルスト」
「いえいえ、ぜひこのようにお考えください。アプカ公国は五十年後、おそらく公子様のどちらかが公王様の跡目を継いでおられます。きっと今に勝る善政でございましょう。隣国シュガルツとの戦争にもきっと打ち勝ち、南大陸沿岸部に広大な帝国を建国しておいでかもしれません」
王は応えない。小さな、黒い、猜疑心に満ちた分厚い二重瞼の目でフュルストを無感動に見やるだけである。
「それまで、でございますよ、公王様。それまで、どうか塩に関してはフュルスト商会にお任せを。仮に問題があるとして、それが噴出するのはお二人のご子息のいずれかの御世でのことでございます。陛下の名誉やお墓の文言に問題はありません」
さあっと風が吹いた。フュルストは自分の手汗を感じながらもにこにこと、如才なく振る舞う。もしここで公王が右手を上げれば、近衛兵が踏み込んできて殺されるのだ。
こんなところで死んでたまるか。
「アプカ公国がますます強大になるためには、シュガルツとの戦に勝たねば。そのためには我が商会の融資が必要。我が商会には塩の徴税権が必要でございます。対等な取引だとは思われませんか、陛下? そしてご子息の繁栄の御世が絶頂となるちょうどそのとき、塩税権は返ってくるのです」
「いやあ、しっかしねえ。子孫にツケを回すようなことは、私はどうもねえ」
「いやいや、公王様、公王様。思い違いをなさいますな。これは取引、取引でございます。……実のところ、フュルスト商会も苦しいのです」
「またまた、何を言わっしゃる」
王は手練れの商人のように笑い、ゆさゆさ膝を揺すぶる。どうにも、内心が読めない人である。
「本当です。実はファーテバの族長連合から関税を引き上げられてしまいまして。輸入品を中心に扱う我らには実に手痛いのです」
「なんと。ご同情申し上げますぞ、フュルストさん。アプカ公国も干し魚でもっているようなものですからな」
「いやいや」
ひとしきり笑い合い、男たちは騙し合いを続けた。
最終的に、答えは得られなかった。当たり前のことである。国の君主たる者、即答するなど威厳に関わる。――家は小さくとも、心は広い王なのだ、スカフェンは。




